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<東京怪談ノベル(シングル)>


Under the Blossom



『桜の木の下には死体が埋まっている』
 読み上げられた紙切れの内容に、そこから誰ともなく、囁き声のさざなみが広がっていく。


 ──その日は玲奈の所属する、IO2の課主催の夜桜パーティーだった。月明かりに仄白く浮かび上がる夜桜を愛で、楽しみ、それを肴に美味い酒を呑もうという、そういった趣旨のものだ。
 宴はたけなわで、笑い声と酒の混じる吐息を含んだ会話が為されるその場は賑やかだった。盃を酌み交わしながら夜桜と、その向こうに透ける月光を楽しんでいた彼らの誰かが、ふと声を上げたのだ。
 曰く、「桜の木の下には死体が埋まっている」。
 それが誰かの笑い声混じりの言葉だったのなら、よくある都市伝説だと頷くことも出来たのだろう。けれどそうではなかったから、その一説は宴のはざまに波を生み、打つようにして波は会場を渡っていく。
 ──何だ、死体? どこに? 桜の木の下に。──冗談ではなくて?
「何だ?声明文か?」
 誰かが次いでそう言った。目的の解らない、けれど物騒な文面であるその声明文に、賑やかだった筈の宴は瓦解する。また別の誰かが、大仰な溜息を吐いた。
「やれやれ、仕事かよ」
「酔いが冷めちまった。パーティーはお開きだな」
 なんでこんな時に、なんて言いたげな表情を浮かべた者はそれこそ数え切れないくらいにいた。それでも曲り形にも、自分たちはIO2なのだ。可能性がゼロではないのなら、動かない訳にはいかない。
 ──なると、問題は「誰がその任務を全うするのか」だった。その場に居合わせた彼らはゆっくりと、けれど確実に視線をとある方向へと向ける。まるで示し合わせたかのように幾つもの視線に曝されて、その先にいた「彼女」は眦を吊り上げた。
「……何?」
 彼女──玲奈は、じろりと視線を寄越す彼らを睨め付ける。玲奈の眼差しに、誰かが笑って呟いた。
「不運な今日の当直は誰だったのか、って話さ。なあ、誰か覚えてる奴はいないか?」
 態とらしいその問い掛けに、隣にいたらしい男が頷いて見せる。
「確か今日は、鬼鮫と三島だった筈だぜ」
 同調するように、周りの職員たちが頷き合う。或る者はそう言えばそうだったと同意し、また或る者はそれじゃあ宜しく頼むと片手を挙げる。パーティー会場に屯していた人垣が崩れたのも、このタイミングだった。
 だったら後は、当直の二人に任せよう──そんな風な声が、あちらこちらから聞こえてくる。付随されるのは気の毒そうなひそひそ話であったり、或いは喉奥で笑うような音だったりしたのだけれど。
「河岸変えて飲み直すか。興醒めしちまったしな」
「ああ、だったら良い店が……」
 ばらばらと解散し始める人垣や、漏れ聞こえる身勝手な台詞に、玲奈は柳眉を逆立てる。パーティーを楽しんでいたのは玲奈だって同じことだ。
「ちょっと!なんであたしが、」
「まあまあ、お姫様」
 怒りも顕に声を荒げた玲奈の肩に、傍観していた鬼鮫の手が触れた。宥めるような彼の声色に玲奈がその姿を振り仰ぎ、それからその瞳の色を和らげる。お姫様扱いが彼女にとってとても有効である事を、鬼鮫は良く知っていた。尤も、彼女は本当にお姫様──未来の王国から、現代を救う為に遣わされたエルフの姫君だったのだが。
 お姫様と呼ばれて気分を良くした玲奈は、きゅうっと唇の橋を吊り上げて笑う。
「わかったわ。お姫様たるもの、武術も嗜むの。目にもの見せてくれるわ」
 玲奈はそう言って腕捲くりをし、件の桜の木へと歩み寄っていく。鬼鮫は一つ息を吐いて、その後ろに従った。


 * * *


 桜の根元を掘り返す。太く張る根を避けて無遠慮に掘り進むと、そう間もない内に異質なものが二人の視界を掠めた。
「これは……動物の額?」
 早速ビンゴだろうか。玲奈がもう一度手を入れると、それはむくりと身を起こして這い出て来た。驚いて瞬く玲奈の視界の下で、掘り返された動物──可愛らしい猫が、姿通りににゃあんと一声鳴いてどこかへと駆け去って行った。
 ──どうして猫が桜の木の下に埋まっていたんだろう。玲奈と鬼鮫はそう思わずにはいられなかったが、まだ死体は見つかっていない。拍子抜けしている場合ではなかった。猫の事を記憶の中から追い払って、更に土を掘り返していく。

 玲奈の手が、何かを掴む。引き摺り出してみると、ネクタイだった。特にその先に、死体がくっついているという訳でもない。
「いや、それはタイ違い」
 思わず鬼鮫が突っ込んだ。玲奈は無言でネクタイを放り出し、再び掘る。指先に触れた硬質な感触を掴み、彼女はそれを土中から引っ張り出した。
「……これは合体」
 玲奈が細目になって呟き放り出したのは、一昔前にテレビで放映されていた合体ロボットの玩具だった。
 ──無論死体が見つかるまでは、否この案件が解決するまでは、止められよう筈もない。二つ続いたタイ違いに玲奈は嫌な予感を拭い切れ無かったものの、それでも桜の木の下を掘り続けた。
 けれど出てきたのはちゃぶ台、包帯、酒の一種であるマイタイ、挙句は屋台──どうやって埋めたんだこんなもの、と鬼鮫は呟かざるを得なかった──つまり、死体やそれに準ずるものは出てこなかったのである。
「タイ違いって突っ込むのも疲れちゃった……」
 はあ、と嘆息して玲奈はかぶりを振った。ほぼ十割の確率で悪戯だと確信しながらも、もう一度、と土を掘る。
 当然のように何かが指先に触れて、今度は何のタイ違いだろうかと考えながら玲奈は土を払った。そこを覗き込んで、──彼女は眉根を寄せた。

 ──土中から露出していたのは、紫色をした人間の「肢体」の一片だった。

 あれだけ緩んでいた玲奈と鬼鮫の二人の間に、瞬時に緊迫した気配が走る。切り替えの速さは、流石のIO2所属だ。
「妖気、」
 呟き、険しい表情を浮かべて鬼鮫が刀を抜く。まるで鞘走ったのかと思い違えてしまいそうなほど、その抜刀は自然な動作で行われた。
 けれど鬼鮫が斬り掛かる前に、玲奈がその肢体を庇うようにして両腕を広げる。訝しげな、驚いた風貌で視線を寄越す鬼鮫に向けて、玲奈はふるりと一度首を左右に振った。
「殺しちゃ駄目よ!鬼鮫」
 彼女の意図を測りかねて、鬼鮫がどうしてだと問おうと唇を開き掛けた時に、玲奈の背後からどろんと煙が立ち上る。まるで彼女の声に呼応したかのようなそれに、鬼鮫は視線をそちらへやった。玲奈が正体を現した「それ」を、大事そうに抱え上げる。
 ──その細い両腕に抱き抱えられていたのは、愛くるしい大きな目つきの、金目鯛の妖怪のようだった。
「どうしてこんな所に……」
 囁きながらも、鬼鮫は刀を下ろさない。
 玲奈に抱かれる金目鯛の妖怪は、抱える彼女と言葉なき会話を交わしているようだった。切なげな金目鯛の瞳に、玲奈が幾度か頷いて見せる。それからきゅうっと唇を噛み締め、鬼鮫の方を振り仰いだ。
「判ったわ!この子、お母さんに先立たれて寂しかったのよ!」
 玲奈は鬼鮫に向け、訴えるように捲くし立てる。
「構って欲しかったの!もう悪戯しないって言ってる。人畜無害な妖怪は殺さない規則でしょ?」
「──ったく、」
 懇願するようにも聞こえるその声音に、鬼鮫は暫し迷った後、根負けしたように刀の切っ先を下げた。それでも彼女が、玲奈が言うのだから、金目鯛の妖怪が人畜無害である事は間違いないのだろう。

 この状況を作り出した、謂わば元凶である金目鯛の妖怪の子は、玲奈の腕の中でにこにこと笑っているかのように見えた。出来た遊び相手に、或いは構ってくれた二人に、ありがとうとでも伝えるかのようにぱくぱくと口を動かして。


 * * *


 ──その日、とある喜劇場の舞台には玲奈が立っていた。
 玲奈はどこからともなく木槌を取り出し、相手役──といっても、彼の役柄は痴漢だったのだけれど──に対してそれをひけらかす。痴漢はごくりと喉を鳴らし、舞台上を後ずさった。
「さあて、どこから出したー?」
 にんまりと笑って痴漢を追い詰める玲奈に、客席がどよめく。忽然と現れた木槌に、どんな仕掛けだろうと感心する者もいたし、痴漢された少女の逆襲という劇中の場面に、けらけらと楽しげに笑う者も勿論いた。

 楽しげな気配に満ちる喜劇場を、舞台袖からそっと見守る存在がある。
 ──金目鯛の妖怪が、自らの特技で観客たちが喜んでいるのを見、嬉しげににこにこと笑っていた。拾ってくれた劇団に、大道具係としての務めを果たす事で恩を返せたのだ。

 金目鯛の妖怪は、あの日と同じくありがとう、と小さく呟いた。それは舞台上の玲奈に向けたものなのか、それとも笑ってくれている客席に向けたものなのか、はたまた拾ってくれた劇団に向けたものなのかは、定かではない。
 それでもその「ありがとう」は、とても暖かな響きに満ちていた。





─────Fin.