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<東京怪談ノベル(シングル)>


倒錯的趣味・前

月は天の真上に着いて、ようやく一息を着いている時刻。月光に負けじとちかちか光る星は小さく、力の強弱は歴然だった。
月光の一等強い光を燦々と浴びる広く大きな屋根の下、エリス・シュナイダーはゆっくりとドアを閉め、鍵も閉める。短い髪を整える様に少し撫ぜて、まずはタイを崩し、ホワイトブリムを外した。
今日の仕事ももう終わり。明日の朝まで彼女を悩ませる物も何もない。
安堵したのか彼女の頬も幾ばくか緩んだ。

身長を考慮していないかの様なミニ丈のエプロンドレスは着たまま、黒のストッキングもローファーも脱ぎもせず少し浮かれたような足取りで向かったのは、部屋の壁に沿ってある、身の丈は天井に着きそうなほどの大きく立派な戸棚だった。食器棚や本棚ともまた違う、コレクション用にとてもガラス戸が大きくされた棚だった。その大きなガラス戸は丁寧に磨かれており、毎日の手入れが伺い知れた。…そこから覗く限りではとても精巧に作られたらしい、見事な細工のミニチュアがずらりと並んでいる。大きさは揃っておらず区々で、場所やシチュエーションもまた、バリエーションが豊富であった。

エリスは戸棚を開けて、一つ一つを吟味する様によく注視している。子供の様にわくわくと、好奇心を青い双眸に宿らせてミニチュアの窓の中を覗き込んだり、建物の傷を見ているが…ミニチュアの中の影がするりと動いた。ミニチュアの人物や動物が動いているのである。…普通のミニチュアならば動くはずがない。だが、エリスはミニチュアが動く事を知っていたのか面白そうにミニチュアに住む人々の様子を見ている。
気になった物を手に取り、くるくると回しこの「ミニチュア」をどうしていくか考える。こうした時間が彼女の至福の時間だった。
そして、吟味した中から大きな公園を手に取り、棚の近くに置かれた大きなアンティークテーブルへと顔を向けた。そこには既に彼女の趣味である「ミニチュア遊び」から生まれた大都市が息衝いている。ミニチュアからは、虫の音よりも小さな声のような音が聞こえてくる。そのかすかな音は悲鳴にも似ていた。

ひとまず公園は都市から離れた場所に置き、公園の配置かえに取りかかった。エリスに取っては、部屋の模様替えよりも容易であり楽しい作業だ。そっと人差し指と親指で器用につまんで、木の配置や噴水の配置を変え、噴水の中に犬を置いてその中ではしゃぐ様子の犬を楽しそうに眺めた。犬はロボットや映像でなく、心臓が動き爪先や垂れた耳の細部に血を行き渡らせる紛れもない本物であり、木陰やベンチの影にはうずくまって怯える人々が見えるが、無論、彼らもまた本物の人間であり、かつてはエリスと身長以外は対等に関係を持てる可能性を持った大きさの人であった。
エリスと言えば、そんな事はお構いなしに楽しげに遊びを続けている。怯えたり逃げ惑ったりする人々をつまんで戻したりして、ジョギング姿の中年男性を小指ほどにした超高層ビルの横に連れて行ったりとーそれは煩かったのですぐに小さくしてしまったがー、悪戯するような表情でエリスはその遊びを楽しんでいる。

「あっ」

作業中に誤って一本、大きなイチョウの木を根ごと倒してしまった。
倒れてしまった木をつまんでみると、地面に接した部分は見事に枝が折れてしまってみるも無惨だ。とても見事なイチョウの木だったのだが、エリスはそんな事は気にもしないそぶりで木をつまみ、スケールを計る仕草をした。親指と人差し指の距離をゆっくりと縮めていく。そうすると、木はその親指と人差し指のスケールに合わせてみるみる小さくなっていってしまった。最後には肉眼で詳細は見えないほどの塵と化し、エリスがふっと小さく息を吐いただけで、イチョウの木はエリスの部屋のどこぞへと吹き飛んでいった。
こうした事は一度だけでなく、幾度と繰り返した。エリスの部屋はとても綺麗に整えられていたが、床に落ちている小さな塵を顕微鏡で覗けば、もしかすると小さな廃墟が見つかるかもしれない。
そして、暫く公園の木と遊具の配置をいじり、時たま悪戯に人々を翻弄させつつエリスの公園は完成する。

「街にもやはり緑は必要でしょう?」

そう言いながら、公園はエリスの手によって空中を何度も彷徨っている。どこに連結させようか、うんと小さくして動物園の横に置こうか、動物たちはどんな反応をするかしら、自らの手によっておかれた場所で、多くの人々は一体どのような反応をするのか、考えただけでも胸が躍る。
高く空中に浮いてしまった公園にいる人々は、大きな横顔に絶えず悲鳴を上げる物もいれば、指紋の溝まではっきり見える指を怖々と見つめている。そこでエリスは公園を置く場所を決めたようで、するりと彷徨っていた手が動く。公園にいる人々はことさら大きな声を上げたが、耳に届いてもハエの羽音すらにも思えないので、あまり意味はなし得ていなかった。連結されようとしていたのは、大きなマンションの隣だ。マンションの人々もこちらへ向かってくる公園を見て、住人の誰もが恐怖で顔を引きつらせたが、マンションの住人は幾度となく行われた連結作業にも耐えた人々であったので、恐らくは公園も連結させるだけなのだろうと想像出来たが、大きな指や大きなキラキラ光る双眸がこちらを見つめているのはどれだけ回数を重ねても慣れなかった。彼らには、この新しい創造主が次にする仕事を戦々恐々として見つめているしかなす術がない。

そして、無事に公園は連結された。そうっと、エリスの指が外される。公園が新たに設置され街は更に街らしくなった。
次はまた新しい物を加えようか、それとも移動?
考えるだけでも胸が躍る、めくるめくエリスの素敵な趣味の世界が今宵も花開く。