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<東京怪談ノベル(シングル)>


     神様と理想郷

 水辺が昼の太陽に照らされる頃。
 青々と澄んだ水に尾を浸し、岩場に腰をかける幼い人魚がいた。
 その水辺に近くに、青い髪をした蝙蝠娘、みなもが降り立つ。
 隣に位置する獣人の森には、月光が差し込んでいた。
「あの、すみません。薊姫様……ですよね?」
「なんじゃ、お主は」
 恐る恐る尋ねかけるみなもに、黒髪の人魚が紫の瞳を向ける。
見るからに年上の相手に対しても、尊大な態度を崩す気はないらしい。
「海原みなもです。……やっぱり、可愛いですね、金魚さん」
しかしみなもは、気にもせず、ひらひらと踊る赤いヒレをじっと眺める。
 丸っとした下半身。大きさこそ人の身体に合わせているが、その魚の尾は、誰しもが見覚えのある――金魚のそれだった。
 一見すると海のように見えるこの水辺には、淡水の生き物も海水の生き物も関係なく共存しているのだ。
「よくわかっておるではないか。しかし愛らしいらしいだけではないぞ。わらわは聡明かつ気品ある『神』じゃからのう」
 黒髪の人魚、薊姫は得意になって高笑いをする。
 そう、神様。以前そう耳にしたことがあるからこそ、みなもは彼女を探していたのだ。
「あ。これ、東京銘菓です。それから、少ないですけどお布施? えーとお賽銭? です」
 みなもは下げていた紙袋を薊姫に渡す。
「なんと、よくできた娘じゃのう。近頃は礼儀を知らぬものも多いというのに、立派な心がけじゃ。気に入ったぞ、みなもとやら」
 すると、相手は機嫌をよくして嬉しそうに言葉を返す。
 神と名乗ってはいるものの、見た目どおり子供っぽい性格のようだ。
 早速、紙袋から包みを取り出し、お菓子を口に放り込む。
「む、うまい。甘くて美味じゃぞ。お主もどうじゃ?」
 差し出されたお菓子を受け取り、一緒になって食べる。
 夜の森にぶら下がる蝙蝠娘と、昼の水辺で休む人魚が、共に東京銘菓を頬張る……中々、不思議な光景だ。
「……それで、お主は何を悩んでおるのじゃ?」
 単刀直入に尋ねられ、みなもは思わず言葉を失った。
「ど、どうして悩んでるって……」
「わざわざ手土産持参で話に来るときは、たいてい相談事じゃ。賽銭も、近頃は祈願の際に供えられることが多いからのう」
 小さな手を舐めながら平然と答える薊姫。
「そう。そう、なんです。実はあたし、薊姫様に相談があって」
「様はいらんぞ、堅苦しい。それから賽銭も後でよいぞ。元々は祈願が成就した際に感謝の意を込めて奉納するものじゃ」
「え、そうなんですか? 知りませんでした」
 正月の初詣といい、寺社にお参りにいくときには普通、お賽銭を入れるものだと思っていた。祈願の際なんて尚更、入れて当然だと思っていたけど。
「話を聴いてみねばどうにもならん。わらわがいくら優れた神とはいえ、できることとできぬことがあるからのう」
「それ以上の報酬は受け取らない、ということですね」
「愚かな連中が相手ならば、適当にもらっておくがの。世の厳しさを教えてやるためにもな。じゃがお主は、あえて諌める必要もなかろう」
 尊敬しかけたみなもに、薊姫はころころと笑う。
 一応、神様のはず(あくまで自称)なのだが――本当に彼女に相談してよいのかと、少しだけ不安になる。
 けれど多分、彼女なら嘘のない、率直な答えを返してくれるような気もした。
「……実は」
 みなもはためらいつつも、悩みを口にした。
 それは――この世界に対する不安。
 今まで、みなもはこの夢世界を安定させるために試行錯誤を繰り返してきた。
 何度も迷い、失敗してきた。
 このまま進めば『理想郷』が見えてくるような気もするし、破滅につながってゆくような気もする。
「不安なんです。あたし、まだこの世界のこと、何も知らなくて――」
 ここで生活している住人なので、普通の観光客よりは詳しい。ともすれば、案内人よりも。
 だけど、それでもわからないことは多い。
 いつの間には増えていた、禁止区域の植物。急速に変わってゆく世界。
 『虹色の卵』や『神の降り立つ場所』も、その実態は謎に包まれたままだ。
 ただ、噂にも近い伝説を耳にするだけ――。
 そんな自分が、この世界に干渉していていいのだろうか。もしかしたら、滅びをもたらすだけなのではないかと。
 想いを吐露すると、薊姫はぽりぽりと頭をかいた。
「……それで、お主は何に悩んでおるのじゃ?」
「え?」
 一瞬、言葉の意味がわからなかった。みなもは思わず、きょとんとしてしまう。
「世界のことを全て把握できておるものなど、そうはおらんと思うぞ。わらわにしても、依然、この世界のことは不可解じゃ」
「そ、そうなんですか?」
 神様なのに、という言葉を、みなもは慌てて呑み込む。
「しかし、理解しようとするのはよいことじゃ。共に考えてみようではないか。例えば『虹色の卵』……確か、お主の住まう翼人の浮島の地にあるものであったな」
「はい。浮島では建物も植物も全て海に向かって逆さに生えてますから、その裏側の、平らな大地に。浮島から見ても何もないんですけど、獣人の森から見ると、虹色に輝く大きな卵が見えるんです」
「森から弓矢で放って実態を確かめたいところじゃが……さすがに距離がありすぎる。届くのは難しいじゃろうな」
 だ、誰かと似たような発想を……。攻撃を仕掛けようとする物騒な考えに、みなもは冷や汗をかく。
「ちなみに、お主は『卵』とはどういうものだと思う」
「卵、ですか? どういうものって、食用にもされますけど、基本的には哺乳類以外の生物が子供を産むときの……」
「そうじゃのう。何かが生まれるためのものじゃ。そしてそれが、翼人の浮島にある。ならば、生まれてくるのは?」
「鳥にしては、大きすぎます。それに、どうして浮島からは見えず、触れることができないのかは」
「他の翼人とは違うのかもしれん。希望だの絶望だのという形のないものを秘めておるのかもしれんし、実態のない、もしくは本来ならば目に見えぬ何かなのかもしれん」
 形のないものの卵。希望の塊ならばいいけれど、もしそれが絶望ならば……その卵が割れたときが、世界の終わりだということだろうか。
 考えただけでも、ぞっとする。
「……話は変わるが、『神の降り立つ場所』というのは、獣人の森、人魚の水辺、翼人の浮島、それぞれに存在するのであったな」
「はい。とても綺麗なところで、本当に神様が……」
「『降り立ち』そうか?」
 試すような口調で聞き返され、みなもはハッとした。
 降り立つ……自分が翼人だったせいもあり、その言葉に違和感はなかった。
 だけど、確かにその言葉は……地を歩く獣や、水中を泳ぐ魚には似つかわしくない。
 もちろん、岩場を飛ぶように駆け回る獣や、舞うように水中を漂うクラゲなどには、使えなくもないだろうが……やはりしっくりくるのは、翼を持つものだろう。
 実態のないもの。もしくは、本来ならば目に見えない、何か……。
 それは、もしかして。
「……あれは、神様の卵なんでしょうか?」
「それはわからん。だが、よい方に考えておった方が、お主にとっても都合がよかろう」
「あたしが、ですか?」
「不安は、安定を崩す。心が乱れれば、世界も乱れるのじゃ」
 言われて、みなもは危険区域の植物たちを思い出した。
 外部からの干渉もあったとはいえ、あれは自分の心の闇が具現化したものでもある。
「あたしは、どうしたらいいんでしょうか」
「悩まぬことじゃな。難しく考えんでも、なるようになる。それができぬのならば、徹底的に考えて答えを見つけてしまうことじゃ」
 さらりと告げられるが、簡単に実行できることではなさそうだった。
 みなもは思わず、肩を落としてしまう。
「気に病むな。影響を与えるからといって、悪い結果になるとは限らん」
「でも、危険区域の植物は――」
「確かにあの区間は立ち入り禁止になったな。しかし、すぐに消え去った」
 それは、みなもが姉と共に調査をしたからだ。
 そしてそこで……人と接したいと思いながらも他人を拒絶する心。それでいて、結局は他人を求める、矛盾に満ちた心の闇を知ったのだ。
「わらわには、あれが危険なものだったとは思えん。傍に寄らねば危害を加えることはないし……ともすれば、可能性の1つだったのかもしれぬしな」
「可能性、というと?」
「この世界は、めまぐるしい速度で変化しておる。よりよい環境をつくりあげようと、皆の望みや期待に応えようと、世界自体が動いておるのじゃ」
 夢世界は人の想いに左右されるのだという。悪い感情もそうだが、このところの急激な変化は世界が人々の希望や期待に応えるためでもあったのだ。
「だが『よい環境』にも色々ある。例えば文明の発展した便利な場所か、原始的だが自然に満ちた場所か、より神の力が干渉する、幻想的な場所となるのか」
 みなもが暮らすもう1つの場所は『文明の発展した便利な場所』に近いだろう。少なくとも、この夢世界よりも不便さは少ない。
 けれどそれに近いものを求めるのかと問われれば、否、と答えることになる。
 現在の夢世界は、自然が多く原始的な場所だ。
より神の力が干渉するということになれば……場合によってはあの卵から神が生まれる、というようなこともあり得るのかもしれない。
 とにかく、今まで以上に不思議なことが起こる世界になる、ということだろう。
「お主が望む理想郷は、どのようなものだ? 具体的なイメージがあれば、それに近いものがつくりあげられるであろう」
「……あたしはでも、怖いんです」
「何がじゃ」
「あたし1人が、世界の鍵を握ることになってしまうのが。だって、ここでは沢山の仲間が生活しているのに。自分の思うままのイメージに、つくり変えてしまうなんて……」
 何が正解かなんて、わからない。自分にとってよいものが、他人にとってもそうだとは限らない。
 だからこそみなもは、恐れているのだ。
「おもしろい娘じゃのう。意のままになる世界よりも、思い通りにならぬ世界を望むのか」
「だって、あたしは神様じゃないですし……何かすべきかだって、わからないままで」
 ただでさえ、自分がこの世界に与える影響を不安に思っているのに。
 同時に、責任も感じる。この世界や、ここに住む人々が安定した幸せを送れるように。
 だけど、どうすればそうなるのか。考えてみても、よくわからない。
「わからんでもよい。やってみて、無理だと思えばやめればよいだけの話じゃ。この世界もそうじゃぞ。何かが生まれたと思えば、いつのまにか消えておることもある。試行錯誤を繰り返しておるのは、同じじゃな」
「でも、何か重大な失敗をしたら」
「そのときになってから考えればよい。……例えば、そうじゃな。わらわはこの美味なるものがとても気に入った!」
 いきなり、薊姫はずいっ、とお菓子を突き出した。
「もちろん気に入らぬ可能性もあったわけじゃ。わらわは好き嫌いが激しいのでな。しかしそれは、食うてみねばわからん。だが例え気に入らなかったとしても……わざわざ用意してくれた、お主の気持ちはとても嬉しい」
「……薊姫」
 重大な失敗と並べるにはあまりにも不釣合いな内容だった。それでも、必死にフォローしようとしているのがわかる。
「人を大切に想い、感謝することを、お主はとうに知っておるではないか。その気持ちさえあれば、取り返しのつかない事態にはならぬと思うぞ」
「そうでしょうか」
「うむ。お主は、もう少し自信を持った方がよいな。大丈夫じゃ。いざとなれば、わらわが力を貸してやろう」
 それでも不安がるみなもに、薊姫は小さな身体で胸を張る。
 どう見ても子供にしか見えない金魚姫に、みなもは思わず笑みを浮かべる。
「話を聴いてもらって、ありがとうございます。ちょっとすっきりしました」
「わらわも楽しかったぞ。また遊びに来るとよい。お主ならば歓迎じゃ」
「じゃあまた、これ持ってきますね」
「うむ。次は飲み物も欲しいものじゃな。浮島や森には『じぅす』なるものがあるそうじゃが、水辺では中々お目にかかれん。何かこう、あっさりした、甘いものに合うものがあるとよいのじゃが」
 お菓子に合うといえば、やはりお茶だろうか。確かに、花の蜜や果汁を使った飲み物はあるけれど、この世界にお茶はなかった気がする。
「そうですね。今度何か、探してみます」
「しかし、食生活が変われば、形態も変わる。新種の生き物が生まれるかもしれんな」
「う、そういわれると、何だか怖いですけど」
「よいではないか。わらわは、『可能性』というものが好きじゃぞ。先のことはわからぬからおもしろい。よくも悪くもな」
 薊姫はそう言うと、とぷんと水の中に飛び込んだ。
 頭だけを出して、みなもにぶんぶんと手を振ってから、また水中へと潜ってゆく。
 随分と楽観的な神様だ。しかしそうしたところは自分にはないので、見習うべきなのかもしれない。
 怖がるばかりではなく、楽しむということ……ここは夢世界なのだから、文字通り夢を描けばよいかもしれない。
 そう思いながら、みなもは空へと飛び立つのだった。


         END