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<東京怪談・PCゲームノベル>


【翡翠ノ連離】 第四章



 台所に立っていた鳳凰院アマンダは軽く溜息をつく。誰にも気づかれないように、だ。
 アトロパの言うように「敵」に彼女の居場所は完全にバレている。
(でもまぁ、我が家はそれなりにセキュリティもあるし、家に直接攻めて来たりはしないでしょう)
 あれだけ人目を気にするのだ。いくらなんでも強硬手段に出ることはないはず。
 勿論――油断はしない。
 それよりも心配なのは、と……背後を肩越しに見遣る。
 テレビに夢中のアトロパの小さな背中が見えた。彼女は暇さえあればテレビを観ているので、こちらとしても助かる。
(まさかとは思うけど……出て行くなんて言い出さないわよね……?)
 あれから一ヶ月、その様子はみられないが……タイミングを待っているのかもしれないと思うと、気が気ではない。
(世界を救う……)
 いまだに方法も、彼女の行動もよくわからないけれどアマンダは信じているのだ。彼女はもう、自分たちの家族なのだから。
(そりゃあね、養女とかには手続きもいるから難しいかもしれないけど……)
 戸籍がないとはっきり言っていたけれど……そもそもアトロパはどこから来たのだろうか?
(あんなに可愛いのに……)
 うちにはいないタイプの子だ。余計に手放したくない気持ちになる。
 ぎくしゃくしていた息子の一人ともそこそこ打ち解けてくれたようだし、娘とは仲も良くなっている。このままここに居て欲しい。
「アトロパちゃん」
 タオルで手を拭きながら、アトロパに背後から近づく。
 反応がないので不思議に思っていると、彼女は視線をテレビに向けたままぼんやりとしていた。
 濁った金色の瞳が、ゆら、と微かに動いてアマンダのほうを見る。
「なんだ。アマンダか」
「なんだじゃないわよ。ぼうっとしちゃって、どうかした?」
「…………いや、やはり家を出……」
「ストップ! ダメです。いけません!」
「え……だが……」
「むしろうちの子になって欲しいくらいなのに、ダメったらダメです。
 あなたのことは、私と娘が守るわ。だから安心して。この家だってセキュリティは高いのよ?」
「…………追跡者は諦めん」
「そうだとしてもよ!」
 アトロパの瞳が、まともな輝きを持ち出し、それから嘆息した。
「アマンダはいいヤツだな。アトロパはアマンダに助けられてとても感謝している」
 素直に言われて照れてしまう。率直すぎる言葉と視線はアトロパの長所だ。
 ん? と気づいてアマンダはアトロパを上から下まで眺めた。
 この間、デパートで買ってきた衣服を着ていない。なぜ?
「……アトロパちゃん、この間買ってきた服、気に入らなかったかしら?」
 またあのいつもの衣服に戻っているので心配して尋ねると、ああ、と彼女は洩らす。
「一番下の息子に渡したぞ」
「……なぜ」
 本当に、「なぜ?」だ。
 確かに女装癖に近いものを持っている息子はいるが、あげたのだろうか?
「いつも似たような衣服では可哀想だろう。だから、貸してやったのだ」
「あれはアトロパちゃんのために買ったのよ?」
「アトロパはいつもの服のほうが、慣れていていい。
 誤解しないで欲しい。アマンダに買ってもらった服は大事にしている」
「…………」
 あとで息子を問い詰めなければ。
 そう心に決めつつ、アマンダはテレビへと視線を向けた。
「今日は時代劇なのね」
「わかりやすい勧善懲悪だ。頭を使う必要のないものだが、単純でいて難しい」
「そうね」
「8月」
 唐突な話題にアトロパは瞬きをしてアマンダを見上げた。ソファにちょこんと腰掛けた彼女は本当に人形のようだ。
「あのね、実は海に行こうと思っているの」
「うみ。ああ、大きな水溜りか」
「ちょっと、というかだいぶ違うんだけど。
 アトロパちゃんも連れて行きたいと思ってるのよね。水着……はないんでしょう?」
「また狙われる」
 視線を伏せるアトロパの右肩にアマンダは手を置いた。優しく。
「そうだとしても、私も、娘もいるわ。大丈夫よ」
「…………」
「本当はそれまでに事態が解決できればよかったんだけど、無理そうだし」
「…………アトロパは世界を救うぞ。憂いも、何もなくなる。安心しろ」
 にっこりと満面の笑顔で笑う彼女の横に、アマンダは腰掛けた。
「アトロパちゃんは、本当はどこから来たの? 私たちのところに来るまでは一人だったんでしょう?」
「…………」
「時がくれば世界は救われるっていうけど、方法はわかってるの?」
 何度も繰り返した問いかけ。だがいつもアトロパは不思議な答えを返してくるだけだった。
 彼女は瞬きを数度繰り返し、小さく笑った。
「大丈夫だ。アトロパには仲間がいるから」
「仲間?」
 初耳だったことに驚くアマンダに、アトロパは告げる。
「仲間、という表現はおかしいだろう。だが目的を同じくしている」
「そうなの……」
 それ以上は話してくれそうになかったので、アマンダは話を打ち切った。
 なんだかおかしくないだろうか? 今になって、彼女に仲間が存在するなんて。
(もしかして……私たちを安心させるため……?)



 ゆっくりと、静かに、闇に、身をしずめる。
 アトロパの瞼はかっちりと閉じられ、その瞼の裏の闇で声がこだましている。
 世界を救えと。
 それこそが使命だ。生まれた意味。そして生きる意味。
 なぜなら、それが果たせなければ――。
 どうなる?
 疑問はアトロパには存在しない。「なぜ」という言葉は彼女は極力持てないように設定してあるのだ。
(海)
 昼間にアマンダが言った。海に行こうと。
 だが想像する能力が貧困なアトロパは、テレビの画像を脳内で再生することで「海」を表現した。
 本物の海は見たことがないのだ。
 アマンダも、アマンダの家族も自分によくしてくれる。
 ふ、と瞼を開けた。
 自分を執拗に追ってくる敵の狙いは自分の捕縛か、排除だろう。
(どちらでもよい)
 姿を現さないのは賢明な判断だ。現した時は、アトロパを逃がす気がない、勝算が多少なりともあるということになる。
 追跡者はアトロパが「何」なのか、探りを入れているはずだ。もしや、世界を救う使命を知っているのかもしれない。
 瞼を再び閉じ、アトロパは闇の底へと意識を潜らせていった。



 散歩に出かけた際、再びアトロパを銃弾が襲った。ばちんっ、と弾かれたのは一瞬で、連続で撃たれた弾丸は見えない壁で防御される。
 さすがに頭にきたアマンダは、人の姿の見えない周囲を見回し、大声を張り上げた。
「なぜこの子を狙うの!? この子は世界を救おうとしているのよ!」
 だがその叫びに応える者はいない。
 静まり返った住宅街で、アマンダは悔しさに唇を噛む。
「よいのだ、アマンダ」
「で、でもアトロパちゃん」
「もう身を潜めただろう。追跡者は、仕事をしているに過ぎない」
「仕事? アトロパちゃんを狙うのが?」
「私怨で狙うのなら、完全に殺意など消せない」
 と、思う。
 小さく呟くアトロパは転んでしまった時についた衣服の汚れを払いながら、そう言った。
 アマンダは弾丸が飛んできた方向を見据える。
「……堂々と姿を現さないなんて、卑劣な」
「…………」
「アマンダ」
「ん?」
 振り向くと、アトロパは沈んだ表情で視線を伏せていた。
「世界を救うのだ、アトロパは」
「? ええ、そう言っていたわね?」
「必ず、成し遂げる。アマンダの好意に甘えてしまっても、使命を果たす」
「それは構わないわよ」
「だが『敵』には、アトロパの存在は邪魔なのだろう。アトロパも、ヤツらが邪魔だ」
 初めてそこで、アトロパの言葉に棘が含まれる。不思議な声音だった。一度も、そういった声は聞いたことがない。
「世界を救うのはアトロパの生きる証だ。それを邪魔されるのは、すごく、いやだ」
「アトロパちゃん……」
 アトロパはまた無表情に戻る。感情を押し殺したというよりは、スイッチが切れたように思えた。

 なぜだろう。
 何度も何度も襲撃しておきながら、ダメだったら敵はすぐに去ってしまう。
 なにを……思っているのか……。なにを、探っているのか……。
 アマンダはアトロパを連れて水着売り場にまで足を伸ばしていた。
 しっかりと彼女の手を繋いで。
(確かにアトロパちゃんて不思議なのよね。あの弾丸もだけど、ナイフも効かなかった……)
 何者なのか、という疑問がやはりここで浮上する。
 どんな存在であれ、アトロパはアトロパなのだから気にはしないのだが……。
 ちょっと気になって指先で彼女の額をつついた。……なんの変化も起こらない。
(……うーん?)
「なにをする、アマンダ」
「いや、可愛いなあと思っただけよ?」
「かわいい? アマンダはよくわからぬことを言う。可愛いという単語はアトロパには不似合いだぞ」
 胸を張って言うアトロパは、家にいる時と変わらない普通の少女だ。
 ぎゅ、と彼女は手を握ってきた。
「いつもすまないな」
「え? 気にしなくていいのよ。好きでやっていることなんだもの」
「………………」
 ああ、と小さく洩らしてからアトロパはアマンダを見上げた。
「もしや……こういうのがちらりずむ、というやつなのだろうか……」
「え?」
 突然のアトロパの言葉に、彼女の視線を追う。
 とある水着をアトロパは見ていた。
「いや……ちょっと違うと思うわよ……?」
「そうか……違うのか。奥が深いな……」
「アトロパちゃんなら、ワンピースの水着のほうが似合うと思うわよ」
「? 単語の意味がよくわからないな……」
 珍妙だ、と困ったように眉をさげるアトロパの姿にアマンダは小さく笑った。



 彼女は立っている。
 一人で。
 長い緑の髪をなびかせて、鈍い金色の瞳を隠して。
 瞼をそっとあけ、景色を眺めた。
 この美しくも汚らしい世界を、救うのだ。
 ああ、これは夢だろうか? だが自分は夢をみない。だったらこの光景はテレビで観た光景だろうか?
 「救う」。
 パン、と音がして、側頭部が撃ち抜かれた。そこから血が弾け、飛び散る。
 アトロパは倒れる。
 倒れた彼女は鈍い金色の瞳のまま、上空を見上げた。
 これは夢だ。…………夢だ。



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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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PC
【8094/鳳凰院・アマンダ(ほうおういん・あまんだ)/女/101/主婦・クルースニク(金狼騎士)】

NPC
【アトロパ・アイギス(あとろぱ・あいぎす)/女/16/?】

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■         ライター通信          ■
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 ご参加ありがとうございます、鳳凰院アマンダ様。ライターのともやいずみです。
 徐々にアトロパに異変が……? いかがでしたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。