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<東京怪談ノベル(シングル)>


倒錯的趣味・後





さて、月は地平線への旅を再び歩み始めた時刻である。天気も少し変わり、雲が出てきた。月は嵩を被るが、強烈な月光はまだまだ衰える気配を見せない。

大きな屋敷を持つクライバー家のメイドである、エリス・シュナイダーは趣味を持っていた。仕事を終えた彼女は部屋で「ミニチュア遊び」に勤しむのが日課である。本日も目の前に広がる小さな大都市を相手に、彼女はアンティークテーブル上の開拓に励んでいた。彼女の目前にあるミニチュア達は街角の玩具屋に売られている物とはひと味もふた味も違っている。一つ目は、そのミニチュアの精巧な事。0.1mmの一枚の葉においても、細かく枝分かれした葉脈が再現されている。全く、神の所業と言って他無く、二つ目は住民のミニチュアもまた精巧である。手の甲に浮かぶ血管や、目尻のしわも目を凝らせば見つけられた。しかも動くのだ、己の意志を持って。だが、住民の暮らしぶりと言ったら普通の街の様に楽しく悲しく寂しく汚く美しく暮らしている人間はおらず、ただただ、皆怯えた目をして窓の外を眺めていたり、狂った様に暴れ回ったりと、普通の様子ではない。
そして三つ目は、それらすべては本物である。
上記二つをふまえて考えれば、とても納得がいく。彼らは元々はそれ相応の大きさであり、もちろんそれに値する彼らの暮らしもあった。だが気づけば、目の前には巨大な青の双眸があり、ガタガタと揺れれば地震ではなくビルが宙を飛ぶ。ビルは大きな手でつままれていた。

先ほど公園を連結させる事に見事成功し、機嫌の良いエリスだが、今度はもっと違う物を連結させようと席を立った。戸棚の中には多くの「ミニチュア」たちが声を張り上げて助けを求めている。その声は聞こえるか聞こえないかほどのかすかな声なものだから、エリスの耳には届いていないようだった。届いていた所で、助けてもらえるはずもないのだが。

「もっと新しい物が欲しいですね、殺風景だわ」

高層ビル群だってあるし、大きな公園だってあるのだが、エリスの欲はまだまだ満たされていなかった。エリスは自室の窓から外を見る。まちはまだ眠りにはついていないようで、キラキラした光を放って華やかだった。窓の外に広がる実寸代の大都市を眺め、窓から少し身を乗り出し、興味のある物を物色する。緩やかに走るタクシーに向かって腕をのばしてみた。親指と人差し指で、遠近法で小さなタクシーをきゅっとつまむ仕草をし、伸ばした腕を目の前へ。

「でも、タクシーは一杯あるものね」

手のひらには豆ほどの小ささになったタクシーが、ラジコンカーの様に走り回っている。だが、エリスの興味はすぐに薄れてしまったようで、また塵ほどに小さくしてどこぞへと吹き飛ばしてしまった。そして、次から次へと色んな物をエリスは手のひらへと招いては、吹き飛ばす物もあったりコレクションに加えたりとしていたのだが、今いち、どれもピンとこない。ふむ、と息を吐いて窓の外を見る。…外はきらきらの街灯と高層ビル……そこからまた大きく立ち上った展望タワーがあった。夜である故に、ライトをきらびやかに身に纏っている。最近出来たのだと新聞で見た事があった。

「とっても綺麗」

一目、生で見てエリスの表情もほころんだ。タクシーを手のひらに招き入れた時と同じ様に、人差し指て胴体をつまんで、人差し指ほどの長さしかないタワーを手のひらに当然の様にポンと乗せた。満足そうに微笑んで、窓に背を向けて歩き出したエリスの背後に、もうキラキラ光る宝石の様なタワーの姿はない。

展望タワーは出来たばかりと言う噂を聞いて、煌々と明るい灯をともす展望室にはカップルや家族連れが多くひしめき合っていた。展望タワーから見る光景は、夜景から一転してフローリングを階下に望み、上を向けば大きな女性が微笑んでいると言う。透明な壁の外から見る限りでは、やはりパニックが起きているようだった。がたがたと震える母と娘の姿が展望室の片隅に映る。娘はガラスから見える巨大な女性の顔を、映画館のスクリーンに映る映像の様に無機質な目で見つめている。母親はただただ自分が恐ろしいのかそれを紛らわそうとして、娘をぎゅっと抱きしめてずっと俯き下を向いている。これからの自分たちの運命は得体の知れない魔手によって絡めとられてしまった人々は、神に祈り、家族や知り合いに連絡し、暴れ、嘆き、諦め、疲れ果てていた。
ガラスのすぐそばに、大きな太陽の様な大きさの青い双眸がある。眼球に走る血管や、繊細であろう睫毛の一本一本まで感じ取れたが、それを直視出来る精神力を持ち合わせる者はいなかった。

アンティークテーブルへと運び、さあ、都市の真ん中にシンボルとしてこのタワーを配置しようと、先端をつまむ。本来ならば、きちんとした建築基準を守り、三年もかけて作り上げたバベルの塔の如き超高層タワーだった。本来、女性が軽く人差し指でつまめる訳もないのだが、いとも容易く等の先端は折れ曲がってしまった。細い針金がぐにゃりと曲がっている風にしか見えないが、元は少なくともエリスの部屋より大きかったに違いない。
思ったよりも早く壊れてしまった展望タワーに詰まらなさそうにエリスは唇を少し尖らせた。展望タワーの中の人々は未だに何が起きたのか分かっていない。展望タワーが壊れようがなんだろうが彼らには全く関係ないようで、各々の運命を嘆く情景が未だに繰り広げられている。
それは大きな展望室のガラスから見えるのだが、エリスはそれをちらりと見た。人差し指ほどの大きさの展望タワー、展望室にはぎっしりと人が詰まっている。折れ曲がってしまった先端と親指を底辺へ持って行き摘んだ。そして、軽く人差し指と親指を近づけた。それだけで展望タワーは指の第一関節ほどの大きさとなった。ガラスの中に見える光景はもうすでに何が行われるか分からない。恐らく、今、自分たちに起こっている事も展望室の中の人々は理解出来ていないだろう。
手のひらにちょこんと乗せられた展望タワー。それを少しじっと見つめていたエリスは人差し指を先端に乗せて、手のひらに押し込む様に上から押した。

ぐ、ぐ、ぐ、

押される度に、小さくなって行く。
第一関節ほどの大きさから爪の大きさに、そこから半分に、更に小さく、もっと小さく、どんどん縮んで行く展望タワーをじっとエリスは静かな瞳で見つめ、ついには衛星放送局と同じ様に、塵の様にしか見えない展望タワーらしき物が恐らくはあった。小さすぎて分からないのだ。もしかすると、タワーはエリスの指に押しつぶされているかもしれない。人々がどうなったかなど、知りはしない。
そして、ためらいもなくその塵とおぼしき物をエリスは手のひらから指で弾き飛ばした。ピンと勢い良く飛んでは行ったのだが、あまりの軽さに途中で減速し塵は宙をフワフワと暫く舞って目に見えなくなった。

「今度はこっちにしましょう」

すぐにエリスの興味は他へ映っており、青の双眸が見つめるのは朝焼けの水面の様にきらめく夜景を持った大都市だ。鼓動を感じる様な明滅を繰り返し、とても魅力的だった。手に入れたい物は何でも手に入る。文字通り、次の瞬間にはエリスの手の上に大都市があるのだ。丸ごと、空間から連れ去ってくる。手でくるむ様に手に入れた大都市は、両手のひらに乗る程度の大きさとなって、エリスの手のひらの上で息衝いていた。何本も地上から立ち上る超高層ビル、そのビルの窓、車は走り、エリスの手のひらへと落下した物もあるかもしれないが、あまりにも小さくて気づかなかった。
…道路の上に蟻の様な物がわらわらと出てきている、ぱっと見た感じでは、液体が漏れ出ている様にさえ見えた。その正体は空の異変に気づいた人々であり、巨大な女性の顔に驚き失神し銃を構えている情景であった。もちろん、どんな抵抗だって通じない。彼らの新しい創造主なのだから。

「みんな、私のおもちゃです。」

エリスは本当に楽しそうな笑顔を見せたが、子供の様な笑顔は無邪気さと残酷さが垣間見えた。
大都市の人々は頭上に降り掛かってくるその声を聞いてどんなに落胆し、激昂したか。エリスは知る由もない。いや、知らなくても一向に構わないのだ。

エリスはゆっくりと靴を脱ぎ捨て、ぺたぺたと新しく手に入れた大都市を両手のひらに持って、アンティークテーブルの上の都市ではなく、部屋の隅、床に広がる更に大きく広がっている街に繋げた。同じスケールにしているので、ぴったりと道路もビルの大きさも当てはまっている。少々の手直しをピンセットで行い、少し配置も替えたりした。どんどんと大きくなって行く都市にうっとりとせざるを得ない。いずれはアンティークテーブルの上の都市も繋げるつもりだ。




気づけば空は青色でなく、ビルの隙間には見た事もない大きさの謎の壁が遥か向こうに天空高くそびえ立つ。そして、目前に迫るのはあり得ない大きさの綺麗な青色の瞳、そして更に大きな手。現代の技術の粋を集めた超高層ビルより大きな人間が、5キロほど向こうを歩いているようだった。ほとんどの人々は神に祈っただろう、この光景。彼女が歩く度に、掃除機の魔の手を逃れたわずかな誇りが舞い踊るのが、人々には砂嵐が迫ってくる様に感じた。黒いパンティストッキングの細かな編み目から見える肌のきめ細かさもよくわかった。ミニのエプロンドレスから覗くマネキンの様な流線美を讃えた足も、形のいい目も、長く綺麗な指も大都市の住人にとっては、畏怖の対象でしかない。

彼らの世界を統べる神は、クライバー家メイド・エリス・シュナイダーである。


いつもならばビルの陰に隠れてしまう月も、今宵は悠々と広くなった空を泳げると、朝焼けの白々しい空をゆっくりと下って行った。