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<東京怪談ノベル(シングル)>


花、ひらいた後に



 ――あたしは花ひらいた。
 こんな風に言えば、それを聞いた人たちはきっとこう考えるだろう。「何かの成功をおさめたという比喩であろう」と。
 だけどその想像は間違っている。比喩としてじゃなく、言葉のまま、あたしは花を咲かせたのだから。


 植物化したあたしの欲望は、日暮れと共にますます膨らんでいった。
 光を欲しているのではない。光は日中窓から吸収したし、今浴びている浴室の人工的な光なんて無い方がマシなくらいだ。
 それよりも、あたしは貯め込んだエネルギーを放出したかった。
(取りこんだら、出す)
 それは植物としてスムーズな流れだった。日中に光や水を取り込んだというのに、夜に呼吸もせず生長もしない植物なんて不自然に思えた。
 浴槽では、大きさの問題で、これ以上あたしが生長するのは無理そうだった。あたしは根同士をまるで毛玉のように絡めて大人しくしているのに、新たに根を伸ばそうとすると浴槽がギシギシと音を立ててしまうのだ。

(これ以上は……浴槽が割れちゃう……)
(もう生長しちゃだめ……)

 何度も自分に言い聞かせたけど……、無駄だった。
 根を伸ばし、取りこんだ光と水の味を思い出しながら茎を太くし、あたしは自分自身を膨らませていく。その本能に抗う理由が、浴槽を傷つけるからだなんて。

(浴槽がだめなら、庭に出ればいい)
(この時間なら人も通らない。暗闇の中では、あたしはただの大きな植物にしか見えないもの……何の問題もない……)
(庭に出れば、土に触れられる。土に根を差し込んで、土の匂いを嗅いで、土についた水を舐め取っていくことも出来る……)
 
 心の声は、天使の囁きか、それとも悪魔のものなのか。
 いずれにしても、あたしは心の声に従って、外に出ることにした。

 シュル、シュル、シュル、シュル……。
 絡めていた根を器用に解いてから、その根を一本ずつ浴槽から出した。
 今のあたしには、人間とは違って眼というものがない。いつの間にかなくなっていて、それをごく自然なものとしてあたしは受け止めていた。眼を探す代わりに、植物の本能に頼り、ここだろうというところに根を這わしていたのだ。眼がなくとも、あたしには見えている。有りもしない耳や口と同じこと。不便とは感じなかった。
 ……ズルッ。
 緑色の茎を起こし、あたしは倒れこむようにして浴槽から落ちた。根と茎を上手に使って、庭へと移動する。少しずつ這う毎にビチャビチャと水音がする。根が乾き切らないように、茎と葉で移動するときもあった。

 土は柔らかく、果実のように瑞々しかった!
 気がはやったあたしは、転がるように庭のベストポジションを探した。ベストポジションとは、万が一よその人が通りかかっても見えない場所である。人に見られてしまうことを怯えながら生長するのは嫌だったからだ。
(土から甘い匂いがする……ここが良いな)
 場所を決めると、あたしは一呼吸置いた。それから味わうように、ゆっくりと根を地中へと差し込んだ。
 湿り気を帯びた土は優しくあたしを迎え入れてくれた。根から生えている茶色い毛をひんやりと包み込んでくれたのだ。甘い香りにくすぐられて、あたしは喜びから茎をよじった。
(この甘い香りは何なのかな……?)
 下半身をゆっくりと地中にもぐらせながら、あたしはこの蠱惑的な香りを探っていた。
 ――そして驚いた。根が匂いの元を突き止める前に、感覚で「この香りの正体は、植物の栄養剤である」と理解したことに。

(何故わかったの?)
 自分自身に問いかけて、考えてみる。
 眼もないのに見え、鼻もないのに匂い……眼の前にないもののことまで感じ取れている。根を通して触れている土ですら、自分の身体のようだ。
 つまりは、認識出来る領域が広くなっているということ。あたしの身体ではないところからも、自分や周りを認識して感覚を共有出来ている……?

(なら、意識を完全に外に置くことも可能なはず……)
 意識と肉体との分離。けれども両者の感覚を共有している状態。
 もしもそれが出来たなら、もっと愉しくなるだろう。
 ――想像してみる。
 あたしの身体から、ケリュケイオンの一部が霧状になって、周りへ散ることを。
 その霧の中にあたしの意識を込めて、紅茶に溶ける砂糖のように、揺らぎながら大気や土に混じっていく様子を――。

 意識を外に置いたあたしは、先ほどよりも強く根を土に張った。外側から力をコントロールするのなら、身体の方は植物の本能に従えば良い。快楽を享受出来るのだ。
 腰をさらに深く地中に落とすと、あたしはじっくりと呼吸をし始める。
 メキ、メキ、メキ、メキ……。
 茎をますます太くし、閉じかけた葉を揺らし、拡大させていく。

 ――栄養剤はまるで水密桃のよう。瑞々しく柔らかな甘みがあって、歓びをもたらしてくれる。
 土から根に伝わっていたこの甘美な味を、もっと味わいたい。
 あたしは我慢しきれなくなって、トロトロと蕩けている緑色の栄養剤に根を突っ込んだ。
 根から生える細い毛の一本一本、その全てがあたしの舌だ。舌の上から、横から、先から、土と混じり合った水密桃を味わっている。
『美味しい! 美味しい!』
 あたしは思わず身悶えた。葉を震わせ、太さゆえに殆ど揺れなくなった茎をひん曲げ、根を激しく動かした。胸の高鳴りを抑えきれないのだ。
 今、夜の帳の中であたしは生長していくのだ。

 だと言うのに、周囲に混ぜたあたしの意識は、冷静に働いていた。
 本能に意識まで飲み込まれないよう、また巨大化しすぎて問題が起きないよう、自分の能力を制限していた。
 ――それはギリギリのところにある。
 心も植物化しないよう、けれども本能の愉しみを奪ってしまわないよう、あたしは細い平均台の上でバランスを取っている。グラグラと、どちらへも転ぶ可能性のある状態で、あたしはその状況すら――……。

『ぁあ……あぁぁ』
 暗闇の中、あたしは一人、無音の声をもらす。
 あたしの身体の一部は風船のようにひどく膨らみ、震えていた。
(種が、種が……出る……)
 葉で刺激してやれば、あたしの膨らみからは種が飛び出るだろう。あたしは増殖するのだ。
 だけど、あたしの意識がそれをさせないでいた。増えてしまっては、大きくなりすぎてしまうだろうから。
 ――種を飛ばす代わりに、あたしはクスクスと笑った。本能と意識がそれぞれ別々のところから出て、混じり、ギリギリのところで保たれている。あたしはその状態すら、愉しみとして享受しているのだ。


 ――この日、泥酔いした一人の男が、奇妙な影を見たという。
 それは愉しそうに揺れる異形のものであったが、次の瞬間にはありふれた植物の影であったそうだ。



 終。