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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗殺指令

 大義の為でもあるし、自分の為、でもある。
 組織から気遣われている面があるのも、わかる。
 どちらもきちんと噛み合っている。
 間違いなく、利害は一致している。
 なら、指令を出す方が迷う事など、ない。
 民主主義に悖ると言われようと、組織は――IO2は元々超国家組織。民主主義など関係無い、ただ、この世に『あってはならない』超常的な真実を世間から隠し通し、無用な混乱を避け人々の安寧を保つ為だけに動く機構だと答えは返される。
 その為ならば、行いが非人道的だと言われようと、それは痛くも痒くもない。
 …実際に、その非人道的な指令を与えられる者の心など、気にも留めない。

 取り返しが付かなくなる前に。
 ――――――大きな声で、不都合な事を言っている相手の口を、秘密裏に力尽くで塞ぐ。

 そう、求められた。
 …暗殺指令。
 組織の者として、自分の能力を考えた上で、機械的に行動だけを考えるなら、一番簡単かつ迅速に行える効果的な方法かもしれない。
 けれど。
 心の面では。
 何より一番難しい方法になる。

 少なくとも、表向きは女子高生と言う顔を持ち――同時に、母の遺言に背けない三島玲奈にとっては。



 …選挙戦も終盤に至る頃。
 三島玲奈は組織に呼び出された。
 そこで。

 与党環境党の失政に挑む若き党首の、暗殺指令が下る。

 え、と思う。
 瞬間的に頭が真っ白になる。
 何を言われたのか、よくわからない。
 わからないから、聞き直す――実際に聞き直す前に、まず手渡された資料に目を落とす。
 聞き違いでも勘違いでもない…間違いない。その顔はここのところテレビでよく見掛けていた…ちょっと良いなと思っていたおじさんだったのである。…何と言うか、好みの美男子で。清廉を絵に描いたような人物と言うのもポイントが高い。で、時期が時期なので色々人物を解析しているような番組も良く放送されており、それらでも実際に非の打ち所は見当たらない。子煩悩で柔和な善人。…玲奈は選挙権はまだ無い歳だが、そんな理由で一応チェックは入っていた候補者のおじさん。
 …そんな人物の写真と情報が、暗殺対象として渡された資料に載っていた。
 黙読で読み進める。

 その人物が暗殺対象である理由。
 それは――掲げる公約、に尽きる。
 何かと言えば、ある疑惑の解明。
 政府保有の大型宇宙船玲奈号、その実体はテロ集団から鹵獲したバイオ兵器、宇宙怪獣だと言う疑惑。

 ――…四万年後の未来、衰亡した人類は容姿、文明共に妖精レベルに退化しており、機械から進化した竜に脅かされている。形勢逆転を狙った時の王朝はその龍を凌駕する生物兵器の技術を過去へ送信。その情報が虚無の境界に流出し実際に建造に至るがIO2が押収に成功。

 それが玲奈号だと言う。
 勿論、それをそのまま言っては「何処の電波だ」で終わりだが、彼はそこで終わらせる気は無い。当然のように大衆が理解し易いよう北の某国だの何だのと耳触りの良い脚色はしている。しているがそれでも――真相に近い情報を既に暴露している。その時点で、彼が何処からか真相の情報を得ていると言う事は確実で。
 そして幾ら荒唐無稽に聞こえる話であろうと、裏に真相がある事は――言葉の底の部分で伝わる相手には伝わってしまうもので。
 結果として、国内は騒然とする。
 火消しをするなら今しかない。
 …そうなる。

 そしてその話の真相は――玲奈本人を指す。
 虚無の境界に技術が流出した理由。それは、末期癌を患った玲奈の母親が延命の為胎児を虚無の境界に売り渡したから、になる。
 それから後、玲奈は兵器のコアとして育っている。
 真相究明で玲奈の命運は尽きる。
 だからこその、IO2からの気遣い――も籠められているのだとわかる。
 けれど。

 …候補者のその『子』も殺せと言われた。

 言われた途端。
「――…イヤですッ!」
 玲奈は反射的に拒絶する。
 嫌だ。
 拒むと、その理由もまた明かされる。
 その子供は成長の後、大物の歌手となり曲で若者を徴兵制へ導く危険因子、と言う未来が待っているのだと言う。
 何も言い返せなかった。
 未来の事など何も決まっていない、などと玲奈には言えない。自身が既にその産物。ならばその玲奈に対してそう言い切れる時点で、少なくとも己の存在する現実に於いては――それは確定した、別の可能性を見出せない未来なのだとわかる。
 けれど、嫌だと言う気持ちは変わらない。
 心情でも、己の誓いに照らしても。
 玲奈は母親の――そして自らの贖罪の為、己の持つ超生産力を医学に捧げる使命がある。
 その玲奈が、何の罪も無い親子を殺す。
 …殺さなければ後に混乱の未来が待っている。
 わかっていても、心で納得出来ない。
 事実、の隠蔽。
 暗殺と言う卑劣な行為。
 それに依って成る正義。
 …しなければならないとわかっていても。
 玲奈は唇を噛み締める。

 その脇で。
 玲奈と同時に呼び出され、同じ任務を言い渡されていたディテクターと言うコードネームの男は――玲奈とは対照的に、何も言わずに踵を返す。言われた通りそのままの理解。粛々と任務遂行に移る為。
 ドアの向こうに去り際、行くぞとだけ玲奈に声を掛けた。
 その内面に葛藤はあるのかないのか、外からは全く見えない。



 候補者が社長をしている精錬所。
 そこに侵入し、隣接する重装甲の邸宅を狙う。
 …IO2戦略創造軍情報将校である玲奈の力を使えば、侵入自体は容易い。
 精錬所の建物自体のセキュリティは――幾ら通常の範囲内で強固であっても、物理法則すら捻じ曲げる力を持つ玲奈の身にしてみれば全く関係が無い。
 狙撃ポイントに到着する。
 玲奈は持参した対物狙撃銃を構え、スコープを覗いて、狙う向こう側を見る。

 ――。

 その網膜に映ったのは、幸せそうな父娘の団欒。
 思わず飛び退くようにしてスコープから目を離してしまう。
 …これを、撃つ。
 あたしが。
 玲奈は唇を噛み締める。
 強く噛み締め過ぎて、つぅ、と血が伝った。
 そんな玲奈に、ディテクターの視線が注いでいる。
 何も言わない。
 表情も変えない。
 …何を考えているかわからない。
 ただ、玲奈が本当の意味で心を決めるのを待っている。
 玲奈はここまで来てもまだ心が決まっていない。それは、ある意味当然でもあって。自分が普通の人間であったならIO2で無かったなら。こんな世界の事を欠片も知っていなかったら。…こんな事はする必要が無いと無知なまま単純に拒める。けれど、わかってしまっているから、それが出来ない。
 しなければならないのに。
 したくない。
 あたしは腕が――指が動くんだろうか。
 二人を狙撃する為に。
 玲奈は己の手を見詰める。
 わからない。

 思いながらぎゅっと目をつぶったところで。
 ぞっとするような風圧が背後――殆ど真上から来た気がした。
 玲奈は銃を持ったまま、咄嗟にその場で横に思い切り転がる。風圧の正体。避けたそこで見たのは、つい今し方まで自分が居た位置。複数の着弾がコンクリを削っている。一拍置いて、それもまた大砲の如く飛び込んでくる、禍々しく揺らぐ影を引き摺った屈強な体躯の男――但し、生きている体色では無い。
 そして、持っている強襲銃の禍々しさと揺らぐ影があまりに異様。まるで、怨霊ででも出来ているかのような――…。

 …――霊鬼兵。

 見た時点で、玲奈はそう悟る。
 悟った時点で、霊鬼兵は強襲銃の銃口を玲奈に向けている。そして引金を引く――否、まだ引金に触れるか触れないかと言う時点で。
 ディテクターが擲弾筒付ライフルをその指に向けて撃っている。…命中。着弾の衝撃で引金から手が弾かれる。弾かれた拍子に霊鬼兵の指が飛び、強襲銃が踊り予期せぬ弾が周囲にバラ捲かれる――玲奈と霊鬼兵両方に着弾。けれど霊鬼兵は無反応。霊鬼兵は弾かれた手とは逆の手に別の銃を召喚、一拍の遅れも澱みも無くディテクターに向け連射を開始する――撃ちながらずんずんとディテクターに向かって早足で歩いて行く。
 ディテクターからの反撃もあるのに霊鬼兵は避けもしない。ディテクターからはいちいち的確な銃撃が届き狙い通りに霊鬼兵に着弾しているが、それが効いていないに等しいとなればどうしようもない。…玲奈が初撃を転がり避けたのと同タイミング、ディテクターもまたすかさず飛び退いている。その上でディテクターは玲奈を守る形に霊鬼兵の指を撃ち、自分は陽動に出る事を選択した。咄嗟の事。この思わぬ邪魔者を何とかしなければ。そして任務もこなさなければならないが――これでは自分は、そちらは出来ない。
「玲奈ッ」
 強く名を呼ばれる。

 撃て。

 そう籠められた叫びだと、わかる。
 それで。
 …玲奈は狙撃態勢に戻る。
 スコープを覗く。
 スコープの向こう側を見る。
 向こう側ではまだ気付いていない。
 任務続行可能。
 けれど。

 ――――――引金が引けない。

 爆音が背後で聞こえる。擲弾が炸裂した音。重なる数多の銃撃の音。
 硝煙の臭い。
 スコープの中を見据える。
 どうしても引金に掛かる指が動かせない。
 自分の指が震えている事に玲奈は自分の目でちらと見て初めて気付く。

 ――――――タタッ、と数度の小さな衝撃が己の背を打った。

 直後に、灼熱。
 痛み。
 …背に、着弾した。
 霊力防御された衣服である筈なのに、あっさり貫通しその背を傷付けている。…それは怨霊が武器化した強襲銃の銃弾だからか。この霊鬼兵にはこちらの正体も知れている訳か。
 背に熱いものが流れている感触が玲奈にはわかる。己の血。知覚する間にもまた細かい衝撃が続く。銃撃。もう、弾幕と言って良い状況になっている。

 玲奈はそこに、まるで無防備な状態で、晒されてしまっている。

 それでも。
 動けない。
 狙わなくてはならないから。
 けれど、撃つ事が出来ないから。

 どうしたらいいかわからない。
 己の痛みなど二の次になる。

 弾け飛んでいたのはスカートの布地。
 自分の身体的な事情――亜人間サーバントであり人狼のジーンキャリアでもある必然の為、下に着ているビキニと体操着、その上に着ている衣服はもう、原型を留めていない。
 玲奈の姿が赤く染まっている。
 その身を包む血煙。
 やがて、体操着すらも、その身に纏わりつくどす黒い赤に染まった襤褸切れの一部と化している。

 玲奈は数多の衝撃と貧血でくらくらする。
 それでも、動けない。
 避けている余裕が無い。
 撃てもしない。

 いつしか、銃撃とは別の音が混じっている。
 降ってくる、雨の音。
 強い音。
 ………………だからこそ、狙う相手にまだ気付かれずに済んでいるのかもしれない。
 スコープの中の夢みたいな団欒は、変わらない。
 雨が玲奈のその身を伝う。
 いや、雨が降る前から伝っていた。
 傷口からの血だけでは無くて、頬にも。

 涙が。
 …玲奈本人は気付いていない。

 銃撃と雨の音に混じり、ディテクターの声がする。
 けれど、玲奈には聞こえていない。

 既に、その身に残っているのは人狼化して服が破れた時用のビキニだけ。
 後は、ただ赤く塗りたくられて。

 それでも、撃てない。

「貸せ! 漢の仕事だッ!!」

 血煙舞う弾幕の狭間で。
 気が付けばすぐ間近にあったディテクターの姿、その怒鳴り声が、何故か、妙に遠くで聞こえる。
 玲奈の身を突き飛ばし――突き飛ばそうとし、玲奈が父娘をポイントしていた対物狙撃銃を、代わりに操ろうとしている。
 玲奈は突き飛ばされるまま、何の抵抗も無く転がってしまう。

 ああ、と思う。

 ディテクターが、つい今し方まであたしが構えていた対物狙撃銃を構え、スコープを覗くのが見えた。
 次の瞬間。

 ――――――あたしは頭が『結果』を理解するのを拒否した。

【了】