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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜光虫 2

ギルフォード。今回の暗殺対象。
極度に享楽的かつ刹那的で、金銭にこだわらず、達成が困難で結果や課程が派手な犯罪を好む傾向が強い。受けた説明通り、まさしく生来の犯罪者。向かう施設に潜伏しているのもそれは自らの楽しみとたまたま合致しただけに過ぎないだろう、と資料にはあったが、琴美もその見解に同意する。
この手の犯罪者は自分以外の寄る辺を必要とせず、自分以外の法を認めない。自分が楽しめればそれでいい。単純で傲慢で、この世に己ほど強く賢い者はいないと本気で思っている。
(特に狩りの余韻に浸っている時は……といっても、相手は年がら年中酔いの中にいそうですけれど、ね)
今宵は新月。自分の時間。
月も隠れた夜の中でも視界を失わない双眸が、乗り越えるべき外壁の高さを試算する。――いける。
琴美は助走をつけながら、クナイを一本、外壁に向かって投擲した。
吸い込まれるようにクナイが半ばまでその刃を埋めると、柄の端から細いものが飛来の余韻でふわりとそよぐ。長い長いそれは琴美自身の髪を数本繋いで作った即席の綱だ。
黒い綱の一方を手にしたまま、ブーツの底が最後の一歩を強く踏み切る。
重力を感じさせない跳躍を遂げた琴美は、高度の頂点近くで先程投擲したクナイを足場として更に上へ跳ぶ。外壁の上にあった有刺鉄線すらも遥か眼下に置き去りにして、蝶のような帯が風をはらんで下りた。
着地とともに、その場を退く。間髪入れず銃弾が着地点だった場所に撃ち込まれる。
撃ってから琴美の姿を見失ったのか、銃を持った男達がじりじりと近づいてくる背後で、夜の闇からぬっと突き出されたクナイが、音もなく男達の首の後ろを薙いだ。
ほんの僅かな呻き声を遺し、地に伏した相手を一瞥すらせず琴美は走る。その背に向けて発砲音が連なる。
最初に警戒して寄ってこなかった者からだろうそれに対し、琴美は素早く振り向くと音の方向へクナイを投擲した。
ひるがえる長い髪が再び背へ降りるのと前後して、短い断末魔の声がし、銃声が途切れる。
敷地の奥で夜に呑まれた相手の事はそれで思考から消し、琴美は再び施設の深部へと駆けた。
駆けようとした。
異様な擦過音と共に、足元の地面が次々に爆ぜたりしなければ。
「なん……ですのっ!」
琴美は思わず声を漏らしながら、抉られ続ける地面と飛来する土や石、コンクリートの礫に追い立てられて全く想定外の方向へ走らされる。
それが収まったのは、周囲一帯にぽっかりと、まるであつらえたかのように人気のない場所へ差し掛かってからだった。

――キヒヒヒヒヒヒッ。

「っ!」
ようやく足を止めることができた所へ、甲高い笑いが降る。その内側に含むものへ、ほとんど生理的な嫌悪感が走る。
音の外れかかった、耳障りな、聞き覚えのない男の声。
だがここまで来れば否応なしに理解する。
「ようこそ、おじょーちゃん。歓迎するぜぇ?」
「……お招き頂いて光栄ですわ」
肌の粟立つような不快感を押し込め、努めて琴美はたおやかに応じた。
眼前、それも真正面から、足音も何も一切隠そうとせず、ニヤニヤと下卑た笑いを貼り付けて現れる長身の男。
わざわざ敷地内に点された電灯の下を歩いてくるせいで、琴美は男の姿を仔細に観察することができた。
白茶けたような銀の髪、てらてらとした黒い瞳、陽光とは縁遠い生活を示すような土気色の肌は顔から首までしか露出しておらず、後はレンジャーのような戦闘服に覆われている。思ったよりはまともな服というか、柄の悪い傭兵、といえばまあ納得できる格好だ。ただ一つを除いては。
「そうだぜ、俺がわざわざここまで案内したんだ。――あんまり白けさせんじゃねェぞ!」
何よりも異彩を放つ右手の義手を突き出して、ギルフォードは琴美に襲いかかった。
(盾にする気ですわね!)
生身の腕ではないのだ、確実に武器に対する防御力は高い。ついでに言えば既に失われている腕ならば壊れてもまた取り替えればいい。盾としては確かに有効だった。
だがしかし、視界を塞ぐ金属の手をかいくぐり、琴美はギルフォードの右腕そのものを破壊しにかかる。
人体の構造上、手首の動きも肘の動きも全て肩を起点としている。それは義手であっても変わらない。
寸前まで突き出される義手を引きつけ、触れられる直前で腕の外側に身体をずらし、琴美は太腿から抜き放ったクナイを右肩へ振りかざした。
「おぉっと!」
クナイの刃が、繊維を滑る。だがすさまじい反応を見せたギルフォードの回避により、上の布地は裂いたが肌までは届いていない。
お返しにか伸びきった腕が、尋常でない速さで大きく振られる。長身にふさわしく腕のリーチも長く、ギルフォードの拳が飛び退った琴美の顔面を紙一重で過ぎていく。
「あぶねーあぶねー。クナイたぁな。見た目通りニンジャってわけか。いやクノイチか?」
その通りだが答える義務は欠片もない。
琴美は更にクナイを引き抜き続けざまに投擲すると、後を追うように全力で走る。飛来するクナイで相手の逃げ場を限定し、ギルフォードの体勢が崩れた所へブーツで膝を蹴り砕き、体術の要である足を潰した後はクナイを首に突き立て、それで、終わりだ。
琴美はその未来予想図を、欠片も疑っていなかった。
疾走する彼女に対して、自分自身のクナイが全て天高く弾かれるまでは。
一瞬、思考の全てが止まる。現状把握ができないまま、しかし身体は慣性に従い動き続ける。
それでもまだギルフォードの腕の遥か外にいた琴美の視界の半分に、絶対に届く筈のない義手の色がいっぱいに広がった。
……もはやそれは反射だったろう。幼い頃から欠かさず続けてきた鍛錬による、反射的な防御動作。
積み重ねた時間が、かろうじて琴美を救った。
顔面を上から襲った義手の色をした『何か』と、とっさに顔の前に掲げられた両腕が激突する。
肉が潰され、骨が軋んだ、それを知る前に神経を駆け上る、圧倒的な灼熱に琴美の悲鳴が谺した。
かぶさるようにギルフォードの哄笑が響く。
「イイ声で鳴くなあんた! 最高だ!」
驚く程近く聞こえる声と共に、盛大に腹部を蹴り上げられた琴美の身体が完全に浮いた。
受身も取れず落下し、ゴムまりのように跳ね、ようやく止まった所から一歩も動けないまま激痛でブーツの爪先が地面を引っかく。
(なん……ぎ、しゅ……とどく、はずが)
ようやく再起動した思考の答えは、地に伏せた琴美の涙でにじんだ視界にあった。
ギルフォードの、右腕の義手。それがありえぬ変形を遂げていた。