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<東京怪談ノベル(シングル)>


最初で最期の小夜曲


「官軍の鋼鐵船奪取に失敗した以上勝目はござらぬ!」
「諦めるな!」
「戯言を申すな! 木船で挑み勝つなど神業」
「ならば神頼みよ、かくあれかし!」
 時は明治の初め。
 宮古湾での海戦でアボルダージュに失敗した旧幕府軍は、窮地に追い込まれていた。
 どんなに会議を重ね、作戦を練っても何も答えが出てこない中、かつて鬼の副長と呼ばれた男が静かにそのときを待っていた。
 ソレがまさに最後の頼みだった。信頼できる部下を異国の交霊術を使って、異界へ送り込んだ。あれから三日のときがすぎている。
「やはり、うまくいかなかったか……」
 抱える一抹の不安。しかし、勇敢にもその役を買って出てくれた部下を信頼し、ただひたすらに待ち続ける副長。
 そして、そのときがやってくる。
「お主も何か申したらどうだ! 大体、このたびの作戦に失敗したのは、お主の特攻が……」
 もう何度目かわからない敗戦の罪がこちらに降りかかろうとしていたが、男の言葉は室内に広がったまばゆい光で中断される。
 誰もが行きを飲み、目を瞠りしかしあまりの光に全貌を確認することができず、よもや天からの迎えかとさえ思っていた。
 その中で副長だけが口元に小さな笑みを浮かべていた。
「な、なにごとだっ!」
「すわ曲者っ!」
 だんだんと和らぐ光の中、浮かんだ人影に一同身構える。
 現れたのは――尖った耳に天使の翼、紫の左目と黒の右目にまっすぐ伸びた黒髪が美しい神秘的な女性。残った光が神々しさを演出し、荒ぶっていた男たちが消沈してしまうほどだった。
 そして完全に光が収まり、女性の横で座り込んでしまっているもう一つの人影を見つけると、柔らかな笑みを浮かべた副長がすっと手を差し出す。
「任を終え、た、ただいま戻りました!」
 しかしその手を借りることなく、ビシッと立ち上がった若者は副長に向かって綺麗な敬礼一つ。
「ご苦労であった」
「はっ!」
 二人の間ではしっかり話が通じているが、他の者は目を点にしてしまっている。それもそのはず、今まで見たこともない女性が自軍の若者と一緒に突然現れたのだ。当然の反応といえる。
 そんな中、学識者が見抜いた。
「尖った耳……そなた噂の妖精か?」
「身共も知っておるぞ! その御召物はぶるーまー。倫敦で流行の闊達たる貴婦人の衣装」
「其方、神仏の類にして世情に通暁しておろう」
「ま、そゆこと。鋼鐵船の精よ、あたし」
 魅力的な笑みを浮かべた少女とも呼べる年齢であろう女性は、男たちに「あたしは三島玲奈、鋼鐵戦艦玲奈号よ。よろしくね」と簡単な自己紹介をした。
「しかしなぜ、そなたのような御方が我らの元へ?」
「その経緯は自分から御説明させていただきます!」
 背筋が驚くほど伸びた様は、彼の実直さをそのまま表しているようだった。そんな青年が副長と共に極秘の作戦とこれまでの経緯を説明した。
 玲奈が彼らで言うところのこの時代からするとずっと未来の世界で、函館郊外の森をマラソン中、倫敦仕込みの交霊術でやってきた青年に事情を聞き、彼と共にこの時代までやってきた。
 その理由は唯一つ。
「老若男女を問わず殺し、分捕りと名付けて、農工商を問わず財産を全て奪い民草の妻娘を捕らえて妾にしたり……まさに官軍のもたらすこの生地獄から、女子供を連れて僅かでも落ち延びるためです!」
 みな、わかっていた。この戦がもはや敗戦濃厚であることは。
 わずかな望みであった奇策も失敗し絶望しか見えなかった男たちに注いだわずかな光は、ようやく男たちの心を一つにし覚悟を決めさせる。
 せめて、己の家族を、守ってきた民を一人でも救うことができると知り、彼らは一同に晴れ晴れとした顔を見せた。
「為らば話は早い! 別れの杯じゃ!」
「おおっ!」
 それは、男たちが最期に手にする穏やかなひと時のはじまりの合図。
 鬼の副長以下覚悟を決めた隊士と玲奈の宴の夜が更ける。

   *   *   *

「こんなところにいたの?」
「玲奈殿」
「今日の主役がこんな端っこにいちゃだめじゃない。ほら、みんな、時の淵を渡った貴方の勇姿を聞きたがってるわよ」
「いえ……この場所が好きなんだ」
 函館の海が一望できる窓の外に出ていた青年の傍らに寄り添い、玲奈は彼と同じように空を見上げた。
「わぁ……綺麗」
「ここからの海と星空は絶景だ」
「本当に」
 それまで穏やかだった青年が突然真剣な表情を浮かべる。
「明朝に備え、休まなくても大丈夫だろうか」
「ええ。心配ないわ。ありがとう」
「ならば少し……戯言を聞いてもらえるか」
「なぁに? 改まって」
 出逢ったときから変わらぬまっすぐな態度は清々しく隣にいて心地いい。玲奈が微笑めばそこから目が話せなくなる青年の頬がほんの少しだけ染まる。
「……地獄に仏、渡りに船とは貴女の事だな」
「え?」
「貴女は、我らのもとに舞い降りた天女だ」
「でもあたしの羽衣は偶然に堕ちてきたわけじゃないわ。貴方や、副長さんや……隊士の想いがあたしをここに連れてきてくれた。貴方と引き合わせてくれた」
「……玲奈殿……」
 玲奈はそっと、青年の右手を取った。突然のことで彼は驚いたようだが、振り払われることはなかったので言葉を続ける。
「最初、貴方が目の前にやってきたときはびっくりしたわ。でも、貴方みたいな優しさと勇気に溢れる侍に出会えて嬉しいの」
「拙者も天女のように美しい貴女に出逢えて嬉しく想っている。交霊術で時の淵を渡らなければならぬとなったとき、様々な覚悟をしたが、まさか貴女のような人に逢えるとは思っていなかった」
 今度は、青年が玲奈の手を壊れ物を扱うかのようにそっと握り返す。
「このような生き地獄の中で、貴女は拙者に光をくれた。こんな気持ちになったのは初めてで、どのような言葉を紡いでよいかわからぬが……胸が、とても、暖かいのだ」
 端正な顔立ちに浮かんだ、微笑みは思わず見惚れる魅力的なもの。しかし玲奈は目を伏せて、厳しい現実をつきつけた。
「蝦夷は滅びるわ」
「覚悟の上だ」
「でも……でもね、子女を思い遣る隊士達の優しさは未来に遺るわ。あたしがちゃんと、未来に伝えるわ」
「それを聞いて拙者は希望が湧いたよ。玲奈殿なら、任せられる」
 玲奈は青年の期待に答えるように力強く頷いて、じっと彼を見つめると小さな声で教えてもらった名をつぶやいた。
「……世が世なら、二人は……ね?」
 消え入りそうな一言に、彼は小さくかぶりを振って否定を見せる。
 まるで、有り得ぬことを願う時間さえももったいないといわんばかりに。
「今宵は悔いなきよう語ろう」
「……ええ」

 星空の下、わずかな甘さを含んだ穏やかな時間が流れる。
 どうか、どうかこの時間が一分一秒でも続くようにと願わずにはいられないのは――互いの心が通っているからだろうか。
 しかしその願いが星に届かないことは重々承知している。
 ならば、限られた時間で互いを深く刻むように、二人は最期の夜を語り明かしたのだった。