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Gorgon
幸福な時間というものは、そう長続きしないものだと、心の何処かで納得している自分がいた。
これまでの人生を振り返っても、大抵は幸福を感じた時に、誰かが私を貶める。何度も何度も体験してきた絶望に、不本意ながらも慣れつつある今日この頃‥‥‥‥
「んんっ!!」
口を塞がれ、岩場の上から引きずり下ろされる。弱った体に鞭を打って病院を抜け出した私は、満足に抗う事も出来ず、為すがままとなって海の中へと沈んでいく。暴れる手足は虚しく水を掻くばかりで、私の体を掴む手を振り払う事も出来なかった。
「イアル! くっそぉ!!」
遠くで、私の騎士を買って出てくれた茂枝 萌が、声を上げて怒りを露わにしている。けど、私はその姿を目にする事も、耳にする事も出来なかった。
声は瞬く間に遠ざかり、姿も揺れる水と砂に遮られて消えていく。残るのは私の手足に、体に巻き付く何本もの手、手、手‥‥‥‥一体誰が私の体を掴んでいるのかも分からない。混乱した目は忙しなく瞬きを繰り返しながら海中を見渡して、ようやく犯人を見つけてくれた。
(人‥‥魚?)
物語の中で度々見かけたその姿は、見間違えるはずもない。
下半身は魚で、上半身は人間。陽の当たらない海中で過ごしているからか、肌は白くて凄く綺麗。色取り取りの海草のように真っ赤な、或いは深緑色の髪が水に揺られて私の目を奪っていく。
「がぼっ!?」
でも、そんな物に目を奪われていたのは、ほんの数秒。私も普通の人間とは言い難いと思うけど、それでも海の中で呼吸が出来るような術は習得してはいなかった。
ぶくぶくと体内の酸素を吐き出して、私の意識は薄れていく。急激に変化する水圧に体が壊され、それでも人魚達は止まらない。私の体を掴んだままで、必死に泳いで泳いで、海の底へと向かっていく。
‥‥‥‥そこに、一体何があるというのだろう。
私の意識は、底に辿り着くよりも先に途切れ、泡のように消えていった‥‥‥‥
●●●●●
「――――め。――――起き――――くだされ! 姫!」
「ん‥‥‥‥?」
耳に届く年老いた声に、私は薄く目を開けた。
目前に広がったのは、色取り取りの海草で飾られたカーテン。ゆらゆらと小さな波に揺れる様は、まるで私のために踊ってくれているようで、思わず微笑みを浮かべてしまう。
出来れば、このまま踊りを眺めていたい。でも、耳に届く年老いた声はあまりに厳しく、切迫していて、とても無視する気にはなれなかった。
「ん‥‥おはよう御座います」
「やっと起きて下さいましたか。おはよう御座います。姫様」
恭しくお辞儀をしたのは、年老いた人魚‥‥のおじいさんだった。
しわしわな体に、顎と頬を覆う白い髭。髪は真っ白に染まり、手にした枯れ木の杖が妙な風格を醸し出す。
「ひ‥‥め?」
老人の言葉に、私は首を傾げ、ゆっくりを周りを見渡した。
周りでは、豪奢な彫刻を施された壁や柱が立ち並び、崩れかけた天井には色鮮やかな魚が泳いでいる。お尻の下には大きな石の寝台があり、シーツのように敷かれた海草がフワフワと浮き上がっていきそうだった。
見覚えのある光景。見慣れている光景が、そこにある。
なのに‥‥‥‥その光景も、老人の声も、姿も、全てに違和感を覚えるのは何故なのか‥‥‥‥
「ここは、何処?」
「おお! 姫、寝ぼけておられるのですか? ここは姫様の寝室で御座いますぞ!?」
「貴方は、誰?」
「儂はこの集落の長老にして、あなた様の爺やで御座います。本当に、どうされたのですか?」
心配そうに私の目を覗き込む老人。
その目はとても深い青色で、ジッと見つめていると、まるで吸い込まれてしまいそうな‥‥‥‥
「失礼ですが、姫様。お自身のお名前を覚えておられますか?」
「私は‥‥イアル・ミラール‥‥‥‥」
「では、イアル様は、一体どういったご身分の方ですかな?」
「私、は‥‥‥‥」
巫女。古の龍を従え、国を導き民のために繁栄をもたらす王族の――――――――
「私は、人魚姫。この集落の、一族の長‥‥‥‥」
「そうで御座います。どうやら、お目を覚まされたご様子で、ホッとしましたぞ」
老人は安堵したように胸を撫で下ろし、ゆっくりと私から目を逸らした。
‥‥‥‥夢を見ていた、気がする。
長い、長い夢。
何処かの王国で起こった悲劇。何処かの世界で起こった悲劇。何十年、何百年もの時間を石像として過ごした王女の人生。最期の最後まで報われず、海に引き込まれて終わった美しいお姫様‥‥‥‥
そんな、長い夢を見ていた。どれ程の時間を眠って過ごしていたのか、私の体は酷く重くて、自分の重さで潰されてしまいそう。頭はガンガンと酔っ払ったように痛み、それまで断片となって散り散りになっていた意識と記憶が互いに結び付き合い、そして私の記憶を呼び覚ます。
そうだ。私は人魚姫。一族の人魚達を率いて世界を渡り泳ぐ、世界でもっとも優雅で美しい人魚の姫だ。
「爺や、申し訳ありません。少々、寝ぼけていたようですわ。起こしてくれて、ありがとう御座います」
「おお! そのような勿体なきお言葉‥‥‥‥爺には勿体のう御座います」
微笑みかけると、老人は満足そうに、幸せそうに頷いた。
それまでの不安げな表情が嘘のようだ。まるで心のつかえが取れたように、老人は私に語りかけてくる。
「思えば、姫がこうしていられる時間もごく僅か‥‥‥‥“時”が来るまでは好きなように生きられよと、昨日言ったばかりでしたな」
「いえ、だからと言って、怠惰に生きるつもりはありません。私は最期まで人魚の姫として生きたいのです」
私は、本心からそう言った。
心に迷いはない。自分でも不思議に思えるほどに‥‥‥‥本当に、突いて出た言葉に、一片の迷いもなかった。
「おぉ。その気高い心を、シーメデューサめが一片でも持ち合わせていれば、こんな事にはならなかったでしょうに‥‥」
老人は打って変わって、気落ちしたように肩を落とす。
‥‥‥‥この人魚の集落を不安に陥れている元凶、シーメデューサ。
悪魔の力を宿した醜い人魚は、この集落の人魚を次から次へと攫い、石像へと変えてコレクションに加えるという非道な女である。
これまでに石像へと変えられた人魚の数は十や二十では済まず、人魚達は日々死への恐怖に怯える暮らしを強制されていた。
シーメデューサは気紛れに美しい人魚を生け贄として要求し、自分のコレクションに加えていく。私の友人も、家族も既に犠牲になり、私は“姫”としておめおめと生き残っている。
本来ならば、仲間の人魚達を励まし、勇気付けるために存在する“姫”という象徴。その肩書きのお陰で生き長らえている私は‥‥‥‥もう、この状況に耐える事など出来なかった。
「志願したのは、私ですから‥‥‥‥」
私は目を落としながら、老人に言葉を返す。
私は、次にシーメデューサがこの集落を訪れた日に、生け贄として捧げられる事になっている。
これ以上の犠牲を見る事など、もはや私には耐えられない。シーメデューサの蛮行が私の犠牲一つで止まるとは思えなくても、それでも一時の慰めになるのならば‥‥‥‥と、私は自ら志願した。
石像へと変えられ、愛でられるだけの日々を送る事を覚悟して――――
――――――――――――
――――――――
――――
「――――え?」
ノイズが走る。思考に雑音が混じり、記憶に、夢の光景が蘇る。
以前‥‥‥‥似たような事があったような気がする。
でも、それは夢の事。すぐに雑音は消え去り、夢の光景は掻き消えた。
そうだ。夢の事など忘れてしまおう。
私は、人魚姫として、皆の平和の象徴として、その責務を果たさなければならないのだ。
「どうか、なさいましたか?」
「いえ、なんでもありませんわ」
心配そうに顔を覗き込んでくる老人から顔を背け、私はベッドから下り、そして泳ぎ出す。
‥‥‥‥ほら、やっぱり夢だ。
私の脚は魚の尾ビレ。夢のように、二本の足で歩く事なんて出来ないのだから‥‥‥‥
「少し、散歩をしてきますわ」
「では、お供を‥‥‥‥」
「ううん。一人で泳ぎたいの」
私は老人に頭を下げて、軽く集落の中を泳ぎ回る事にした。
幼い時から時間を共にしてきた仲間達。
もうすぐ見納めとなる、楽しい時間。
皆の不安を消し去るために、私は――――
「――――?」
雑音。ノイズ。視界に幻のように映る、誰かの影。
見覚えのある海の中で、見覚えのない陸の世界を夢想する。
「‥‥‥‥‥‥夢、ですわ」
ああ、そうだ。
あれは夢だ。夢に見た物語は、この辛い現実から目を逸らそうとする私の心が映し出した幻影でしかない。
自分は死ぬ。これから、今日にでも生け贄に捧げられて石になる。
これまで何人もの人魚がそうなってきたように、私は仲間のために、この身を捧げてシーメデューサの機嫌を取らなければならないのだ。
「誰かが、きっと‥‥‥‥」
私の時には間に合わなかったが、それでも私は信じている。
きっと‥‥いつか、あの悪魔を倒す者が現れる。
物語の勇者のように、悪魔を倒し、石へと変えられた者達を救い出してくれる者が、きっと現れてくれる。
そう信じて、私は――――
「姫様! ここに居られましたか‥‥!」
と、見納めとなる海を眺めながら泳いでいた私に、切迫した声が掛けられる。
それだけで、私は何もかもを悟ってしまった。
ああ、お別れの時が訪れたんだ、と‥‥‥‥
「シーメデューサが、来たのですね?」
「はい! 長老の所に‥‥!」
「分かりました。貴女は、皆さんと共に隠れていて下さい」
私は、急ぎ伝えてくれた人魚にそう告げると、振り返ることなく元来た海を泳いで戻る。
思うように暮らす事が出来た時間は短い。私は私の心を、仲間達を助けるためにシーメデューサと対峙する。その時が、こんなにも早く訪れるなんて‥‥‥‥
私はぎゅっと目蓋を閉じて、内に潜む鏡の龍を確かめる。
「‥‥‥‥‥‥何故?」
何故。何故そんなモノを確かめる。
あれは夢だ。
夢。夢。夢。夢。夢の産物はいくら内なる心を探ったところでみつかるはずもなく、ただ虚しく時間が過ぎていくだけで意味を持たず、私を、仲間を救う手掛かりにもなりはしない。
(覚悟など、既に決めているというのに‥‥‥‥)
何故、今になって覚悟が鈍るのだろう。心の何処かで、自分は納得できずにいる。誰かを待とうと、差し出されぬ救いの手を待ちわびる自分がいる。
‥‥‥‥ああ、なんと滑稽な。
私は逃げ出す算段を胸中で重ねながら、沈痛な面持ちで沈んでいる長老の前に降り立った。
「おお、姫様‥‥‥‥」
長老が私の顔を見て、ブワッと溢れるように涙を流す。
「姫様。姫様‥‥‥‥」
「もう、何も言わないで‥‥‥‥だから、皆と同じように隠れていて下さい」
私を石に変えた後、シーメデューサが気紛れにもう一度里を襲うかも知れない。
勿論、その程度でシーメデューサをやり過ごせない事などとうの昔に知れている。それでも、気休めにはなる。少なくとも、外を泳ぎ回って目に付くよりかは、ずっと楽になる。
「それでは、行ってきます‥‥‥‥」
私はそれだけ言って、すぐにその場を離れる事にした。
もはや最期の別れ。長々と顔を合わせていても、誰もが辛くなるだけだ。
私は一人、忘れられた神殿へと向かっていく。
寂しく廃れた、一人の悪魔の居城へと‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥
「なるほど。要求した通りにわたし好みの綺麗な子だけど‥‥‥‥」
シーメデューサの不快な視線が、わたしの全身に突き刺さる。
深い深緑色の瞳は、私の体を突き抜けるように軋ませ、心の底まで見透かしているようだった。
痛い。あまりにも、痛い。
ただ“見られている”だけだというのに、あまりにも視線が痛い。“目で殺す”という言葉があるけど、シーメデューサならば本当に相手を見るだけで殺してしまう事が出来るのだろう。石に変えられているわけでもないのに、私の体は何処までも痛く、気を抜けばそれだけで死んでしまいそうだった。
‥‥‥‥シャァァァァァ‥‥‥‥!!
それは相手を石に変えるというシーメデューサの魔眼のせいなのか、それとも‥‥‥‥シーメデューサの視線を追って私を見つめる、何十という幾重にも折り重なった美しい蛇の視線のせいなのか‥‥‥‥
「――――!」
恐怖に塗り潰されて逃げ出そうとする心を、私は毅然とした誇りによって押し付けた。
真っ向からシーメデューサの視線に対抗し、その瞳を睨み返す。シャァァァ!! 不機嫌そうに私に吠え建てる大勢の蛇の群れ。もう少しでも近付けば、そのまま私の体に食い付き、食い散らかしてしまいそうな勢いだ。
「気に入ったわ。その瞳、その体、その美しい髪‥‥‥‥ああ、貴女の全てを――――」
壊したいと、シーメデューサは自らの蛇を撫で回しながら、笑みなど微塵も浮かべずに笑いかけた。
蛇は、シーメデューサの頭から生えていた。私の髪が波に揺られて浮かんでいるように、蛇は波に揺られながら、しかし自らの意思を持って私に向けて牙を剥く。
‥‥‥‥シーメデューサは、髪の毛が蛇である以外には、私と何ら変わらぬ人魚だった。
美しい瞳。美しい肌。美しい尾ビレ。光る鱗は、仲間の人魚と比べても何ら変わらぬ美しさ。だと言うのに、それらが醜悪に見えるのは‥‥‥‥思い思いに動き回る蛇のせいなのか、それとも美しい顔を醜く歪める嫉妬の念によるものなのか‥‥‥‥判別は出来ない。しても意味はない。
シーメデューサは、心の底まで怪物のそれへと成り果てていた。
説得など出来ない。両親など必要ないと断じた心には、私の言葉など通じない。
「今回は、私を好きにして下さって結構です。その代わり、仲間には手を出さないで下さい」
「あらあら、気丈なお姫様ね‥‥‥‥ふぅん。身代わりにしては良い線いってるじゃない。相手がわたしじゃなかったら、騙されちゃうわね」
――――何か、楽しそうにシーメデューサが何かを言っている。
でも、上手く聞き取れない。
言葉の大半にノイズが掛かり、私の耳には届かない。
「ま、本物だろうと偽物だろうと、やる事なんて変わらないのよ。――――ああ、その瞳が、美しい体が妬ましいわ。貴女の人生は微塵も羨ましいとは思えないけど、貴女のその“あり方”は許せない。‥‥‥‥安心しなさい。貴女の王子様は、貴女の隣に並べてあげる」
何処までも深く、憎悪と嫉妬を撒き散らしながら、シーメデューサの瞳が光り輝いた。
ビキッ‥‥‥‥
その途端、私の尾ビレの先から鈍い音が響き渡る。
水に微かな波を作りながら、ビキビキと音が響きながら私の体を登ってくる。それに視線を向ける事はない。向けたら最後、私は恐怖に負けてしまう。
怖い。怖い。私の体が、今、石になっている。覚悟は決めた。しかし体が石に変貌し、感覚が無くなっていくこの感覚はあまりに大きな喪失感を私に与え、心を絶望と恐怖に染めて文字通りに“消して”いく。
痛みはない。痛みはないのに、ただ喪失感だけが大きく広がっていく。
それが‥‥‥‥堪らなく怖い。
痛みを伴う喪失なら、或いは耐えられたのかも知れない。しかし体の末端から徐々に、徐々にと広がっていく痛みのない喪失感は、私が私でなくなるという恐怖をここその深奥にまで伝えていく。
「う‥‥くぅ‥‥‥‥」
苦痛はなくとも、私は呻き声を漏らして震え出す。
ああ、怖い。怖い。怖くて怖くて、しかし怪物の瞳から目が離せない。
何処までも深く、私の体を貫く魔の視線。その瞳から視線を逸らす事さえ出来れば助かるかも知れない。だと言うのに、私の体は言う事を聞いてはくれなかった。
消える。消える。消えて無くなる。その事実に、恐怖に私の体が震えている。
「消えるのが怖いか?」
シーメデューサは、おぞましい蛇の群れを従えながら、私の終わりを見つめている。
慈悲など掛けるつもりなどない。ただ、これから自分のコレクションに加わる一品と、最後の言葉を交わそうとしているだけ。
「安心しなさい。貴女は特別に可愛がってあげる。‥‥そうね、一番目立つ場所に飾ってあげるわ。そして飽きるまで愛でて、飽きるまで遊んであげる。そして飽きたら‥‥‥‥ちゃんと念入りに壊してあげるわ。そう、古びた珊瑚のように、粉々に崩してあげる」
「――――――――ひっ!!」
決めていた覚悟が崩れ去り、私の精神は瞬く間にこれまで見ていた夢を思い出す。
石になった。これまでに何度も何度も、石になる夢を見た。
その度に、私は言い知れない恐怖を感じていた。石になる。石になった後、飾られ、辱められ、壊される恐怖。自分が自分でなくなり、ただそこに存在するだけという、言い表しようのない恐怖が私の全身を打ちのめした。
何故‥‥‥‥こんな時に夢の光景を思い出したのか、それは私には分からない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!!!!!!」
声を上げながら、私は涙を流して懇願する。
助けて下さい。お願いします。助けて下さい。
何度も何度も、そう叫び、声が嗄れ、それでも私は叫び続ける。
石になる。これまでもそうだったように、私はまた石になる。
‥‥‥‥流れる涙は、海に溶けて消えていく。
しかし私は、永遠にそうなる事はないのだろう‥‥‥‥
そこで、私の意識は途絶えてしまった。
恐怖に震え叫びを上げる、醜悪にして美しい人魚として、私の生は終わりを告げた‥‥‥‥
●●●●●
‥‥‥‥過ぎゆく時の感覚がなかったのが、せめてもの救いだった。
私の意識は、眠りから覚めるように鮮明に浮き上がり、心地の良い目覚めを向かえていた。
「ああ、イアル! イアル!!」
誰かの声が、私の体を揺り動かす。私を救ってくれた仲間、何人もの人魚を掻き分けて、見知らぬ誰かが駆け寄ってくる。
‥‥‥‥人魚では、ない。
“初めて見る”足のある人間に、私は懐かしさと同時に得体の知れない恐怖と疑問を感じていた。
「姫様! お目を覚まされて――――」
「退いてよ! 話をさせてよ!!」
私のすぐ側にいた、次女の人魚が肩を掴まれて押しやられる。
見知らぬ誰か。しかし何処かで見たような人間の女性。
何故、そんな人が海の中にいられるのか‥‥‥‥疑問が浮かぶが、何よりも気になるのは、そんな事ではない。
「私は、一体‥‥‥‥」
「人魚姫様。姫様は、この方に救われ、今し方石化を解除したところで御座います」
私の体を診ていた薬師の人魚が、丁寧に落ち着いた声でそう言った。
石化、していた。そうだ。私はシーメデューサの魔眼で石に変えられ、そして眠っていたのだった。
しかし、私の体を見てみると‥‥‥‥なんという事だろうか。全てが生身。元の姿で、何処にも石化していた後などない。
全てが美しいまま。私は私として、見事に蘇生する事が出来たのだ‥‥‥‥!!
「ああもう! イアル! こっちを見てよ!!」
誰かの声が、私の肩を揺さ振った。
顔を向ける。見知らぬ顔に、私は怪訝に眉を顰めてしまう。
「姫様。そのお方が、シーメデューサを打ち倒して私達を救って下さったのです」
「まぁ、そうなのですか!」
事情が分からぬ私に、控えていた人魚が耳打ちで事の次第を教えてくれる。
「貴女が、私たちを救って下さったのですね? ありがとう御座います。本当に、感謝いたしますわ」
「ちょ、ちょっと‥‥イアル? その、ふざけてるの?」
私がお礼を口にすると、私を救ってくれた人間は当惑したように狼狽する。
「もしかして、怒ってるの? 私が、あなたを守りきれなかったから‥‥‥‥」
「怒るなど、あり得ませんわ。貴女は我々を救って下さってのですから。心から感謝し、私達に出来る事なら、なんでもして差し上げます」
本当に、私は心の底からそう言った。
だと言うのに、何故――――この人間は、悲しそうに涙を滲ませるのだろう。
「ねぇ‥‥あなた、イアルだよね? イアル・ミラールだよね?」
「はい? 私は――――」
私は――――――――――――イアル。イアル・ミラール。
記憶に軽いノイズが走る。でも、大丈夫。私は、ちゃんと私の事を覚えている。
だから、胸を張って、恩人に向けて、嘘偽り無く答えよう。
「はい。私の名はイアルです。イアル・ミラール。この人魚の里の、人魚姫で御座いますわ」
私は恩人に向けて、精一杯の微笑みを持って答えていた‥‥‥‥
To be continued
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