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<東京怪談ノベル(シングル)>


夏の乙女の純恋歌


 濃紺の夜空に散らばる無数の星が、その下に広がる海にも光を反射させて燦然と輝いていた。浜辺は家族連れやカップルで賑わい、今宵の祭を楽しんでいる。
 特設ステージの裏で、三島玲奈は母とその隣に佇む大柄の中年男に感謝した。
「ママ、黒崎さん、今日はほんとにありがとう!」
「玲奈が喜んでくれてよかったわ。せっかくの夏フェスですもの、皆で楽しまなきゃ損でしょ。ねぇ、黒崎さん?」
「ああ。思いっきり歌ってこいよ、玲奈」
「はーいっ」
 母の経営する『喫茶かもめ水産』がカラオケを導入することになり、カラオケボックス『フラット』の店長である黒崎万次の指導を仰いでいた。その関係で、玲奈はフラットに毎日通い詰め、いつしか万次にすっかり惚れ込んでしまったのだ。
 常に黒いサングラスを着用している万次は、一見するととても堅気の人間には見えない。けれど、キックボクシングで鍛えたという逞しい体つきと、外見とは裏腹の包容力が、玲奈の心を攫っていった。声にも魅力があり、彼のよく通るバリトンを聴くたびに胸が高鳴る。
 そして今回、カラオケ組合主催の行事『夏フェス』が鳥島で開催されるにあたり、両店はコラボレーションすることとなった。ラジオも聞こえぬ島にのど自慢の猛者が集い、子供達に歌う喜びを伝えようという企画だ。カラオケ企画には一般部門と子供部門が設けられ、今もステージで元気に歌う子供の声が響いてくる。玲奈は一般部門の一番手だ。
 ――黒崎さんに喜んでもらえるように頑張らなきゃ。
 出番が徐々に迫ってきて、深呼吸をして精神集中する。ぽん、と肩に手を置いた万次に振り向き、笑顔で頷いた。そして司会者に名を呼ばれ、階段を上がってステージに立つ。盛大な拍手の波に呑まれた。ストレートの黒髪とライトブルーのミニスカートの裾が、暖かい夜風に靡く。
「ライトをちょうだい!」
 妖怪に伝手のある母親のコネクションを活用し、玲奈は自分専用の舞台を演出した。一反木綿の大スクリーン、鮮やかな蒼い鬼火の照明、唐傘小僧の衛星アンテナを用いた通信カラオケ。
 どよめく観客に、マイクを通して明朗に挨拶した。
「こんばんは、皆さん。三島玲奈です。こんな南の島で素敵なショウを開けるなんて嬉しいわ。今夜はノリノリよ♪」
 ポップ調の音楽が鳴り始めると同時に口笛や歓声が上がり、手拍子も湧き起こる。自身も観客と一体となって手を叩きながら、玲奈は旋律に歌声を乗せた。一番に届けたい万次への想いを込めて。
 この日のために用意したのは、大好きな3曲。フラットに行くたびに必ず歌っている。根気よく練習した甲斐もあり、音取りもリズムも歌詞もばっちりだという自信に満ちていた。
 1曲目は『スターライト』。

 翼の上に降り注ぐ光
 蒼い星空ずっと夢見てる
 夜明けまで満月を愛で
 飛んで幾夜スターライトGO♪

 軽快なダンスナンバーで、簡単な振付を伴って歌う。観客の中にも、大人から子供まで踊っている人が居るのを見て嬉しくなった。
 2曲目は『存在の歌』。打って変わってゆったりとした切ないバラードだ。

 悔しくて涙あふれる夜
 どんなに不安でも脅えないで
 希望を囀れば未来は開ける
 明けない夜はないの
 私はここにいる

 玲奈は尖った耳、天使の翼、鮫の鰓を持つ亜人間だ。翼と尾は衣服で隠しているが、それでも外見的には普通の『人間』とは呼べない。
 万次にはまだ恋心を打ち明けていなかった。自分は異形であるがゆえに、常人との恋は叶わない――そう考えているのだ。それでも抱え込んだ恋情は抑え切れず、日に日に募っていくばかり。
 だからせめて、歌で気持ちが伝わればいい。
 情感を自然に込めた玲奈の歌声に思わず涙する観客の姿もあった。
 最後の曲は『無限飛行のツアーはいかが』。再びポップな曲調に戻り、観客もいっそう盛り上がりを見せた。

 ほら見て
 星をちりばめた海より綺麗
 君の歌声が輝くよ
 濡れた翼を風で梳かそう

 ぞくり。
 サビを歌い終えると同時に、悪寒に似た殺気を感じた。玲奈は観客に悟られない程度に周囲を警戒する。視線を巡らせれば、ステージ横の椰子の林から何人もの亡霊がのろのろと歩いてくるのが見えた。
 鳥島といえば、昔は戦地だった場所だ。命を落とした兵士の魂が今も彷徨っているのだろう。
『西洋カブレノ非国民ドモメ』
『ソノ汚イ口ヲ閉ジロ』
『恥ヲ知レ』
 彼らが投げかける言葉は、呪詛じみた響きで玲奈の鼓膜を陰湿に刺す。ステージの一部となっている妖怪達も亡霊に敵意を向けた。
 観客の中にも霊感の強い者が居たようで、霊を見るなり悲鳴を上げた。動揺の波紋は瞬く間に広がり、混乱で騒然とする。
 ――まずいわね。
 曲の途中ではあるが、玲奈はマイクを放って応戦しようと試みた。しかし、その寸前に何者の影が素早く駆け抜け、兵士の一人に俊敏かつ豪快な回し蹴りを叩き込んで吹き飛ばした。空気を切る音と共に幾分かの砂が宙を舞う。
 突然の妨害に悠然と立ち向かったのは、あの男。
「黒崎さん!?」
 玲奈は驚いて目を瞠った。漆黒のTシャツを纏った屈強な背中は、間違いなく万次のものだ。肩越しに振り向いた彼は玲奈に不敵に笑み、場の空気を破壊した亡霊達に堂々と言い放った。
「俺にとっちゃ、んなこたぁどうでもいいんだよ。日本人だろうが西洋人だろうが全然関係ねえ。音楽は世界共通で楽しめるもんだろ。てめえらもつまんねえ意地張ってねえで、少しは耳傾けたらどうだ。――何が何でもこの祭を邪魔するってんなら、俺が全力でぶちのめしてやる」
 亡霊や観客、すべての人々が唖然とする中、玲奈だけは万次の言葉に心底感動していた。
 ――黒崎さん、やっぱりかっこよすぎるわー!
 気を取り直してマイクを握り、ちょうど間奏が終わる部分から颯爽と歌い出す。次第に周囲も元の活気を取り戻し、祭の雰囲気に酔いしれた。満足気に頷く万次を見つめてウインクしてみせ、玲奈は最後まで見事に歌い切ったのだった。

 ■ ■ ■

 出番を終えて裏に回った玲奈は、母と万次、そして妖怪達に労われた。母は組合の重役達と話があるからと妖怪達と共に場を離れ、万次とふたりきりになった。ステージではカラオケ大会が続いていて、亡霊達も林に帰ってひっそりと音楽を聴いているようだった。
 彼の奢りで、レモン味のかき氷を屋台で食べた。熱唱した後だと、氷の冷たさが心地好く喉を潤していく。
「おいしーい!」
「そりゃよかった。頑張ったご褒美だ、遠慮なく食え」
「ありがとうございますっ」
 自身もブルーハワイのかき氷を味わいつつ、それにしても、と万次は感心したように呟いた。
「おまえ、随分声が出るようになったな。特訓の成果か」
「そんなに褒められると照れちゃいますよー。黒崎さんもエントリーすればよかったのに。優勝間違いなしですよっ」
「ガラじゃねえよ。俺は聴いてるほうが楽しい」
「そうですかぁ?」
 座ったベンチでずいっと身を乗り出すようにして、玲奈は万次の顔を覗き込む。
「じゃあ、今度フラットであたしとデュエットしてください!」
「あのなぁ」
「ダメですか?」
 上目遣いで念を押すと、彼は微笑をこぼしてぽんぽんと玲奈の頭を撫でた。
「玲奈の歌唱力がもっと上がったら、一緒に歌ってやってもいい」
「わーい! 頑張ります!」
 歌に包んだ想いが届いたのかどうかはわからない。けれど、少しだけ万次との距離が縮まった気がして、玲奈は満面の笑みでかき氷を頬張った。
 やがて、浜辺から上がった花火が夜空に大きく咲き誇り、地上を極彩色に染める。
 真夏の夜の悪夢は、かき氷よりも甘い夢に変わって玲奈を喜ばせたのだった。


−了−