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<東京怪談ノベル(シングル)>


    月と花と神様の宴

 鬱蒼とした木々の合間に、ぽつんと開けたところがあった。
月光に照らされ、静かな水をたたえる湖が見える。
水に足……もとい赤い尾ひれを浸した黒髪の人魚が、小さな手を振ってくる。
 みなもは滑空し、入り江近くの樹に足をかけ、逆さにぶら下がった。
 大きな翼を広げて青い髪と袋を垂らす蝙蝠娘を、幼い人魚が見上げて笑う。
「どうじゃ。中々よい場所じゃろう」
「ですね。こんなところがあるなんて、知らなかったです」
 水辺から獣人の森につながる川はいくつかあるが、近くにこんな湖があったとは。
 周りを囲む樹上には果物がなり、甘い香りを漂わせている。
 足元――みなもにとっては頭の下――には、夜にも関わらず白い花が咲き乱れ、微風に小さく揺れていた。
「わらわの秘密の場所じゃからの」
「いいんですか? あたしに教えちゃって」
「うむ、特別に許す。せっかくの酒盛りじゃ、いつもの水辺ではつまらんからの」
 金魚の尾を水の中で揺らしながら、薊姫は尊大に答える。
 彼女の周囲には、いくつかのガラス瓶が並んでいた。
 蔓のようなものが差し込まれた瓶の1つが、みなもへと差し出される。
「逆さでは飲みにくいであろう、これを使うとよいぞ」
 蔓はどうやら、ストローのようなものらしい。先が丸まっていて、蝶の口吻のようにもも見える。
「これって、お酒……ですよね」
「当たり前じゃ。酒盛りをしようと言い出したのはお主じゃろう」
 確かに、その通りだった。
 結局受け取ってもらえなかった寄進用のお金を父に返そうとしたら、友達との飲食代に使うよう言われた。
 真っ先に浮かんだのは、彼女との『酒盛り』だったのだ。
 この世界ではみなもも『成人』なのだし、新年祭ではいつも口にしている。
 羽目をはずしすぎなければ、問題はないだろう。
「はい。いただきます」
 お酒をストローで飲むと酔いやすい、なんて聞いたことはあるが、それも気にしない。
 悩まない、落ち込まない。
 そのためにも、思いきりはしゃいでみようと決めたのだ。
「これは新年祭の残りじゃが、果実からつくったものもあるぞ。この、『がらすびん』というものはよいのう。水の中でも持って入れるし、何よりも保存がきく」
 薊姫は木の器にお酒を注ぎ、上に掲げてみなもの瓶にコツンと当てた。
「何はともあれ」
「乾杯、ですね」
 それぞれに、お酒を口にする。
 ジュースのような甘さが口に広がり、熱が体内をめぐってゆくようだった。
「うむ、うまい。月見酒は最高じゃのう」
 薊姫が器を掲げ、息を漏らした。
 森に差し込む銀色の光。それに照らされ、淡く浮かび上がる白い花。
 水面に映り込む二人の影は、赤い尾が動く度に揺らめいていた。
 夜風は心地よく、花と果物の香りもいい。
 以前よりもお酒がおいしく感じるのは、熟したせいだけではないだろう。
「お菓子も沢山ありますよ」
 みなもが下げていた袋からお菓子を取り出すと、薊姫は目を輝かせた。
 こうした反応はやはり、見た目どおりに幼いようだ。
「お主が持ってくるものは珍妙なものばかりじゃのう。これは何じゃ?」
 現実世界から持ってきたものを、物珍しそうに覗き込む。
「スナック菓子です。塩味やコンソメ、バターしょうゆにコーンポタージュ。色々と取り揃えてみました」
「こっちは何じゃ」
「チョコレートです。お酒に合うかどうかはわかりませんけど……」
 普段お酒なんて飲まないみなもには、組み合わせなど思い浮かぶはずもなかった。
 いかにもな『おつまみ』よりはお菓子類の方がいいだろうと持ってきたのだが。
「ふむ、『ちょこれいと』か。妙に黒いのう。苦いのか? これは」
「いいえ、甘いですよ」
 恐る恐る、といった様子で包みを開き、薊姫は口の中にチョコレートを放り込んだ。
「む……? なんじゃこれは!」
「え、お口に合いませんでし……」
「とてつもなく美味じゃぞ! このようなものがあったとは……お主、どこから探し出したのじゃ? 浮島ではこのようなものが育つのか?」
 薊姫は真剣な表情で、みなもを見上げる。
「いえ、向こうの世界から」
「案内人のおるところか。それは残念じゃのう。こちらにもあればよいのにのう」
「え、でも……」
 そもそも、彼女も現実世界からここに来ていたのではなかっただろうか。
 最初に出会ったとき、迷い込んだ1人として紹介された気がするのだが……。
 蝙蝠娘のみなもがここにしか存在しないように、人魚の薊姫もまた、ここにしか存在しないのだろうか。
 だとしたら、意識の方はどうなって……。
 考えたところで、はっとする。
 いけない、今日はそんなことを考えないことにしたんだった。
 悪くいえば、現実逃避なのかもしれない。
だけど考えれば考えるほど、色んなことが不安になって、落ち込んでしまって。
 この世界にさえ、影響を与えかねないから。
 気分転換もかねて、思う存分楽しもうと、そう決めたのだ。
「この『ちょこれいと』、もう1つもらってよいか?」
 口の周りを汚したまま、小さな手を伸ばす薊姫。
 神様とは思えない姿に、思わず笑みをこぼしてしまう。
「どうぞ。気に入ってもらえて嬉しいです」
「お主ももっと食べるがよい。酒もまだまだあるぞ。ほら飲め、どんどん飲むのじゃ」
 チョコレートでテンションがあがっているのか、それともすでに酔いがまわっているのか。
 薊姫は上機嫌で瓶を掲げる。
「しかし、浮島と水辺で行き来できんのはつまらんものじゃのう。わらわは水の中、お主は木の上。これはこれでおもしろいが、たまには肩を並べてみたいものじゃ」
「確かに……獣人さんはまだ、水辺の通路や階段を使って水辺にも浮島にも来れますけど、人魚と翼人は特に住む環境が違いますからね」
「獣人は泳ぎに来るものも多いが、お主らは水浴び程度じゃからの。しかし、獣人にしても問題がある」
「も、問題ですか?」
 一体なんだろう、とみなもは真剣に尋ね返す。
 何かよくないことでもあるのだろうかと、不安に思ったのだ。
「そうじゃ。水に濡れてしまっては、あの『もふもふ』が台無しじゃ。わらわは、あの毛並みを思う存分撫でまわしたいのじゃが、水から出られぬ身としては、難しいのう」
 ため息をつく薊姫に、みなもはあっけにとられる。
 もふもふ……。獣人たちの中でもふわふわした毛のものたちを思い浮かべ、思わず吹き出してしまう。
 普通の動物もいるのに、あえて獣人を触りたいとは……向こうも確かに、濡れた手で撫で回されるために近づいてはこないだろう。
「もっと皆が、自由に行き来できるといいですよね。それぞれの性質上、仕方がないところもあるかもしれませんけど。そこをうまく解消できれば……」
「相変わらず、かたいのうお主は。酒が足らんようじゃ。もっと飲め、もっと。酒があいておらんぞ」
「飲んでますよぅ」
 言いながら、ちゅるちゅるとお酒をすする。
 身体が火照ってきて、頭の奥がぼんやりしていくようだった。
 だけど、気分は悪くない。むしろ、とてもいい。
 薊姫も空の器にお酒を足し、何度目かの乾杯をした。
「何をどうするべきか、なんて小難しいことを考えんでもいい。それより、お主の好きなものや、何が欲しいのか。わらわはそちらに興味があるぞ」
「好きなものですか……好きなもの、うーんと……お父さん?」
「もふもふしとるのか?」
「こっちの世界では、してますねぇ」
 何だか、酔っ払いみたいな会話だ。実際、酔っているのだけど。
 そう思うだけでも、何だか笑えてくる。
「薊姫〜、どうしたら、考え込まずにいられるんでしょうか? 悩んじゃダメだって思っても、答えを出さなくちゃいけなくて。自分が嫌になってしまうんです」
 悩みすぎて、落ち込んでいる自分は嫌だ。
 だけどこうして笑っていると、そんなことをしていていいのか? と思う自分もいる。
「もっと、素直に楽しみたいです。薊姫みたいに」
「何じゃお前、楽しくないのか」
「楽しいですよ。楽しいけど、楽しくていいのかなって、思ったり……」
 自分では結構、しらふのつもりでいたのだが、意外と酔いがまわってきているらしい。
 くらくらと、視界が揺れているようだった。
 うまく口にできているのか、伝わっているのか、自信がない。
「よいに決まっておるじゃろう。己が楽しまず、人を楽しませられるはずがないからの」
 当たり前のように答えられ、拍子抜けする。
 おかげで、頭の中が明瞭になってくる。
「とにかく楽しめ。もっと楽しみたいと欲を出せば、それが道につながるかもしれんぞ」
 果実のお酒を差し出され、みなもはそれを手に取った。
 今度は柑橘系のような、さっぱりとした味だった。
 やはりジュースのような飲みやすさなので、ついゴクゴクと飲んでしまう。
 薊姫と一緒になって、お菓子を食べ始める。
「お主、気になる殿御はおらぬのか。そろそろ身を固める時期じゃろう」
 言われて、思わずむせかえる。
 こちらの世界では成人しているとはいえ、現実世界ではまだ十三歳なのだ。
「と、特には……」
「案内人と妙に親しい、という噂もあるようじゃが」
「……噂です。そういう薊姫こそ、どうなんですか?」
「神の色恋に口を挟むものではないぞ」
「そんなのずるいですよー」
 そんな話から始まって、人魚の男は不細工が多いだの、獣人には女(雌?)たらしが多いだのと、愚痴を交えた噂話が開始される。
「浮島の男性は自立したしっかりものが多いんですが、ちょっと気取った感じですかね。クールなんです。全体的に」
「しかし、春辺りには情熱的に口説かれたのではないか。翼人たちの間では、人気が高いようじゃからの」
「ええ? 誰が言ったんですか、そんなの」
「女の人魚はおしゃべりじゃからのう、水辺におると情報通になれるぞ」
 からからと笑われ、みなもは顔を赤くする。
 火照るのは、お酒のせいだけではないらしい。
「友達は何人か、子供を産むみたいで楽しみです。あたしは時期を逃したので、また次になるでしょうか」
 時期を逃したから、次のときに……。だけどどうして、逃したりしたのだろう。
「候補が沢山おると、選ぶかいがあってよいのう」
 そうか。迷ってしまったからだ。本能に任せればいいものを、色々と悩んでしまったせい。
 何故かあたしは、時々この世界の仕組みを理解できていないような行動をしてしまう。
 当たり前のことに、今更のように驚いてみたりもする。
 確かに世界は急速に変化していっている。だけど皆それに慣れて、普通に生活しているのに。
 あたしたちは、適応能力が高い。
 どんな変化にも対応できるはずなのに。
 変わってしまえば全てが終わるかのような、妙な不安に襲われてしまうのだ。
「……向こうの世界の『人間』は適応能力が低くて、道具がないと生きていけないって聞いたことがあるから、その影響かな」
 独り言のようにつぶやいて、お酒を飲み干す。
「これは何じゃ、飲み物か?」
 お菓子の袋の中に共に入れてあったお茶やジュースのペットボトルを見て、薊姫が不思議そうな声をあげた。
「ああ、前に薊姫が飲みたがっていた……」
「『じぅす』か。何じゃ、早う言うてくれればよいのに」
「お酒があるならいらないかな、と思って」
「そうじゃのう、酒がなくなる頃でもよいかのう。1つ土産にしてもよいか? 人魚仲間に見せびらかしてやるのじゃ」
 大喜びの様子に、みなもは笑った。
 欲しがっていたもの。
 薊姫にとっては、未知のもの。
 彼女は変化を楽しんでいる。
 あたしはどうだろう? あたしは……変化を恐れている?
 違う。望んでいるのは、多分……。
 ぶわっと、強めの風が拭いて、白い花を揺り動かした。
 青白い光を放つものが、ふわりと宙を舞い踊る。
「花びら?」
「いや、種子のようじゃな。よいところが見られた。この『蛍花(ほたるばな)』が種を吐き出すのは、年に1度という話じゃからの。運がよいぞ」
「蛍花……」
 実際、この花が種を飛ばす様を見るのは、初めてのはずだった。
 だけど似たような光景を、どこかで目にしたことがある気がする。
「綺麗じゃのう」
「……本当に」
 降るように舞う光る種子を、みなもは宙吊りの状態で見守っていた。
 この光の中を泳ぐように飛んでみたい衝動に駆られたが、より遠くに飛ぼうとする花たちの邪魔をしてしまうため、ただ静かに眺め続ける。
 新しいものだとか、古いものだとか、そんなものは関係ない。
 便利だとか不便だとか、そういうことでもなくて。
 ただ、皆が楽しく過ごせるということ。
 それこそが理想郷の条件なのではないかと、みなもは思った。
 ふと、枝をつかんでいた足がゆるみ、そのまま地面に落っこちてしまった。
 その衝撃のためか、花はさらに多くの種子を吐き出し、それが上空へと舞い上がる。
「……綺麗」
 みなもは、再度つぶやいた。
 こぼれたお酒が胸元の毛と、翼の皮膜を濡らしていた。
「大丈夫か?」
 薊姫が、心配そうに顔を覗きこんでくる。
 彼女を下から眺めるなんて、珍しい体験だ。
「平気」
 みなもはそう言って、笑ってみせた。
 変わってもいい。むしろ、変わらなくてはおかしい。
 後はその変化を、どう楽しむか。
 落ちた痛みはあるけれど、地面に転がって見る景色も、中々おつなものだな、なんて。
 そう思えるなら、それが幸せなのかもしれない。


      END