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<東京怪談ノベル(シングル)>


総力戦【富嶽】洋上の怪?

 海上に流出したオイルの回収は、自然保護の観点から確かに大きな問題ではあるが、なにより今回の事件が重要視されたのは作業中の艦艇が相次いで消失したからだった。
 場所はメキシコ湾――。
 当然、早急な手立ても打たれたが――虚しくも、かえって被害をさらに甚大なものへ変えただけだった。
 テロ組織からの攻撃であったならば――良くはないが――マシだったかもしれない。
 各部門の専門家がこぞって討論を交わしたが、最終的に……落ち着くべき場所に落ち着いたのである。
「護衛艦までもが被害に遭った今回、もはや我々の手におえない事態なのではないか!」
 磨かれた机上に拳で叩きつけながら言い放つ制服組のひとり。
 背後のスクリーンに映っているのは、毒々しささえ感じる藻に動きを封じられている護衛艦だった。
 これまで無言を通していた老人が顎の下で組んでいた手を解き、手元にあるノートパソコンのキーを数回叩いた。テレビ電話にもなっているパソコンのディスプレイに、ひとりの少女が現れた。
 ふう、と息を吐き、
「国連軍は指揮権を妖精王国玲奈姫陛下に奏上。――慈悲を」
 スクリーンの明かりだけの室内に、緊張した空気が張り詰める。
 程なく、少女の明るい声が響いた。
『三島・玲奈。確かに了解したッ』

 湾曲して見える水平線を遠くに眺め、抜けるような夏空の下――甲板上――で眼下の海上に浮かぶオイルの残滓に玲奈は薄く眉を顰めた。
 それらは虚しく波間を漂い、時折、回遊魚と思われる黒い影が海中を渡る。
「四隻め……だったよね?」
 茂枝・萌は、愛らしい顔を渋面で覆う玲奈へ声をかけた。
 玲奈が表情を翳らせているのには理由がある。流出したオイルの除去作業している艦を狙う意図が読めないことに対して、不安を抱いているのだ。
 徹底捜索したという指揮官の話を聞いたが、残骸すら発見できていないのが現状らしい。だが、そこが引っ掛かる。
 しかも、狙われたのは中和剤散布の艦ばかり。敵の正体がはっきり掴めないまま、現行犯逮捕か――。玲奈は両目を固く瞑った。海上を滑るように吹き抜ける風が、漆黒の髪を柔らかくなぶっていく。
 さりとて、このまま黙って艦を奪われてばかりいるのも癪だった。
 ゆっくりと――瞳を開く。
 足元からは熱気が上がってくる。
 玲奈の様子をうかがう萌には気づいていたが、構わず踵を返し、操舵室へ戻る。その後をニヤニヤと怪しげに笑う萌が続いた。
 忙しない艦内を足早に抜ける。
 180度素晴らしい俯瞰の操舵室に戻った玲奈は、即座に作戦を決行した。
「リニアカタパルト展開。綺龍作業班3・4準備よろし、――――――発てぇぇぇっ!!!」
 緊張感を溢れるほどに含んだ声で、玲奈は前方の海上を睨み据えて叫ぶ。胸の奥のざわめきが杞憂であることを祈りながら。
「一区切りしたらジャスミン茶にしよう。落ち着くよ」
 ポン、と肩を叩かれ振り返ると、にこりと笑う萌の顔があった。
「そうだね――っっ?!」
 笑顔で、そう返した矢先である。
 綺龍隊ロスト――――。最悪の叫びが、報告が室内に轟いた。

 甲板へ駆け出すと、すでに飛龍の準備は済んでいた。天狼を構えつつ、龍の背へ飛び乗る。
「濃紺地ショーツの腰に走る2本の白線、王国の紋章にかけて、行くよ」
 端的に言い放つ。
「はいひぃ様」
 その言葉もそこそこに聞き流し、萌を背中に張り付かせて手綱を引く。周囲の風を巻き込みながら飛龍は、雲ひとつない青空へと飛び上がった。
 五分と立たない内に現場へ到着した。眼下に広がる流出油を見下ろしながら、
「報道ではイタリア半島に匹敵するとか」
 萌の言葉に、玲奈はひたすら無表情を決め込む。
 そこで、藻が絡んだ件の艦を発見した。二人は低空飛行から甲板への着陸を試みる。
 やおら辺りに霧が立ち込め始め、二人は龍の背から振り落ちた。
 甲板も手すりも、アンテナに至るまで藻がすべて絡みつき、さながら緑の地獄絵のようである。さらに臭気もひどく、玲奈は眉をいよいよ顰めた。
 護衛戦消失の一報から、玲奈たちが到着するまでに要した時間は数えるほどだ。はっきり言えば、早急に対応した為、一日とかかっていない。それがどうだろう。艦全体を覆う藻の状態は、まるで何年も海上を漂流していたような荒れようだ。
 藻の下に隠された箇所を露出されば、なにか、変異の証拠でもみつかるかと玲奈は愛刀を突き刺してみる。藻を引き剥がす、単純な作業に従事ていると、突如、どこから現れたのか。いかにもな幽霊船が護衛戦に接舷してきた。
 板を渡し、ぞろぞろとこちらへなだれ込んでくる骸骨の海賊たちは、蛮刀を振りかざして襲い掛かってくる。
 天狼を藻から引き抜き、すばやく翼を広げた。斬り込んできた海賊の背後を取り、横薙ぎの一閃――。幼児の知育玩具のような軽い音を立てて、骸骨が甲板上に散らばる。
 そこへ、割って入るようにドドドッと重い音が響き、玲奈の足元が縦に爆ぜた。
「!」
 何事が起きたのかを理解するよりも早く、床を蹴り、その場を飛び退る。
 ミシン目のような跡が残された床を見やり、それが機銃掃射だと気づいた。
「何で海賊船にマフィア?」
 いつから海賊がこのような高価な武器を所持するようになったのか。こんなもので襲撃されては民間の艦やタンカーでは、対処できないだろう――と、玲奈はなぜか、ひどく冷静なことを考えていた。
 藻の切断は、今も奮闘している萌に一任して、玲奈は海賊船へと斬り込む事にした。
 だが――――。
 
 玲奈号の甲板。強い夏の日差しを避ける為の華やかなパラソルが、少し不似合いだけれど。
「まあまあ」
 渋面、仏頂面、いや、こめかみに血管を浮かせている。そのどれもが当て嵌まっているようで、嵌っていない。そんな複雑怪奇な表情でジャスミン茶を飲んでいる玲奈へ、萌が声をかけた。
 彼女が慰めの言葉をかけても、玲奈の気持ちは一向に晴れない。確かに、萌が淹れてくれたお茶は申し分ない程に美味しいけれど、それだけでは心は晴れないのだ。女ばかりのマフィアが残した言葉を思い出した玲奈は、ギリと歯噛みした。

『ご協力感謝♪』

 日に焼けた褐色の肌を惜しげもなく晒し、挙句にウィンクまでつけて。
 そのあっけらかんとした様子に、ただただ唖然とするばかりだった。

 しかし、何よりも悔しいのは、その後の報道で知ったイタリア女性の婚活ブームだ。
 イタリア半島を襲った豪雨に中和剤成分が含まれていたらしく、しかも男性ホルモンを減少させる毒性があるという。
 その影響からか、所謂、草食系男子増加の兆しが見えているのだとか。
 敵の正体も目的も――イタリア男性の総草食化が目的だとは思えない、というか思いたくない――わからないが、彼女たちの欲しがっている中和剤をわざわざ運んでやり、挙句、綺龍隊で納品さながらのことまで行ったのかと思うと悔しくてたまらないのだ。
 陽動にしてやられた。しかも、こんな珍妙な現象が後日談として全世界に報道されるという顛末。
 ティカップを持つ手がぶるぶると震えだすのを、あえて抑えない玲奈だった。