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JADE 〜interval round3〜
「ユリアンは『ばんど』というのをしているのだな」
一緒に歩きながら鳳凰院ユリアンは、アトロパ=アイギスに頷いた。
ギターケースを背負い、約束の場所へと急いでいる。アトロパが居るのは、彼女が興味を持ったので練習風景を見せようと思ったからだ。母と姉にはかなり反対されたが……。
ちら、とユリアンはかなり背後のほうを見る。
(ああやって遠くからついてくるとか……どうなんだろう……)
過保護すぎやしないか? アトロパに対して。
アトロパはいつものようにベージュや生成に近い色の衣服を着ており、長い髪の一部を括って垂らしている。
傍目に見ても、彼女は可愛い。
(……どう見ても普通の女の子なんだよね。見た目の髪や目の色以外は)
*
練習に使う公民館内にあるスタジオのドアを開けると、ベースの音が響いてきた。
そこにいたのは金髪の美少女だ。スタイルも抜群に良く、腰元で結んでいるシャツの裾と、短いジーンズ姿の彼女はこちらに気づき、手を止める。
「ユリアン!」
まるで大輪の薔薇のような笑顔を浮かべた美少女は、ユリアンの横に見知らぬ少女が居るのに気づいて軽く首を傾げた。
「アリス、遅れてごめん」
「べつにいいけど……」
視線はアトロパから外れない。外さないまま、彼女は続けて言う。
「ああそう、ドラマーね、今日は急用で来れないって」
「ええっ! じゃあ練習は!?」
「ドラムなしでやるしかないわね」
ニヤッと笑う彼女は、やっとユリアンのほうを見た。
「で、そっちの子は?」
「あ、……」
「アトロパ=アイギスだ」
ぺこっ、と頭をさげる彼女に、美少女は口笛を吹く。
「変なこと言ってからかうなよ? アトロパは真面目なんだから、なんでも本気で受け取るんだ」
庇うように言うと、美少女はさらににやにやと笑った。
「ふーん、例の子か。なかなか可愛い子じゃない。今は一緒に暮らしてるんだっけ。なんかユリアンに変なことされてない?」
「するかっ!」
「ま、そんな度胸ないか」
くすっと笑う美少女は、持っていたベースを一度置き、近づいてくる。
「よろしく、あたしは明姫アリス。アリスって呼んで、アトロパ」
「よろしく、アリス」
アリスの差し出した手をアトロパは無表情で握った。だがアリスは気にせずにぎゅうぎゅうと元気に握り締めてきた。
スタジオの様子に興味津々のアトロパは視線を室内で動かした。
「ここでユリアンとアリスは演奏をしているのか?」
「そうだよ、アトロパ」
「女装もするのか?」
邪気のない質問にユリアンの動きが止まり、アリスが「ぶっ」と吹き出した。
アリスは笑いを堪えつつ、ユリアンに尋ねる。
「この前渡した衣装、気に入ってくれた?」
「そんな訳ないだろう!」
「ん? だが部屋で着ていたではないか」
「あっ、アトロパのバカ……!」
焦るユリアンがアトロパの口を慌てて塞ぐがもう遅い。アリスはおなかを抱えて笑っている。
「すごく面白い子じゃない! 一緒に暮らしてるなんて羨ましいわね、ユリアン」
「勘弁してよ……」
好意を寄せているアリスからそんな言葉をもらうとは思わず、人知れずユリアンはへこんだ。脈は、やはりないのだろうか……?
練習を二人が始めたため、手持ち無沙汰になったアトロパは部屋の隅で邪魔にならないようにこちらを観察している。
それをアリスが見つめ返し、「ねえねえ」と声をかけた。
「ん? なんだ、アリス」
「アトロパ、なにか歌ってみない?」
「歌?」
アトロパがきょとんとし、膝を抱えて座っていた姿勢のまま首を傾げた。そして視線を伏せる。
「テレビで流れていたものなら、少しは歌える」
「じゃ、歌ってみて!」
笑顔で近づき、アトロパの手を掴んで引っ張りあげる。ユリアンはなぜこんな展開になるのかわからない。
立たされたアトロパはぼんやりとした表情でアリスを見つめていたが、少し考えてから頷く。
「なんでもいいのか?」
「なんでも!」
「じゃあ……」
ゆるやかに唇を開き、アトロパはテレビのコマーシャルでよく流れている歌を歌い始めた。
普段喋っている少し低めの声とは違い、歌うと声が高くなる。美しい旋律を歌い上げる彼女はいつものアトロパとは別人のようだった。
歌い終わってもしばらく室内は静かなままで、アトロパは怪訝そうに眉をひそめる。
「? どうした……? アリスもユリアンも呆然として」
「いや、だって……」
どう、言っていいのか。
困るユリアンと違って、アリスは突然アトロパの両肩を強く掴んだ。
顔を近づけ、瞳をきらめかせる。
「結構いい声だとは思ってたけど、ここまでとは……! 歌うと全然印象変わるのね!」
「???」
わけがわからないという表情をするアトロパを前後に強く揺らす。
「ねえ! うちの専属のボーカルにならない!?」
「ぼーかる?」
「うちってほら、表向きガールズバンドってことになってるし、3人でボーカルを兼任してたんだけどそれも限界かもって思っていたの」
「……?」
「あんまり無茶言うなよ、アリス」
さすがにアトロパが混乱していたのでユリアンが止めに入った。するとすぐにアリスがキッと睨みつけてくる。
「ここであと一押しってのができないからだめなのよ、ユリアンは」
「? だめってなにが?」
「…………」
半眼で睨まれてしまった……。
二人を交互に見ていたアトロパはよくわからないようで、「ユリアン……」と尋ねてくる。
「ぼーかる、とはなんだ?」
「ああ、歌手のことだよ。歌う人」
簡単に説明すると、アトロパはふぅんと洩らした。自分がそのボーカルに誘われているとは思っていない様子だ。
アトロパに向き直ったアリスは彼女の肩を強く、強く掴んで瞳を覗き込んだ。断られまいとするための行為だ。
だが覗き込んだアトロパの昏い瞳にアリスは驚いたようだ。ユリアンとて、時々アトロパがこんな瞳をすることに驚くのだから、初対面のアリスはもっと驚愕したはずだろう。
なにもうつしていないような、くらい……深い瞳、だ。
しかしアリスは挫けずに唇を真一文字に結び、アトロパにしっかりと向き合った。
「うちのバンドのボーカルになってくれない?」
「アトロパがボーカルに? それは無理だ」
「なんで?」
「アトロパには使命がある」
「使命?」
「世界を救うという重大な使命だ」
真面目な顔をしてアリスに言うのを見ていたユリアンは「あちゃあ」と顔を片手で覆った。
事あるごとに、アトロパはこうして「使命」の話をする。世界を救うという彼女の使命の内容は、よくわからないものだが。
アリスはしばし理解しようとするような表情を浮かべる。なにせアトロパは冗談を言っているような態度ではないのだ。笑うような場面ではないことくらい、アリスにだってわかっているのだ。
「世界も救って、うちのバンドも救って!」
そんなことを言われるとは思っていなかったため、アトロパは大きく瞳を見開いた。珍しい表情にユリアンも驚く。
鈍い金色の瞳が驚愕と困惑で揺れている。アトロパは眉間に皺を寄せた。
「救う……? アトロパが歌うことで、アリスとユリアンは救われるのか?」
「そう!」
「………………」
唖然、とするアトロパは考え込むように黙った。しばらくして、うーむと低く唸る。
「世界を救う使命と兼任なら、よい。だが……歌うだけだ。それ以上はできぬ」
「本当!?」
「嘘は言わん。だが、アトロパはバンドがどういうことをするのか理解していない」
「教えてあげるわよ、そんなの。
さっきのバラードもいいけど、ポップなのも歌える? 勢いよく」
「ぽっぷ? アリスはわけのわからん単語をよく使う……」
困ったように嘆息したアトロパの肩から、アリスの両手がやっと離れた。
「じゃあね、今からあたしとユリアンで曲を披露するから、この歌詞!」
いきなり歌詞の書いてある譜面を渡され、アトロパは混乱したように瞬きを数度する。
「この歌詞を歌ってみてくれる?」
「……言い忘れていたが、練習はあまりしない」
「ん? 練習しないと上手くならないわよ。音合わせだって大事だし、互いの調子をみるのにもね」
「そんなことはアトロパには必要ない。歌うだけという約束だ」
アリスは難解なアトロパの言葉の意味に疑問符を浮かべている。見かねてユリアンが助け舟を出した。
「アトロパって時々、絶対にこっちがわからないような意図した言葉遣いをしてくるから、気にしないでアリス」
「へ〜……本当に変わってるのね。
じゃ、ユリアンまずは音合わせね」
音合わせが終わると、一曲披露する。
その直後、アトロパが譜面をざっと眺めてアリスに返してきた。
「憶えた。もういい」
「憶えたって……本当?」
「嘘は言わんとさっき言った」
信じられないと目でユリアンに合図を送ってくるアリスだったが、曲を演奏し始める。ユリアンもそれに合わせた。
途端、アトロパが見事に譜面通りに歌い始めたのだ! 感情が一切こもってはいないが、盛り上がりになるとかなり音の高さが跳ね上がる。それにも苦もなく合わせてきた。
「クール!」
曲が終わった後のアリスの感想はその一言に尽きた。
無表情のアトロパは「終わったのか?」と無感動に洩らしている。
ユリアンはアトロパの隠れた才能に驚愕するばかりだった……。
*
練習が終わり、アリスはユリアンに夏休みの予定を訊いてきた。
「海へ行く予定だよ。一応、家族で」
一応、とついているのは家族の中で予定が変わる者が出る可能性もあるからだ。
「いいわね。海かぁ……。
あたしも予定がなければ一緒に行きたいわね。新しい水着で浜辺の視線を独り占めね。
おっと。でもおばさんとあなたのお姉さんは強敵かしら?」
「さあ、どうかな……」
あの目立つ家族のことを考えると浜辺の視線は色々なものを含んでいそうだ。
「アトロパも行くの?」
アリスの問いかけにちょこんと座っているアトロパが頷く。
居候の彼女は母の強い要望で行くことになっているのだ。というか、今頃この周辺を母や姉がうろついているに違いない。邪魔をしないように身を隠しているだけなのだろう。
まあでも今は。
(アリスがすごく喜んでるし、いいか)
仮、とはいえボーカルをアトロパがやると言ってくれたことに、心の中でユリアンは小さく感謝した。
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