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〜古い「記憶」が交わる場所に〜
なぜ病院の「白」は、こんなに目に鮮やかで痛いのだろう、と来生一義(きすぎ・かずよし)は、ふと思った。
斜めにベッドを見下ろすと、安定した呼吸を続ける弟の姿がそこにある。
そこにも「白」が存在し、一義はわずかに眼鏡越しの目を細めた。
弟が、この城東大学附属病院に搬送されてから2日が経過した。
検査の結果は、すべて正常だった。
怪我自体も大したことはなかったし、意識さえ戻ればいつでも退院できると医者から言われている。
それなのに、昏々と眠り続ける弟は一瞬たりともその目を開けなかった。
何が彼の目覚めを阻害しているのか、それは一義にはわからない。
だが、仮に弟の意識が戻ったとしても、あの現場で実際に何があったのか、本人に問いただすことはためらわれた。
無論、本人がまったく覚えていない可能性もなくはない。
一義は、膝の上に乗せたままの、赤い鍵つきの日記帳を開いた。
付き添っている間、ずっとこの父の遺稿を読んでいる。
それは当時城東大学で遺伝子工学の研究員だった父と、当時の助手が研究の末に創り上げた生物の観察記録中心に書かれていた。
No.8とNo.14と名付けられたその生物たちが、どんな形状をしていたのかはそこには記載がなかった。
ただ、非常に癖のある字で、訥々とつづられる観察記録は詳細で、姿かたちがわからなくても、その生き物たちがどんな生活をしていたのかは想像力で多少は補えそうだった。
その遺稿の余白には、観察記録よりも少々くだけた字で、自分と弟へのメッセージが書かれている。
メッセージを丹念に三度ほど読み返し、一義は思わずため息をついた。
(父さん、何故生きているうちに直接言ってやらなかったんですか)
父の性格は十二分に承知の上だったが、そう思わずにはいられない。
もう一度、深々とため息をついた一義の耳に、この部屋へと近付いて来る足音が聞こえて来た。
つとそちらに視線を投げると同時に、真っ白なドアが内側に開き、やさしそうな、それでいてまだあどけなさすら感じさせる顔立ちの青年が顔をのぞかせた。
「こんにちは!」
にこっと笑みを浮かべて、来生千万来(きすぎ・ちまき)は、黄色とピンクで彩られた花束を一義に差し出した。
「これ、お見舞いです」
「あぁ、ありがとうございます」
立ち上がって、一義はていねいに頭を下げ、花束を受け取った。
そういえば、千万来と会う約束をだいぶ前にしていたのだった。
何しろ、日本中をさまよっていた――「迷子になっていた」ともいう――せいで、11年も、弟の成長や生活を見てやることができなかったのだ。
だから、その間のことは親戚の誰かに聞けばわかるだろうと思い、千万来に白羽の矢を立てた。
突然連絡を入れた時は、さすがの千万来も驚いてはいたが、元来有形無形に限らず、あらゆるものの「声」を聞くことに長けた彼である、その後は自然に一義の存在を受け入れてくれたのだった。
ただ、千万来も城東大学医学部の一回生である。
日々講義に実習にと忙しいはずだったので、日時は決めず、都合のつく時で、と言ってあったのだった。
それがたまたま、今日だったのだろう。
一義は花束を手に、周囲を見回す。
それに気付いて、千万来はもう片方の手を差し出した。
「あ、花瓶ですね! さっきナースセンターで借りて来ました! 俺、水入れて来たんですよ!」
用意周到とはこのことだ。
差し出された花瓶はシンプルなものだったが、なみなみと透明な水が入っている。
一義はもらった花束を花瓶にさし、サイドテーブルに置いた。
急に、部屋の「白」が鳴りを潜めたような気がした。
「どうしてここが?」
素朴な疑問を口にした一義に、千万来は笑顔を絶やさずに言った。
「さっき一義さんの家に寄ったら、こっちに来てるって言われたんです」
一義はあえて「誰に?」とは訊かなかった。
一足先に家に戻ると宣言し、それ以来こちらにまったく顔を出さない居候が頭に浮かんだからである。
「それで…これが役に立つかもしれないと思って、持って来たんですよ」
千万来は背負ったリュックの中から、ごそごそと大きな本のようなものを取り出した。
再度礼を言い、一義はずっしりと重いそれを受け取った。
それは、表紙が革で出来た、高級感漂うアルバムだ。
ただ、時の風化にさらされ、あちこちがはがれてしまっていた。
後でゆっくり見ようと、表紙を開いて軽く2、3ページめくる。
すると、ひらりと1枚、薄茶色に焼けた写真がページの間から床に落ちた。
かがんで、何の気なしにそれを拾い上げた一義は、その写真を見て凍りついた。
写真には、研究室らしい殺風景な部屋の中で、白衣姿の2人の男が並んで写っていた。
そのうちのひとりは、若き日の父だった。
しかし、もうひとりは。
一義は震える手で写真を握りしめ、確かめるかのようにまじまじと写真に見入った。
何度見ても、見間違いではなかった。
父の横に立つその「もうひとり」とは――今と寸分変わらない居候の姿だった。
(なぜここに…?!)
一義は写真を裏返した。
科学者らしい几帳面な性格の父は、メモ程度だが、あらゆるものに何かしら書き残していた。
案の定、そこには父の字で「研究室にて、助手と共に」と書かれていた。
その瞬間、一義の脳裏にひらめくものがあった。
(確かあそこに…!!)
椅子に無造作に置かれた赤い日記帳―― 一義は慌ててそれを取り上げ、中を開いて読み直した。
開いた日記帳の1ページ目には、当時父のいた学部の研究員だった男が、人間に極めて近いが、現存するどの生物のものとも違う体組織の破片を発見、発見者の男を助手として復元させる研究を始めると書かれていた。
「発見者…? 助手…?」
日記を持ったままの一義の声が、虚ろに病室に響いた。
急速に、点と点がつながっていく。
背中を、ひとすじの汗が悪寒と共に流れていくのを感じ、一義は愕然として手にした古ぼけた写真を今一度凝視したのだった。
〜ライターより〜
いつもご依頼、誠にありがとうございます!
ライターの藤沢麗です。
ジグソーパズルのピースが揃って来た感じがします…。
関係者全員がそれぞれ持っている真実をつなぎ合わせたら、
驚愕の事実が待っているのでしょうか…。
非常に続きが気になります…!
それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
とても光栄です。
この度はご依頼、
本当にありがとうございました!
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