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本の森の迷い子たち
その図書館は、とても大きな施設だった。
ドーム型の天井はガラス窓になっていて、館内の至るところに観葉植物が並んでいる。
特に最上階、庭園のように広がる緑の中に設けられた閲覧スペースは人気を読んでいるようだ。
地下1階から4階まであって、その天井はどこも高く、本はその天井までびっしりと埋め尽くしている。
本棚というよりは、壁に挟まれた通路。まるで本の迷路のような場所だった。
高い場所の本をとるために、脚立ではなく移動式の梯子が用意されている。
「……わぁ、すごい」
青い髪の少女、みなもは小さく声を漏らした。
「でしょう。広いし綺麗だし、本も沢山。こんな素敵な図書館、中々ないよ」
友人がそう言って、胸をはる。
「でもそれにしては、利用者が少ないね?」
人気のない通路を振り返り、みなもはつぶやく。
「多分、広いからじゃないかな。天井まで本棚になってるから他の通路も見えないし、最上階の閲覧スペースが人気らしいから、皆その辺に集まっているのかも」
「……うん」
何となく腑に落ちないながらも、みなもは小さくうなずいた。
それにしても、ものすごい蔵書だ。普通は書庫に入っているであろう、古めかしい書物や黄ばんだ巻物などを置いてある場所まである。
眺めて回るだけでも、十分に時が過ごせそうだ。
「ねぇ、あたし向こうの方の……」
声をかけようとしたところで、相手がいないことに気がついた。
いつの間に離れていったんだろう。せめて、声をくらいかけてくれてもいいのに。
みなもは首を傾げながらも、通路の曲がり角まで歩いていく。
ひょいっと顔を覗かせ、両側に目を向ける。
……いない。
走る音も聞こえなかったのに、そんなに早く姿が見えなくなるものかしら。
不思議に思いながらも、次から次へと、曲がり角を見て回る。
熱心に本を探す老人を見た。座って本を広げる子供も見た。
だけど、一緒に来たはずの友人の姿はない。
そうだ……そういえば、最上階の閲覧スペースが人気だって言ってたんだ。
思い出すなり、みなもは4階へと駆けていった。
息を荒げて辿り着いた場所は、緑に包まれた机とベンチだった。
公園の中にでもあるような、安らぎの空間。
だけど……そこにも、彼女の姿はなかった。
そうだ、携帯に電話すれば……。
図書館の中とはいえ、仕方がない。そう結論づけて、かけてみる。
しかし、電話には誰も出なかった。
呼び出し音に気づいて向かってみると、彼女を見失った場所のすぐ傍に、携帯が落ちていることに気がつく。
みなもは急に不安になった。
図書館であるにも関わらず走ってカウンターに辿り着き、友人の特徴を告げて見なかったかと尋ねてみる。
ついさっきまで一緒にいたはずなのだ、と。
しかしいくら広いとはいえ、図書館内でのことだ。
中学生を相手に迷子の放送をする気か、とばかりに苦笑される。
それでもみなもは迷わず頼み込んだ。
携帯を失くしていたら連絡がとれないというのもあるが、あの不自然な消え方が気になったのだ。
案の定というべきか、館内放送をしたにも関わらず、どれほど待っても友人は姿を現さなかった。
先に帰ってしまったんだろうと言われ、仕方なく携帯を預かったまま帰宅する。
しかしその日のうちに、友人の両親から「まだ帰ってこないんだけど、何か知らない?」と連絡を受け、更にその翌日――当然のごとく、友人は学校を休んだのだった。
「……このところ、付近で失踪者が続出しているようだな。うちにも行方不明調査の依頼が入ったんだが、証言によるとそいつらは皆、最後に図書館で姿を消したらしい」
探偵事務所を構える草間は、紫煙をくゆらせながらつぶやいた。
「警察は動かないんでしょうか」
「捜索願ってのは毎年途方もない数がくるそうだ。全部を探すわけにはいかない。なんで、事件性が薄いものは後回しにされる。幼児ならともかく、中学生くらいとなると家出の線も強いしな。失踪者が最後に図書館に行ってたみたいだから張り込んでくれ、ってのは無茶な相談だろう」
確かに、その通りかもしれない。
だからこうして、探偵事務所に依頼が入るのだ。
それに……もしかしたら、普通の事件ではないのかもしれない。
同じところで立て続けに人が消えたということは……その場所におそらく、何かがあるのだ。
みなもと草間は連れだって図書館へと向かった。
前回と同じく、やはり利用者はあまり多くはないようだ。
「はぐれるなよ。お前にまで消えられたら、後が面倒だ」
「でもそうしたら、理由が解明できるかもしれません」
冗談ではなかった。
自分も同じように捕まれば、友人が捕らえられている場所が、その理由がわかるかもしれない。
彼女を助けられるかもしれないのだ。
「妙な考えは起こすなよ。こいつは仕事だ。邪魔をするくらいなら帰ってもらう」
それを見透かしたかのように、草間は言った。
図書館内は禁煙というのもあって、少しいらついているようだった。
「……それにしても、妙にゴチャゴチャしたところだな。椅子だの植物だのが、そこら中に並べてあって」
「椅子はともかく、こんなにも植物があるのは珍しいですよね」
森の中に本を集めたような錯覚さえ起こすほどだ。
迷路のような本棚。そこら中に見られる植物。
それは何か、事件に関係しているんだろうか?
「……ここが、友達のいなくなった場所です。私はここから向こうを見ていて、振り返ったときにはもう……」
再現するように一方を見て、後ろを振り返ったときだった。
昨日までは、気づかなかったものが目に入る。
植物が……増えてる?
天井から垂れ下がるように蔓を伸ばすそれは、昨日までは確かになかったものだ。
「携帯を見つけたのは、ここ……」
しゃがみこんで、床を軽く撫でてみる。
その真上は、新しく入荷した植物。
これは――果たして、偶然なんだろうか?
「何だこの本。タイトルが書いてないな。著者は……」
棚に置かれた本に目を向け、草間がつぶやいた。
彼はハッとしたように、その本を取り出し、パラパラとページをめくる。
「これは、行方不明者の日記か? いや、それにしては……」
目を向けると、タイトルのない本がいくつかあった。
どれも似たような、何の変哲もない背表紙で、中身は簡単な手記のようなもの。
そしてどれも、途中で終わっているようだった。
「……もしかして、ここにある本は人を吸収しちゃうんでしょうか?」
「行方不明者は本に食われたってか? 知識を得るはずが、栄養にされちまうってわけか」
本が……もしそうだとしたら、植物はやっぱり、関係ないんだろうか。
みなもは書棚をくまなく調べてみたが、しかし友人の名前が書かれた本は見当たらなかった。
「タイトルのない本は、この辺りを中心にしているようだな。少なくともこの階では」
つまり全ての本が危険なわけではなく、1つの本――もしくはその代わりとなる何か――が起こしていることなのか。
それともその場所の、磁場か何かが問題なのだろうか。
「とりあえず、この本について何か知らないか、問いただしてみよう」
いくつかの本を手にカウンターに行ったが、図書館専用のバーコードシールもないそれらの本は、ここの蔵書ではないと言われてしまった。
ときおり、誰が置いたのか、勝手にそうしたものが混ざっているらしい。
自費出版した素人が作品を読んで欲しくてやったのではないかと、そんな見解を示しているようだ。
「……あの、それ以外に何か、増えているものってあります?」
みなもが尋ねると、司書は少し不審げに見返してきた。
「そうですね、植物とか、梯子とか。毎日少しずつ、増えていますよ。寄贈のつもりなんでしょうか。特に植物が多くて……置き場に困るくらいです。最上階なんて、すっかり緑に染まってしまって」
人が減る代わりに、物が増えていく……。
じゃあきっとアレは、あの蔓植物は。
みなもは思わず駆け出し、さきほどの場所へと戻っていった。
原因や理屈は、よくわからない。だけど何か……人を変化させる、何かがあるはず。
手当たり次第に書棚を探っていると、とても古い、黒い背表紙の本に手が触れた。
瞬間、思わず手を引っ込めてしまう。
熱いような冷たいような、ビリッとした痛みが全身に走ったのだ。
みなもは立ちくらみを覚え、そのまま床に昏倒しそうになる。
天井から垂れ下がる蔓草が目に入った。
彼女もこんな風に、倒れていったんだろうか。
そんなことを考えながら、目を閉じた。
気がつくと……みなもは高い天井から、本の並ぶ棚や通路を見下ろしていた。
ああ、そうか。あたしも植物になってしまったんだ。
自分の姿は、よく見えないけど。
きっと人の目には、植物しか映らないのだろう。他の行方不明者たちと同じように。
「おい、どこに行ったんだ? ったく……はぐれるなと言っておいたのに、仕様のないやつだな」
ぶつぶつと文句を言う、草間の姿が目に入る。
彼を上から見下ろすなんて、珍しい光景だ。
感覚は少しも変わらないのに、視線の位置は異なるなんて、妙なものだ。
――草間さん、あたしはここです。上にいます。
必死に声をかけるものの、まるで届いていないみたいだ。
でも草間さんならきっと、気づいてくれるはず。色々な事件を解決した、探偵なんだもの。
きっと見つけて、助けてくれるはずだ。
期待をこめて、懸命に念を送る。
「……ん?」
草間はふと顔をあげ、みなも方に目を向けた。
しばらくの間、何かを考え込むようにして。
「――まさか、な」
自分の考えを笑い飛ばすように、軽いため息をつく。
待って、草間さん。あたしです。海原みなもです。
行方不明者の元凶はあの本なんです。触ったら呪い――何かの仕掛け? が発動するみたいです。
助けてください。あたしを人間に戻してください。
……戻す? 違う、人間になりたい。人間に……どうしてなりたいんだっけ?
何だか頭の中が、ぼんやりと霞んでいく。
ああ、そうだ。ずっとこうして動かないでいると、自由な人間に憧れてしまうんだ。
せめて、最上階に行ってみたいな。仲間が沢山いるみたいだし、人間も沢山やってくるらしい。
もっと誰か、来てくれないかな。
ここはあまりにも静かで……人の気配がなさすぎるから。
THE END
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