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<東京怪談ノベル(シングル)>


ブラックシュール2

 仲間が作成した潜入ルートは完璧だった。
 水嶋琴美は闇に乗じて施設内へ潜入すると、ターゲットの捜索へと作戦変更した。
「ギルフォード。快楽的殺人者。右腕が義手……どうせ、戦闘で失ったのでしょうね」
 ここへ来るまでの間に記憶したターゲットの情報を呟く。
 命を軽んじるものは、往々にして己の命も粗末に扱うものである。腕一本無くしたところで、ギルフォードという男にはさしたる問題ではないのだろう。
 奥へ進むと、倉庫のような場所へ出た。広い室内では木箱が山積みになっているが、警備体制の緩さを見るに、武器庫ではないようだ。
 琴美は、不協和音的な明滅を繰り返すドアの小窓へ視線を走らせる。
 猫のように足音を忍ばせ、小窓から漏れ聞こえる物音に耳を欹てた。
「……気配が、ない……?」
 小窓にはカーテンは掛けられていない。覗き見することは可能だ。琴美はそろりと顔を窓へ寄せた。高い鼻梁に明かりが注ぎ、白皙の頬へ漆黒の影がかかる。
 右、左と中を覗き、様子を窺うが、やはり気配はない。
「あんた、誰だよ」
 いきなり耳元で囁かれた琴美は、肌を粟立たせた瞬間、身体を反転させた。間近に見えたのは――。
「ギルフォード――ッッ」
 唸るように男の名前を吐き捨て、後方へ飛び退った。
 跳ねた銀色の髪を指先で弄びながら、オニキス色の瞳を不思議そうに見開いた男はつまらなそうに呟いた。
「その部屋、誰もいねーし」
「誘蛾灯のように騙されたわけかしら」
 明かりが点いていれば人がいると思った自分に歯噛みする琴美の耳に、
「死んでるし。全員」
 信じられないセリフが飛び込んできた。目を剥く琴美に男は続ける。
「殺した俺が言ってんだから、ホントの事に決まってんじゃん」
 ニコニコと屈託のない笑顔を向けられて、琴美は混乱しつつ、だらりと下がった男の右腕を見た。プラチナのような輝きを見せる義手の先端から、滴る赤い液体。
「仲間でしょう?」
「いつ死んでもいいって覚悟で武装してンだから、別にいいんじゃねーの?」
 琴美の全身に、憎悪が混じった悪寒がぞわりと走る。
 確かに、この男は暗殺されるべき者だ。凄艶な怒りの火をカルセドニーに宿し、琴美は床を蹴った。
 一気に間合いを詰めて、素早く膝をギルフォードの顎先目掛けて放つ。ヒットした感触を持ちながらも、琴美は次の攻撃へと移った。
「やぁぁぁっっ」
 懐に潜り込み、顎先目掛けて手甲を渾身の力で撃ち抜いた。
 拳に当たった感触はある。ギルフォードはたたらを踏んだ後、琴美と距離を取った。己の喉を押さえ、軽く咳き込みながらも、快楽犯罪者は口元に薄ら笑いを浮かべていた。
 持久力にも自信がある琴美は、手数を多く放つ。
 右に左にと、蛇行する形で繰り出される暗殺者の攻撃をかわすギルフォード。跳躍した琴美はその背後へ先回りして、踵を振り下ろす。肉が裂ける鈍い音が庫内に響く。
「へぇぇ」
 額を割られているというのに、銀髪の男は尚も笑っていた。眼帯に隠された瞳は読み取れないが、残された目には殺意が嬉々と浮かんでいくのが見て取れた。
 鼻梁を沿うように流れ落ちてきた自身の血を長い舌で舐め取りながら、くつくつと笑う。
「そんな風に笑えないようにしてさしあげますわ」
 床へ叩きつける勢いで上段から蹴りを見舞う。受け身も取らない男は、当然ながら直撃を喰らって床へと倒れ込む。
 刹那、足払いを受けた琴美はとっさに身体を横転させてその場から離れた。
 二転三転しながらも、男からは目を逸らさない。が、――ギルフォードの姿が消えた!
「?!」
 上か――!
 横向きの体勢からくるりと反転させて、頭上を見遣る。
 流血しながら落下してくる男は、やはり笑っていた。この戦闘が楽しくてしようがない。そう見える。だが、笑んでいたのは琴美も同様だった。
 平衡感覚が優れていなければ、空中戦では圧倒的に不利だ。
「先手を討ちますわ」
 暗殺者はふわりとコンクリートの床を蹴った。間合いを自ら短く取り、落ちてくる男の側頭部へ蹴りを放つ。避けきれないギルフォードは雷閃のような一蹴を受け、体勢をぐらりと崩した。落下速度を増すその背へ、軽々と両足を乗せる琴美。まるでサーフボードにでも乗っている様だ。
 地響きのような音を立てて、着地した琴美の真下でギルフォードは動かない。常人ならばこれで終了である。ブーツを通して感じた骨が折れる音。
 琴美は勝利を確信した。
 ジャキッ――
 静かな倉庫の中で、撃鉄を下ろす音が聞こえた。
 ギルフォードは銃を隠していたのか。琴美は反射的に身を屈め、床を滑って手近な木箱の陰へ隠れた。と同時に爆発音がすると、琴美の頭上で木箱が破裂した。
 木っ端微塵になって降ってくる木片から逃れながら、何事があったかを推察する。だが逡巡する暇もなく、粉砕された木箱の陰から銀の髪を躍らせる男が飛び出してきた。その右腕を見て、琴美は驚愕した。義手であったはずの腕は、手首から先がハンマーの先端のように変化していたからだ。
「なんで、逃げんの? 楽しくないじゃん。――まあ、いっか。次は俺の番ね」
 言うや、男が大きく天井へと跳躍する。その身軽さとスピードは、琴美と同等――いや、負傷した分を差し引けば上かもしれない。
「武器に変化する義手だなんて、聞いていませんわ。……!」
 一秒とかからない呟きの間に、男はすぐ目の前に迫っていた。天井に到達したギルフォードは、まるで水泳選手がターンするように硬化ガラスを蹴っていたのだ。
 轟音と粉砕されたコンクリート片が広い倉庫に充満する。本能的に直撃をかわした琴美だったが、散弾の威力で飛び交うコンクリートに全身を打ち付けて、自慢の戦闘服もボロボロだった。
「けほっ」
 粉を吸い込んだようで、肺が酷く痛む。
 ジャキッ――
 あの嫌な音が耳に響いた。砂を食む足音と共に、煙の向こうで人影が揺らいだ。背後にある小部屋から漏れる照明に照らされた男の右腕は、蛇のようにくねる影を床へ落としていた。
「なんですか、あれは」
 義手だった腕はハンマーに、そして今度は細長いなにかに変化していた。ターゲットの攻撃能力や所持武器が細部まで調べきれていないことに、琴美は苛立ちを覚えた。
 だが思考は時として判断を鈍らせる。あ、と気づいた時には両足首を硬質のロープに捕らわれ、ギルフォードの元へと引き寄せられていた。
 嗜虐的な笑いが起きる中、琴美の肢体は床を縦横に引き摺りまわされる。グン、と力強く引き寄せられた直後、両足は解放されたが、それと同時に腹部へ強烈な打撃がめり込んだ。
「うぐっ」
 蛇のようだった義手が、またもハンマーに姿を変えて琴美を殴打したのだ。苦鳴を吐く暗殺者へ、ターゲットが哄笑で応える。が、それもわずかな間で、男は嬲るように二度目の打撃を繰り出した。
 琴美は、背面を使って後方へとジャンプすると、ギルフォードの攻撃を上手く捌いた。相手に次手を打たせる前に、こちらからと言わんばかりの素早さで応酬する。しかし、ダンスのステップを踏むがごとく、隻眼の男は琴美の蹴りを紙一重でかわしていった。
 次第に琴美の攻撃が当たらなくなっていく。精度が落ちたとは考えにくいが、事実だった。代わりに男の攻撃がヒットしていくのを感じた。ギルフォードが義手を振るう度、戦闘服が悲鳴をあげて裂けていく。
 琴美の眦が、それとわかるほどに痙攣した。