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<東京怪談ノベル(シングル)>


『白い影とプール』

 蝉が鳴き始める季節。影沼(かげぬま) ヒミコのクラスに、ひとりの転入生がやって来た。
 前髪が長く目の色と形はよく分からないが、肌は透き通っており、唇も柔らかそうだ。形の良い鼻は上を向いている。
「――はじめまして。三島 玲奈(みしま れいな)と申します」
 俯いて実に簡潔な自己紹介を済ませると、彼女は教師に示された席へと早足で向かった。
 愛想はあまりないが、特別おかしなところもない転入生。
 教室内の誰もが、そんな印象を受けたはずだ。

 その日の二時間目は、水泳だった。
 教師に言われた通りクロールで泳ぎ、ヒミコは水から上がる。すると、玲奈がプールサイドに座っていることに気が付いた。何らかの理由で授業を見学しているのだろう。
 少し気になったのでゆっくりと近付き、彼女に尋ねた。
「体調、悪いんですか?」
「……え?」
 下を向いていた玲奈が驚いたようにこちらを見る。少し困らせてしまったようだ。
「あ、ごめんなさい。少し気になったものだから。私、影沼 ヒミコと申します」
「――影沼さん。心配してくれてありがとう」
 謝罪してから名前を告げると、彼女は唇を綻ばせた。瞳は隠れているが、笑っているらしい。
 見学の理由について彼女は答えなかった。あまり話したくないのだろう。
 ヒミコはそれ以上は訊くのをやめ、彼女に玲奈ちゃん、と呼んでも良いか、と訊いた。玲奈という名前はとても愛らしいと思うのだ。
 彼女は、表情を崩さずに頷いた。
 
 身体が弱いのか一切運動はせず、口数も少ない。
 そんな彼女は、ある日を境に登校しなくなった。もう三日ほど学校に来ていない。ヒミコが心配していると、周囲にいる女生徒の噂話が聞こえて来た。
「ねえ、知ってる!? 昨日、遅くまで学校に残ってた子が聞いたらしいんだけど、誰もいないはずの体育館から靴の音がしたって!」
「嘘!? いつものことだけど、やっぱり怖いなあ」
 どうやら、この神聖都学園でまた怪現象が起きたらしい。

 怪奇現象はそれからも連続して発生した。校庭を舞う白い影、無人のプールに立つ波。
 そしてついに、ヒミコの所属する怪奇探検クラブは怪現象の究明、解決の依頼を受けた。

 まず知覚の鋭敏な部員が偵察、異常を察知しだい建物を包囲、二方向から挟撃する。屈強な者がお札や塩、聖水などをまきつつ対象を追い立て、ヒミコが知り合いの霊能者に連絡をとり、取りお祓いや交霊術で対話を試みる。怪異の犯人が人だった場合は不法侵入の罪で逮捕ないし通報する。
 そう作戦を立て、ヒミコは深夜一時、クラスメートでもある三名の部員たちと怪現象の調査をすることに決めた。

 午前一時。ヒミコが正門に着いたとき、三人の部員は既に集まっていた。
「――みなさん、こんばんは。遅れてしまったでしょうか?」
「――大丈夫。それより気を付けて。体育館、妙な感じがする」
 小さな声で謝罪すると、細身で直感の鋭い男子部員に注意された。ヒミコも体育館へと視線を向ける。確かに、おかしな気配がする。
 細身の彼は何かいたら手を振って合図する、と言って、体育館へと向かった。

 数分後。
「――見て!」
 小柄だが力自慢の女子部員が声を上げる。先ほど偵察に行った彼は、両手を振っていた。
「よっしゃ、行くぞ!」
「はい!」
 たくましい男子部員に応え、ヒミコたちは体育館へと向かった。

 偵察役の彼と力を合わせ、体育館南の扉を勢い良く開ける。北側の扉も、屈強な彼らによって同時に開かれた。
 館内の中央に、白い影。
 どうやら犯人は変質者などではないらしい。ヒミコはポケットのお守りを握り締める。
 ヒミコたちに気付いたのか、その影は異常な速さで館内を移動し始めた。

「――くっそ! 意外にすばしっこいな!」
「こらー、待てー!」
 力自慢の彼らが塩や聖水をまきその影を捕らえようとする。
 だがその影はヒミコたちを翻弄するように動き、窓から逃げてしまった。恐らく、校庭へ向かったのだろう。
 影を逃がすまいと、ヒミコたちも体育館を飛び出した。

 予想通り、校庭の中央に白い影が浮かんでいる。
 だがヒミコたちに気付いたのか、影は先ほどのように超人的な速さで動き出した。
「逃げるなー!」
「大人しく除霊されろ!」
 力自慢の二人が追いかける。ヒミコたちも後ろから影を捉えようと走った。

 相手が誰であれ、四人で追えば何とかなる。ヒミコたちは、影を校庭の隅にあるプールへと追い詰めた。
 慌てた様子で、影が水中に潜る。
「そこだーっ!」
 すかさず小柄な彼女が水に飛び込み、その影を捕らえた。
「塩まけ塩」
 浮き上がって来た影に、たくましい男子部員が白い粒を投げつける。
「きゃーっ何なのよー」
「出たぞ海坊主だー」
 声を上げる影に対し、細身の彼が恐ろしげに叫んだ。
 けれど。
 ヒミコは、その声を知っているような気がした。
「――みなさん、ちょっと待って下さい」
「何だよ」
 ヒミコの言葉に、屈強な彼は手を止める。
 プールサイドから白い影――いや、純白の羽根が生えた人物を覗き込み、ヒミコは息を呑んだ。
 透き通った肌、柔らかそうな唇、形の良い鼻。
「…玲奈ちゃん?」
 小さな声で問いかけると、影はうん、と答えた。

「ごめんなさい! みんなに迷惑かけちゃって……!」
 プールサイドに座り込み、白い影――玲奈は泣きじゃくった。
 純白の翼を持つビキニ姿の少女が、塩と水にまみれて号泣している。実に異様な光景だ。
「玲奈ちゃん、どうしてあんなことをしたんですか?」
「――あたしこんな感じだから、みんなをびっくりさせないようにいつも変装してたの。体育のときはごまかせないからずっと見学してた。でも、それだと私だけみんなに置いていかれちゃうから、ひとりで練習してたの……」
 ヒミコの質問に彼女はしゃくり上げながら答えた。教師や生徒たちを気遣うあまりに起こしてしまった事件、ということなのだろう。
 けれど。
「何だよ隠さなくてもいいじゃん」
 屈強な彼が彼女に近付く。
「だってあたし改造人…」
「個性だろ個性」
 自身の正体を告げようとする彼女を遮り、彼は豪快に笑った。
「あたし飛ぶし目から光線でるよ?」
「すげー特技じゃん」
「今度模擬店でBBQするんだ。光線で炭火起こしてよ」
 次なる告白にも、部員たちは動じない。屈強な彼は相変わらず笑顔だし、光線バーベキューを提案した小柄な彼女も楽しそうだ。
「飛べるなら天井の飾りつけ手伝ってね」
「溶接とか出来る? バスケのゴール壊れてて。治ったら私と女子バスケ部復興しない?」
 細身の彼も笑みを浮かべる。また、優れた運動神経を持つ彼女は、玲奈と協力し部活を復興させるつもりらしい。
「ブルマって戦前のだっけ? てっきり戦災者かと」
「ちがうよー羽を束ねてるの!」
 たくましい彼のデリカシーがない言葉に、玲奈は立ち上がって反論した。
「苦労してんだな。でもお前頑張り屋だし」
「正直に言えばいいのに」
「ハキハキして友達増やせばいいんだよ」
 屈強な男子部員は彼女の肩に触れる。小柄な女子部員はにっこりと笑う。細身の彼は玲奈に助言する。
 彼女を気味悪がる者など、この学園にはいないのだ。
「――みんな……」
 呆気にとられた様子の彼女にそっと近付き、ヒミコは言った。
「――玲奈ちゃん。正体を隠す必要なんてありませんよ。今度、一緒にプールで泳ぎましょう」
「――うん!」
 玲奈は、満面の笑みで頷いた。