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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


呪いの館にて

 たった今出て来た部屋のドアをそっと閉めて、ファルス・ティレイラはふっと大きく息をついた。
 そのまま、どことなく足音をしのばせるようにして、廊下を歩き出す。
 彼女の目の前に広がるそれは、広々として長く、しかし薄暗かった。床には、うっすらと埃が積もっている。まだ昼間なので、照明がなくてもなんとかあたりを見渡せるが、日が落ちてしまえば、真っ暗になるに違いなかった。
「せっかくのお誘いだからと、一緒に来ましたけれど……もう帰りたいですぅ」
 小さな声で呟いて、彼女は不安げにあたりを見回しながら、歩いて行く。
 ここは、東京からは車でも二時間はかかるだろうという深い山の中の一画だった。彼女がいるのは、そこに建てられた古びた洋館の中だ。
 その洋館は、ずいぶん昔から「呪いの館」と呼ばれていた。
 もともとそこは「中に入ったら最後、二度と出て来られない」とか「館に足を踏み入れた人間は、原因不明の病や事故で死ぬ」などと言った噂のある館だった。一時期は、それを聞きつけたマスコミが大勢、出入りしていたこともある。が、彼らの多くは噂どおり、行方不明になったり、館から戻った後に病気や事故で死んだりしたため、次第にそうした人々すら近づかなくなってしまったのだ。
 そうして今その館は、ただ時が過ぎて朽ちて行くのを待つだけとなっている。
 そんな場所に、シリューナ・リュクテイアが興味を持った。
 もっとも、館のことを最初にシリューナに話したのは、ティレイラ自身である。
 なんでも屋の仕事で、引越しの手伝いに行った際に、古い週刊誌に館の記事が載っているのを目にして、後日シリューナになんの気なしに話してしまったのだ。
 とはいえ、シリューナが館を調査しがてら見に行こうと言い出した時には、ティレイラ自身もちょっとしたピクニック気分でしかなかった。むしろ、シリューナと一緒に出かけられることが、うれしくてしようがなかったぐらいだ。
 だが、この山に到着し、問題の館を目にした途端に、彼女はそれを後悔した。
 館はただ古びているだけではなかったからだ。その前に立っただけで、鳥肌が立つほどに、凄まじい瘴気が建物全体を取り巻いている。
「お、お姉さま〜。帰りましょうよ〜」
 それを見た途端に、ティレイラは半泣きになって言ったものだ。だが、シリューナは腕を胸の前で組んだまま、ただ館を見上げるばかりだ。やがて、その口元が不敵な笑みにゆがむ。
「これは、来た甲斐があったというものだ。……とにかく、手分けして中を調べてみよう」
「ええ〜? そんな〜」
 シリューナの言葉に、ティレイラは思わず悲鳴を上げた。だが彼女は、それにはいっさい頓着せずに、そのまま館の玄関に近づくと、扉に手をかけた。
 巨大な二枚扉はむろん、鍵などかかってはいない。シリューナが押すと、大きく軋みながらも開いて行く。
 扉の向こうには、広々とした吹き抜けのエントランスが広がり、正面には二階へと続く大きな階段があった。
 そうして二人は、それぞれ一階と二階に手分けして、中を調査することになったのである。
 ティレイラが割り振られたのは、二階の調査だった。
 調査といっても、特別求めるものがあるわけではない。各部屋を覗いて、中か怪しいものがいないかを探すだけのことだ。
 そうやって歩き回り始めて、そろそろ一時間にはなるだろう。
「はあ……。それにしても、なんて広いお屋敷なんでしょう。なんだか私、お腹が空いて来ました」
 溜息と共に呟きつつ、ティレイラはもう一つだけ部屋を調べたら、元のエントランスへ戻ろうかと考える。
 実際、この館はずいぶんと広い。外から見ただけではわからなかったが、中は西と東の二棟に分かれており、それが正面のエントランスホールで一つにつながる形になっていた。
 彼女が今いるのは、東側の棟の二階で、浴室や居間、寝室などの部屋が廊下に沿って並んでいる。
 やがて彼女は、たどり着いた廊下の突き当たりのドアを開いた。と、その向こうは再び廊下になっており、左手と右手斜め前にそれぞれドアがあった。
 少し迷った末に、ティレイラは左手側のドアを開く。途端に彼女は、総毛立った。凄まじい瘴気が、ドアの向こうから吹き付けて来たのだ。彼女は思わず後ろに飛びすさり、そのままドアを閉めようとした。だが、遅かった。
 何者かが、彼女の腕をつかんで、力任せに中へと引きずり込む。
「いや〜ん! 離して下さい!」
 彼女は必死に、その手をもぎ離そうとしながら、叫んだ。そのまま、ほとんど反射的に火の魔法を放つ。
 空中に生み出された炎は、彼女の腕を捕らえる相手に突進し、焼き尽くすはずだった。しかし。それは相手に届く前に、あえなく空中にかき消える。
「え?」
 思わず目を見張るティレイラを、相手は楽しげに見やった。
「これはこれは。ずいぶんと高級な獲物がかかったものだ。ここには、なんの力もない人間どもしか来ないと思っていたのに、まさかこんな魔力を秘めた存在がやって来るとはねぇ」
 そう言って笑うのは、女だった。一見すると、二十代前半というところだろうか。長い黒髪と黒い目をした、美しい女だ。ただし、人間ではない。長い袖のある服の裾から覗く手の甲は、びっしりと銀色の鱗におおわれており、開いた口からちらちらと見える舌は細く、先が二つに割れている。
 女は、魔族だった。
 ここが、「呪いの館」と呼ばれているも道理。魔族の住処だったのだ。
「は、離して……! 離して下さい! 助けて……!」
 身の危険を感じて、ティレイラはなおも声を上げ、身をもがく。再度火の魔法を放とうとするも、それはすでに相手の圧倒的な力の前に、放つことすらできなくなっていた。
 そんな彼女を見やり、女は笑う。
「おまえのような珍しいものを、離すわけがないだろう? おまえには、魔力を生み出す魔法金属となって、これから私の役に立ってもらうよ」
 言うなり女は、ティレイラの胸元に小さなクルミのようなものを押し付けた。それは苦もなく彼女の皮膚に潜り込み、そこに貼り付く。
「これ……何……?」
 その不気味な感触に、ぞっとしながらも、ティレイラはなんとかそれを引き剥がそうと試みた。だがそれは、ぴったりと彼女の胸元に貼り付いて、はがれてはくれなかった。
 だけではない。彼女の体は、そこを中心にして、急激に光沢のあるブロンズ色の金属へと化して行き始めていた。
「いや。……助けて……! お姉さま……!」
 助けを求めてもがいてみても、どうにかなるものでもない。魔族の女の手はすでに離されていたが、彼女はもうそこから逃げることすらできなかった。それでも必死にもがこうとする。と、半ば金属と化した足がもつれ、彼女は大きな音を立てて、その場に横倒しになる。けれど、もはや起き上がることはできなかった。倒れたまま彼女の全身は、魔法金属の彫像と化していたのだった。

 そのころ。
 シリューナ・リュクテイアは、頭上から響いた重い音に、弾かれたように顔を上げたところだった。
「今の音は……」
 思わず眉をひそめたものの、同時に襲って来た異様な気配に、何か起こったのだと察知する。迷わず彼女は、空間転移の魔法を使った。
 次に彼女が現れたのは、今までいた真上の部屋――すなわち、ティレイラが魔族の女と遭遇したそこである。魔法金属と化して床にころがっているティレイラと、その傍に立つ魔族の女を見やって、彼女は素早く冷静に事態を把握した。
(この女、魔族か。つまり、ここが『呪いの館』と呼ばれるようになった原因は、この女だというわけか。……放置しておいて、ティレや私にまといつかれても面倒だ。ここはきっちり、退治ておくか)
 胸に呟くなり、彼女は魔族の女に向き直る。
 女もまた、新たに人間ではない者が現れたことを悟って、そちらをふり返った。
「こっちはまた、多少は手ごたえがありそうだね。でも、私の敵じゃない」
「さあ。それはどうかな」
 不敵に笑う女に返すと、シリューナはすっと目を細めた。その口から紡ぎ出されるのは、封印と石化、二つの魔法の呪文だった。
「そんな魔法など……!」
 喚いて襲いかかろうとした女の動きが、ふいに止まる。強力な封印の魔法が女の動きを封じたのだ。その上に、更に石化の魔法が襲いかかる。
 女の体はたちまち、石と化した。それを見やってシリューナは、軽く顔をしかめる。
「石の彫像となっても、可愛くないものは可愛くないな」
 呟いて、小さく新たな呪文を口にのぼせた。たちまち、女の化した石像は、粉々に砕け散る。
「……これでもう、悪さを働くことはないだろう」
 小さく肩をすくめて、床に散った石の欠片を一瞥すると、彼女は踵を返した。床に倒れたままの魔法金属と化したティレイラの傍へと歩み寄る。
「ティレ」
 思わず低い声を上げたものの、胸元に嵌っているものに気づいて、小さく安堵の息をついた。それが、ティレイラの秘めた魔力を凝固させ、彼女の体を魔力を生み出す魔法金属と化している核だと理解したせいだ。彼女を元に戻すのは簡単なことで、ようはその核を壊してしまえばいいだけの話だった。むろん、シリューナの魔力ならば、ティレイラを傷つけないようにそれを破壊することなど、造作もない。
 だが。シリューナはふと目を細めた。
「石像と化したティレも可愛いけれど、これはこれで……」
 小さく呟くと、光沢のあるブロンズ色の彫像と化したティレイラの腕に、つと触れる。そのまま彼女は、感触をたしかめるかのように、肩や喉元などに触れた後、そっと指先をその頬へと滑らせた。鼻、目元、口元、顎とゆっくりと、その感触を楽しむかのように、たどって行く。
 そして、深い吐息をついた。
「なんだか、元に戻してしまうのが惜しい気がする……」
 呟いて、彼女はつと彫像のままのティレイラの顔を覗き込む。
「ティレ。……悪いけれど、もう一日だけ、私にこの姿のティレを楽しませてくれないか。元に戻った時には、美味しいと評判のレストランへでも、連れて行ってあげるから」
 低く囁くと、彼女はそのまま彫像のティレイラを抱き起こした。両手でティレイラを抱えたまま、空間転移の魔法を行う。たちまち二人の姿はそこからかき消えた。
 次に彼女たちが現れたのは、シリューナの家――魔法薬屋の奥に広がる、彼女の住まいである。
 シリューナは、居間の一画に彫像のティレイラを据えると、そのまま飽きることなくじっくりと堪能し始めるのだった――。