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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜光虫 4

満身創痍で半裸を晒しながら、もうろくな反応も見せないのに眼光だけが鋭さを失わない。
まるで瞼を伏せたら終わりだと言わんばかりに、ぎらぎらとしたものを湛えてギルフォードを見据える。
その不屈さ、不退転の意思は、あるいは琴美と同じような戦闘者ならば敬意を表したことだろう。
だがそういった戦う者の誇りなどとは完全に無縁のギルフォードにとって、自分の興をそぐまでに弱りきってもなお噛み付いてくる琴美は、ただただひたすらにうっとうしいだけの対象へと変わっていた。
生きる価値のために死ぬことも厭わないような人種を相手にしても、楽しくない。
まともなのはふるいつきたくなるようなその身体ぐれーなもんだな――そう思いながら、無造作に一歩詰める。
その様を、ギルフォードのやろうとしていることを、琴美はされる瞬間まで認識できなかった。
視線を逸らしなどしていなかったにもかかわらず、朦朧とする意識は認識をあまりに遅らせた。
軽く振ったようにしか見えない左拳が、骨のぶつかる音も鈍く顎を下から打ち上げる。強制的に上向いたせいで喉が無防備に開かれ、まだしも血に汚れていない美しい輪郭があらわになる。
ただ一撃で構えた腕が解けて姿勢が崩された所へ、最初に琴美が反撃された場面の再来のようにして前蹴りがむき出しになったインナーの張り付く腹にまともに入った。そして今度はそれでは終わらず、軸足はそのままに一回転して、くの字に折れ曲がった身体へ回し蹴りを追加する。
ほとんど水平に吹っ飛んだ琴美と併走するギルフォード。
助走をつけ、肉食の獣じみたしなやかさすら見せて、驚嘆すべき速度で跳躍したギルフォードは、何の反撃も防御もできない彼女の頭部めがけて、刃から元の義手に戻して組んだ両手を一切の躊躇いもなく振り下ろした。
側頭部が陥没したのではないかという、一種異様な破壊音が響く。
不意に、『両手を打ち鳴らして、鳴ったのはさてどちらの手か』という、そんな下らない話をギルフォードは思い出す。
この場合、響いたのは殴った拳の方か、それとも殴られた頭か、はたまた地面にほぼ垂直に墜落させられた琴美の身体と地面の方か。
嗜虐欲を満たすには充分な肢体だったが、既にその状態などギルフォードにはどうでもよかった。
真剣にどうでもいい。現時点で死んでさえいなければ。
「……ああ、うぜぇ」
そもそも自分に差し向けられる暗殺者というものは、この義手のことすらろくに知らない相手ばかりだった。暗殺の標的にされるというだけで気分のいいものではないが、下調べもお粗末だというのはつまり自分をなめきっているというしかない。それでいて来る者来る者全て判で捺したような反応から末路までたどってくれるというのだから、ギルフォードの生来の気性からしてこれで好印象を持てという方が無理な話だ。
もちろん義手の情報が拡散していない最大の理由は、ギルフォード本人が義手の性能の片鱗でも見せた敵は一人残らず生きては帰さなかったせいではある。
が、頼んでもいないのに暗殺の標的にされた挙句、彼の感覚では片手間で済むレベルの刺客ばかり遣すどことも知れない相手方の人材状況と情報収集能力など、もちろん彼の知ったことではなかった。
むしろそこを越えて義手対策をしてくるような相手と戦う方が、返り討ちにするにも何倍もやる気が出るというものだ。少なくとも息をしているだけの半死人とだらだら時間を潰すよりは、絶対に楽しいに違いない。
「もういいやお前」
完全に沈黙した琴美の姿は、なまじ美しいだけに壊れた人形と大差ない。
起き上がる気配も苦痛の声もなくなったそれを一瞥して、ギルフォードは右手を鋭く振ってこびりついた血を振り落とした。
「って放置できりゃいいんだがよ。まーだ仕事残ってんだよなあ」
興味の失せた対象がまだそこにいるだけでイライラする。そしてそれは容易に怒りへと変換される。下らない暗殺対象にされた不快さも燃料として追加され、ギルフォードは意識を失った琴美のかろうじて肩に引っかかっていた袖を手荒く掴んで引っ張った。
そうして引きずっていくつもりだったのだが、連れて行こうとした所で不意に手から重さが消えた。続いて何か大きくて柔らかいものが落ちる音。
振り向けばそこにある筈の人間の姿は、血染めの布だけを残して消えている。
片眉を跳ね上げたギルフォードが見遣る先では、ぼろぼろになった戦闘服の布地が張力に耐え切れずあっけなくちぎれており、服に吊り下げられていた形の琴美が肩から地面に落ちていた。
「マジで何なわけお前。手間かけさせんじゃねーよ」
破れた服も青黒く変色し始めた打撲痕も、何もかも怒りをかき立てる。
「畜生、仕事増やしやがって」
ギルフォードは心底腹立たしげに吐き捨てて、今度は琴美の髪を鷲掴みにした。そしてそのまま彼女を一度も顧みることなく、施設の奥へと姿を消して行く。
後には夜の闇の中、どす黒くも陰惨な翳りを帯びた光の反射だけが地面に残されていた。