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<東京怪談ノベル(シングル)>


- Black wing -


 それは入梅手前の頃。
「――んで、何だよ?」
 馴染みの探偵草間に呼び出されると、随分長い話を聞かされ今に至る。要するに、話の半分以上はまともに聞かず、右から左へと抜けていた。
「今言った調査に協力して欲しい。今回はお前の力が必要な気がする」
「なんだそれ?」
 あまりにも真剣な草間の表情に妙な引っかかりを感じながらも、おいそれと依頼を受けるわけもない。
「俺の勘、だがな…とにかく一緒に――」
「いーやーだ」
 草間の言葉を遮ると、古びて座り心地の悪いソファーからようやく腰を上げと窓際へと移動した。
 外は気持ちの良い青空が広がっていて、この近くで草間が言うような異常的、かつ突発的な土砂降りの雨が不自然に、そして頻繁に起こっているなど考えられない。
「お前な、人の話は最後まで聞けって……おい!?」
 背中にまだ何か言う声を聞きながら顔だけ少し振り返ると、半分程開いていた窓を全開にし、わざとらしく大きく溜息を吐いてみせる。
「なあ、話はもうそれで終わりだろ? じゃーな、っと」
 そうして窓枠に手足をかけると、そのまま下へと飛び降りた。上から草間の呆れたような声が降ってきた気がしたが、そのまま上を見ることなく歩き出す。
 途中、電器店の店先に並ぶテレビから聞こえた天気予報では、今日は一日を通して晴れで、傘の必要は無いとキャスターが自信満々に話していた。
 草間が言うには、その怪奇的な雨は少し前に流行ったゲリラ豪雨とも違う形らしい。
「時間帯は昼夜問わず、現場の中心ではいつも同じ女の姿が目撃される――か」
 頭に残っている話を整理すれば怪奇現象の類だろう。草間の珍しく真剣な表情から思い浮かぶ事はいくつかある。
「人間じゃないヤツが一枚噛んでるのは確かなんだろうが……そんな手に負えないようなヤツなのか?」
 ピタリ足を止め、足を向けていた方向とは違う方へ目を向けた。女の存在がどうにも脚の動きを止めそうになるが、おそらくさほど手を患うことは無い。そう思い、目を向けた方向へと足を向け直し歩き始めた。


    □□□


 都心部から少しだけ離れた閑静な高級住宅街。なんら異常の無い街並みだと思っていた。けれど、なぜか遠くから響く異様な雨音。その異常な光景は、電柱の上から周囲を見渡し見ることが出来た。
「あいつ、か」
 住宅街の中心、半径数十メートルの範囲に限り雨が降っている。それも綺麗に円を描く範囲でだ。そこだけ上空には灰色のどんよりとした雲が集まり、その中心に居るのが傘も差さず立ち尽くす一人の女。
「やっぱ妖怪…だよな?」
 電柱を渡り歩き近くまで行くと、ようやくその人物を間近で見る。状況から察するに、やはり雨女の可能性が高い気がした。
 雨女は地方によっては様々な伝え方がされてはいるものの、大抵は無害である。今回の場合も、連日局地的に大量に雨を降らせている以外の被害報告も特に無い。一旦場所を変えさせ、何か希望があるならばそれを聞いてやるのも良いかと考える。
「おいおまえ、そろそろこの辺りからは立ち去んねえか? じゃねーと、そろそろ面倒な人間が動き出すぞ」
 距離と雨音はあったものの、女は声に気づき顔を上げるとこちらを見た。けれどそのまま動きは止まり、返事をするでもない。
「動かないつもりか……んなら」
 懐から笛を取り出すと、すぅっと息を吸い音を奏でた。女は前を向き、考えたとおり動き始める。その動きに合わせ、自分も雨に濡れぬよう電柱を渡り歩く。
 この先川や山へ誘導するのは災害の危険を招くので、出来るだけ水捌けの良い無害の地へ移動させる――そんなこれからの進路予測を頭の中で立てていた時だった。
「……あなたが…天波慎霰、なの?」
 不意に女が顔だけ振り返り口を開く。
「なんで、俺の名――…っ?」
 刹那、後ろに何かの気配を感じ振り返る。此処は電柱の上、周囲に高い建物も無い筈だ。
「おや、気づかれたのですか」
 男の声と同時、身体がいつの間にか宙を舞っている事に気づく。やがて天地が逆さまになった状態で眼に映ったのは、黒衣を纏った男の姿。そして、その背後に舞い散る漆黒の羽。
「黒の――翼……俺と、同じ?」
 思わず目を見開くと、男はさも不愉快そうに顔を歪めた。
「日本の妖怪などと同じ扱いはしていただきたくないものですね」
「人間の能力者、ってわけでもねえな、おまえ」
 ようやく落ちる身体を起こすと、間近に迫っていた地にふわりと下りる。それと同時、強い雨が打ちつけた。すぐ後ろには女の姿。挟まれているのか、それとも女は危害を加えてきそうも無い故無視して良いか。顔に張り付く髪の毛を掻き上げ考えを巡らすと、その迷いには電柱の上に降り立った男が答えを出した。
「彼女は単なる囮に過ぎません。こうして怪奇現象を起こし続ければいずれ君が現れる、そういう計算」
 そうして男は笑みを浮かべ手を上げる。
「なっ、ん…!」
 突如足元がぐらつき、次にはアスファルトの地面に亀裂が走り出した。崩れる――そう思った瞬間地を蹴り、男が立つ場所とは遠い電柱へと上りつめる。上空から見下ろすと、何が起きたかは一目瞭然だった。
 今まで自分が立っていた付近を中心に、住宅街が陥没している。範囲はさほど広くは無く、高級住宅街ゆえか巻き込まれた場所のほとんどは庭で、家がなくなっているようには見えなかった。辺りに人の気配もさほど無かった筈。巻き込まれた人間は居ないだろうが、止み始めた雨と先ほどまであったはずの姿がそこに無いことに気づく。
 彼女は囮に過ぎないと言っていた。結果的に巻き込む形になってしまったが、そういうことなのかもしれない。
「――――俺は、君を崩壊しに参りました」
 これでは町を崩壊するの間違いではないかと皮肉混じりに言えば、それも趣味の一つだと、表情を変えないまま言われた。
「俺、おまえのこと知らねえんだけど」
「俺も君を知りはしません。ただ言われたままに破壊するだけ、です」
 言葉から、誰かの依頼を受け此処に居ることは分かったが、それがいつの誰かは見当も付かない。第一、こういうことは今まで少なくは無かった。力の大きさから今回は少しばかり面倒そうな相手にも見えるが……。
「…………ん?」
 そこまでは良かったのだが、今になって手元に笛が無いことに気づいた。そう言えば何かの拍子に手放した、かもしれない。状況から、あるとすれば陥没した地面の中か。思わず気の遠くなるような瓦礫の山に目を向け舌打ちをした。
 勿論、笛を使った事だけが力の全ては無い。ただ――。
「余所見するな!」
 突如向けられた声に、反射的に身体が動く。鼻先を掠めていった風が、皮膚を僅かに切り裂いたのを感じた。体勢を立て直しそれが来た方向を見れば、明らかに男がいる方角からの物。
 そして声から察しはついていたものの、聞こえた方を見ればそこにはやはり草間の姿がある。
「お前なっ、来るなら来るで一言そう言っていけ!」
「別に依頼受けたわけじゃねーだろ! おまえこそなんで居んだよ」
「おいおい、助けてもらって何だその口の聞き方は……いや、まぁいつものことか。依頼された探偵が現場に来るのは当然のことだろ」
 草間はこちらを見ながら、最後には普段からは想像も出来ない台詞を吐き、今度は男を見ると小さく悪態吐いたように見えた。それが何かは良く聞き取れなかったが。
「いや、別に助けてもらった覚えもねえし、頼んでねーし。それになんだよこれ」
 興信所で聞いた話とまるで違う。いや、確かに間違ってはいないのだが、何かを知っているような草間の言動から、あの時から既に大切なことが隠されていた気がしてきた。
 案の定草間は「まずは下りて来い、この距離じゃろくに話が出来ない」と言うと、男に無言の視線を向ける。視線を受けた男は、最初こそ笑みを浮かべ続けていたものの、やがて僅かに眉を顰めわざとらしく肩をすくめた。どうやら一時停戦のようだ。
 草間の隣に降り立つと、早速本題へと突入する。
「この問題、今まで他の奴に頼んでもどういうわけか女自体が現れなかったんだ。けれど、確かに現象は続いていた。まるで誰か訪れることを待っているように、だ」
「それが俺?」
 問いに草間は頷くと「それとは別に」と言葉を続けた。
「最近一つの情報が同時に入ったんだが、前に宴会の席で暴れたの覚えてるか?」
「宴会宴会…ああ、春先そんなこともあったかもしれねえけど、それが?」
 この際暴れたかどうかは別として、どうやらあの時最後にシンクロさせた内の一人が、少し前に会社をクビになったらしい。原因は勿論あの件では無いものの、直接的原因はアレだと思い込み、相当恨みを抱いていたと言う。
「ありゃエリートにとっては相当な屈辱行為だっただろう」
 それは、後の警察への身柄拘束も含まれるのだろう。草間はそう言って苦笑いを浮かべた。
「でもあの時あんな姿形のヤツいたか?」
「考えたくないんだが、そいつ悪魔召喚に夢中だったらしいんだ」
 そう言い草間は男に目を向ける。つられて男を見れば、確かにそれは納得いく答えかもしれない。
「お察しの通り、全てはそのご依頼主の命。ちょっと偉大な悪魔です」
 そう言い悪魔は丁寧にお辞儀をしてみせた。つまり依頼は依頼でも、これは特殊な依頼による復讐と言うべきだろう。
「あそこの会社、やっぱろくなヤツがいねえな。で、俺を崩壊させるってどうするつもりだよ?」
「そうですね、プライドや精神の崩壊、大切なものを破壊すること、ですかね」
 嬉々として喉を鳴らした悪魔は、黒い翼を広げるとゆっくり目の前へと降り立った。
「ふうん…なら俺も負けねーけど?」
 そう笑みを浮かべた所で、隣に立つ草間が「そういえば」とわざとらしく手を叩く。何かと思い顔を向ければ、草間は一本の笛を取り出し「これお前のだろ?」と差し出してきた。見ればそれはどこかで落とした自分の笛。
「さっき向こうで拾った。感謝しろ。後あの女も無事だ。今は遠くへ移動させている」
 笛は勿論のこと、女まで救出していたのは予想外だった。しかしそれを誇らしげに言う草間の顔が気に食わず、彼の手から奪い取った笛を奏でると。
「……なんかムカつく、おまえ向こうでしばらく踊ってろ」
 すぐさま草間を遠くへと追いやった。
「さてと、終わりました?」
「ああ、待たせたな」
 そして改めて笛を口へと当てる。目の前の相手は悪魔だが、それなりに爵位のある者だろう。ならば、屈辱を与えるのは容易いかもしれない。
 最初は無防備な悪魔を踊らすことにした。踊りと言っても多種多様。どじょうすくいから盆踊り、阿波踊りやよさこいと、日本の踊りを整った黒衣姿のまま次々と躍らせる。強制的な動きの連続に、最初こそ驚きながらも悪魔は息一つ切らさず、再び笑みを浮かべていた。
 ならばと僅かに音を変える。
「そう言えば召喚者も脱がされ、泳がされたそうで。ならば進んで脱ぎましょう。着衣など悪魔には所詮飾り物」
「……おまえさ、周りから無神経って言われねえ?」
 一旦演奏を止めると、忌まわしげに悪魔を見た。次の瞬間、人の姿をしていた悪魔が突然鴉の姿になる。
「やっぱおまえ鴉か」
「おやおや、召喚者の前にはこの姿で現れるのですが、誰かの手によってこの姿になるのは初めてかもしれませんね」
 相手に相応しい動物に変身させたつもりだったが、それは悪魔本来の姿であり、喋ることも出来れば余裕もある。どうにも思う通りにいかずもう一度笛を奏でると、上の着衣が無いまま人の姿に戻った悪魔は四つん這いになり、その場でぐるぐると回り始めた。
「挙句には操る、多種多様な笛の音――――ワンッ。おっと…これは少し、屈辱ですね」
 少しばかり眉間に寄った皺に、ようやく何かを掴んだ気がする。ならばと、その片足を持ち上げさせてやろうと考えると、唐突に悪魔から笑みが消えた。
「ただ俺はね、こういう子供じみた戦いは好まないのですよ」
 言うなり悪魔は立ち上がり、周囲に散らばった着衣を一瞬にして身に纏うと突如眼前に現れる。
「破ったのかっ!?」
「君の笛の音は、低能な人間はさぞかし有効なのでしょうね」
「っ…そうじゃなくても、有効だ!」
 口の両端を極端に上げたられた笑み。かわせないと判断し、反射的に数珠を両手に持ち前に構える。数珠と腕が大きな力で軋むと同時、黒い羽が飛び散り再び足元が崩れだした。
「破壊しすぎだっ」
「ですから、こういう主義なのですよ」
 互い同時に翼を広げると後方へと飛び距離を取る。すると悪魔の背後に、いまだ踊り続ける草間が現れた。
 このままではいざという時逃げることもままならないだろうと、まずは踊ることを止めさせる。すると草間は悪魔から逃げるでもなく、煙草を取り出すと悠長に火を点け始めた。
「あの馬鹿何やって……」
 それと同時、悪魔の背後に回り口を開く。そうしてしばらく何か言い合っていたかと思うと、悪魔がこちらを向き呆れたように言った。
「……彼は君の、保護者か何かですか?」
「はあ? んなわけねえよ!」
 短い間に一体どんなやり取りがあったのかは分からない。ただ、明らかに悪魔からは敵意と戦意が失せ、そのままこちらに背を向ける。
「まぁ、今回はこれで退散しましょう。俺の召喚者も途中で倒れ、契約は中途半端ですし。ではまた、日本の小さな妖怪君」
「二度とくんな」
 その言葉を背中に受け、悪魔はこの地を飛び立った。


    □□□


 事態は唐突に起こり、そしてわけも分からず収拾した。近くでは、草間が満足そうな顔で煙を吐き夕陽を眺めている。
 どうして悪魔は大人しく去っていったのかと問えば、草間は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付け答えた。
「あいつ、敵同士を和解させることも出来る筈なんだ。勿論それは却下されたが、お前がもう十分プライド傷つけられてる筈だ、って言ったらなんとか諦めて消えた、ってとこだな」
「だーれーがプライド傷つけられたって?」
 思わずその胸倉を掴もうとした所で、草間は必死に弁解する。
「まぁ、落ち着け…あの悪魔だって多少の屈辱は味わっていたはずだ。三回回ってワンは酷かった。だから今回はおあいこって事で――――――――ワンッ!」
「一生回ってろ……」
 もう帰ろうと、草間にゆっくり背を向ける。背後では忙しなく続く足音と砂の音、時折「ワン」と響く草間の声。けれどその合間、草間は言う。
「なぁ、」
「なんだよ?」
 足を止めたのは、話を聞くつもりではなく。
「別に危険だってわけじゃないが、あんま一人で突っ走るな?」
 ただ、目の前の電柱に上ろうと足を止めただけのこと。
「…………」
 言い返す気は起きなかった。そう言われても、これが自分の生き方であり、そうして縛られる理由も無いし、望まない。
 けれど、今回は確かに度々フォローされたのかもしれないし、結果的に草間の考えにより悪魔が完全撤退した事実は認めざるを得なかった。
 言葉の代わり、草間の動きを止めると地を蹴り、電柱に上ると彼を見下ろす。ようやく二足歩行に戻った草間は、両手についた砂を叩きながらこちらを見上げて笑っていた。その表情が鬱陶しくて目を逸らす。

「…あ」

 雨女が移動しているのだろうか。
 ふと見た遠くその空に、綺麗な二本の虹を見た。