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<東京怪談ノベル(シングル)>


人夜の雲の裏

 光る砂を撒き散らした漆黒の天井を頭上に掲げ、三島・玲奈は雲海上を滑るように進む飛空船の甲板にいた。
 厚い雲の下には、平和慣れした人間達が築いた不夜城がある。低く唸るようなエンジン音の中、面倒臭そうな足音が近づいてきた。
「今回の依頼はちょっと厄介だ。内容は単純明快、低俗霊の掃討」
 季節を無視したロングコートの裾をはためかせ、ぶっきらぼうに告げるのはIO2のエージェント、鬼鮫だった。年齢も遠く、見た目も大きく違うが玲奈の同僚である。
 玲奈は返事の代わりに口角をわずかに上げ、ふふっと笑った。
 片方の眉を上げ、鬼鮫が続ける。
「退治じゃないぞ? 根絶だ。故に難易度は超絶」
「ひゅう♪」
 紫水晶の左目を眇め、口笛を吹く。
 目視に到らないまでも、進む前方にいるだろう標的を思うと、玲奈は昂ぶる感情を押さえられないでいた。
 今にあの漆黒の稜線を越え、いくつもの霊共が現れ、そして散らされていくのだ。
「久々に戦艦玲奈号の面目躍如ね」
 彼女の首筋を露にさせるよう、真っ直ぐに伸びた黒髪が風に煽られて舞い上がる。
「夜行性人間の増加に伴い、駆逐された闇が昼の世界を侵食しつつある。白昼の凶悪事件増加。不夜城の病んだ光を糧に増える魔物……」
 鬼鮫が一旦言葉を切った。玲奈の表情が変化したからだ。
 肩を竦め、立ち去ろうと踵を返した同僚へ向け、玲奈が口を開いた。
「玲奈号は摩天楼上空の巣窟へ斬り込み、白兵戦を展開。陽動に乗じてIO2はヨウ化銀弾を投射。巣窟を燻蒸。雨雫と共に降臨した残党を地上で各個撃破、殲滅する。作戦名、C線上のナイトメア、宣戦布告ッ」
 視線の先がかすかに閃光した。
 そして楽しげに笑う。その表情は戦いを前にした戦士のようではなく、ショッピングに興じる女子高校生のそれに近かった。
 欲するものは勝利、そしていっさいの無。
「玲奈号、行きます!」
 少女は叫んだ。

 星空の存在など無視した闇が、大きくその矩形を露にした。蠢くものがゾワゾワと溢れ出してくる。
「前方、浮遊霊の集団、五万」
 甲板後方より怒声が響く。
 玲奈は衝撃に備えて右足をわずかに後ろへ引いた。刹那、左目が瞬く。紅く迸った眼光は細く闇を突き刺し、やがて真横へと薙いだ。
 誘爆が光条の後を追うように次々と起こる。
 爆ぜては塵に帰す霊魂のすぐ後ろから、次軍が姿を現した。もがく人魂を踏みつけながら、大型の人魂が悠然とこちらへ向かってくる。
「十m級人魂、二時方向、約三千! 来ます」
 二時? ――玲奈が件の方角をみやる。
 困難な状況ほど胸が躍ることはない。これも好奇心故か、と玲奈は不遜にも声を立てて笑った。
 どよめく部下を尻目に、玲奈は次の指示を出す。
「スチームカタパルト展開! 嬢翔綺竜……発てぇーっ!」
 数秒後、飛空船が衝撃で大きく揺らいだ。
 幾重にも絡まった鋼龍が、人魂の一個大隊へ突っ込んでいく。
 間を置き、鈍い音と重い振動が雲海を襲った。巻き上がる雲の中で、散り散りになった人魂が乱れ飛ぶ。夜明けが近いのか、それとも人工の光か。雲間から黄金に似た光が漏れてき始めた。
「露払い完了。――本隊が来るわ」
 見上げた夜空に星はなく、あるはずのない澱んだ闇が覆い被さっていた。ナイフで入れたような細い切れ目が空を裂く。その隙間から、おぞましい白い物体が出現した。
 船でもないそれは異形の者達を背に乗せ、玲奈の元へと降下を始める。
「!」
 速度を増しながら、戦艦へと突撃する白布は同時に骸骨や鬼を礫のように降らせた。
 一気に甲板が忙しなくなる。迎撃態勢を取る部下へ小さく合図を送る玲奈。
 怖るるに足らん――。
 鋼鉄の床を蹴り、後方へ飛び退りながら天狼を真横に振り抜くと、バラバラと羽をもがれた羽虫の如く鬼共は床上へ落ち、理解できない罵声を叫ぶや掻き消えた。
「数なんて、……けっきょく関係ないのよね」
 天狼を甲板に突き立て、玲奈はつまらなそうに呟いた。その周囲を、ぐるりと敵に囲まれたが彼女は焦ることも怯えることもなく、むしろ気の毒なのは奴らだと言わんばかりの慈悲に似た表情を浮かべていた。
 軽く跳躍しただけの少女の身体は骸骨の背後へ回り、後ろへ首を回す暇もなくおぞましい腐れた身体は二つに裂かれる。鬼共の目が玲奈を必死に探すも、その早さには到底追いつけない。
 小さな爆音。憎しみに凝り固まった醜い肉片がそこかしこで散り散りになる。
 最早、やつらに抵抗の術はない。
 玲奈を追い詰めた気になり、歓喜に吼える鬼には慈悲の散弾が降る。
 挟撃に成功し、カタカタと顎を鳴らして勝ち鬨を上げる骸骨には赦しの白線が貫く。
 さながら地獄絵図のようであった。
 鋸状の刃を振り下ろす鬼。その数は玲奈の四方から、六。だが、それらをこともなげにかわし、七本目は食指一本で受け止めた。
「数が足らないわよ、そんなんじゃ」
 玲奈はアメジストの瞳を眇め、部下に命令するが如く言い放った。
 襲う喰らうしか能のない鬼共は、汚らわしい歯を剥いて威嚇してくる。
「巣窟へ斬り込むのにここでいつまでも遊んでいるわけにもいかないわよね」
 言うや、玲奈の周囲がまばゆい光に包まれた。天狼から放たれたレーザーである。一瞬にして粉砕された鬼や人魂を尻目に、玲奈の視線は頭上へ滑らせた。
「これより本艦は上昇し、敵巣窟へと斬り込むッ」
 右手を上空へ掲げ、合図。部下はそれぞれの持ち場へと散会する。

 白兵戦を先にしかけたのは玲奈であった。
 艦へ誘い込み、すべてを叩き斬る。
 有利にコトを進めていた玲奈の目端に、鬼に追い詰められている部下の姿が映った。眼前に突き出された剣を手甲で払い落とし、天狼をすかさず突き上げる。とっとと散れとばかりに左右へ天狼を振り払い、仲間の下へと駆け出した。
 ひらり――
 玲奈は跳躍し、仲間と鬼の間へと着地、と同時に甲板を蹴る。
 鈍い手応えが両腕を伝う。
 玲奈の愛刀は鬼を三体ごと斬り伏せた。
 粘液のような闇がずるりと床へ垂れ、やがて蒸発する。玲奈はそれを一頻り眺めた後、先ほどの部下へヨウ化銀弾の準備を急ぐよう伝えた。

 数分後。
 濃紺の夜空が白く瞬いた。
 円を描くように輝いたそれは玲奈の艦ごと包んだが、やがて何事もなかったように辺りは雲海だけが広がっていた。

 跋扈する魍魎を、事も無げに払い尽くした玲奈の横顔が黄金に光る。少女は一息吐きながら、頬にかかる髪を耳にかけ空を見遣った。
 夜明けである。
 僅かに開いた扉の隙間から、暖かな団欒の光が零れるように、それは等しく降り注ぐ。雲海が黄金と桃色に染まった。
 戦艦はいつのまにか動き出していた。
「いい夜明けだね♪」
 あれほど動き回っていたにもかかわらず、玲奈は息も切らさずに笑った。
 雲海を波立たせ、前進する戦艦の上で、少女は満面の笑みを浮かべる。
「討ち漏らした数は?」
 玲奈の問いに鬼鮫はくつくつと喉を鳴らした。
「当初の計画通り。地上ですべて撃破したそうだ。――が、数が少なすぎてつまらなかったみたいだぞ。奴らにも、ああ俺にもだが、もう少し回せ」
「回してあげたじゃない。――そっか。地上に少し落としちゃったのか。ザンネン」
 “地上で各個撃破”させるつもりはなかったようだ。玲奈は唇を尖らせた。
 朝陽の濃いオレンジに染まった玲奈の双眸は、嬉々とその光を受け止めた。
 いい風ね、と目を閉じる少女の顔は確かに十六歳のものだった。