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<東京怪談ノベル(シングル)>


総力戦【富嶽】〜扶桑


「うっわー‥‥これは、確かにすごいわ」

 三島・玲奈は見渡すばかりの桑の木を眺めながら中国茶をすすり、しみじみと頷いた。目の前の卓にはずらりと並ぶ、飲茶セットと焼売のお皿。
 扶桑、と言うのがその屋上庭園の名前である。この頃なぜか爆発的な人気を誇る風水術に従って、龍脈の上だという都心の各所に中華系のビルが次々と建設されている、その中の1つだ。
 コンセプトは『超高層のオアシス』。その謳い文句に恥じぬ桑の森林を吹き抜ける涼風が、玲奈達の座る卓のテーブルクロスを揺らしていった。

「‥‥それにしても」

 心癒される光景から視線を逸らし、見つめた先には思い思いに木蔭でくつろぐ人々。ごくごく平和な光景に見える――彼らが全員、取りつかれたかのような同じ表情で漫画を読みふけっていなければ、だが。
 ポイッ、と焼売を口の中に放り込みながら渋い顔をした玲奈に、村雲・翔馬が眼差しだけで彼らを一瞥して呟く。

「同じ顔ぶれだな」
「全員、ね‥‥なんでこんなとこに漫画喫茶を作ったのか、ってのも疑問だけど」

 玲奈も深く息を吐く――ここは桑の森に囲まれた一角にある、漫画喫茶なのだった。それもちょっと、問題ありの。

「桑の木に薬物反応はないし‥‥と言って、何であんなにハマってるんだか」

 扶桑の漫画喫茶の客が、まるで中毒患者のように毎日入り浸ってひたすら漫画を読みふけっている。そんな通報が当局に寄せられたのは最近の事だ。
 ただ休日、あるいは会社帰りにやって来るだけならまだ良い。けれども彼らはやがて日常生活を置き去りに、漫画喫茶に足を運んでひたすら桑の木の木蔭に座り、漫画を読みふけって1日を過ごし始めるのだ。
 これが問題にならない訳はない。だがそれほどに人々を魅了し、社会問題にまで発展させるほどの魅力が、果たして一体どこにあるのか――
 当局が目をつけたのがまず、他では見られない桑の木の森林、なのだけれども残念ながら、どんなに調査してもそれらしい反応を見つける事は出来なかった。だが着実に大きくなっていく問題に、とうとう当局が出した結論が、桑の木の伐採。
 玲奈は涼風に揺れる桑の木を見つめる。この桑の木が問題かどうかは解らないけれども、ここが少なくとも玲奈達にとっても、都民にとっても安らげる潤いの場所であることは事実だ。その憩いを、この手で壊すなんて――

「だがこのままでは‥‥」
「わかってる。だから何としてもこの謎を解明しなきゃ!」

 翔馬の言葉に強く頷いた。なぜ人々が中毒症状を呈して、この扶桑にやってくるのか。その謎を何としても解かなければ、待っているのは『超高層のオアシス』破壊の使命だけだった。





 扶桑の営業は日の出とともに始まる。まず真っ先にやってくるのは、一見してどこかの会社員らしい男だ。
 その日に発売した週刊漫画雑誌を買い込んだ後、サッと運ばれてきたモーニングセットを素早くかき込んで、慌しく職場に向かう。その様子を近くの喫茶店から観察していた玲奈は、同じくモーニングのゆで卵を剥きながらぽそり、呟いた。

「そんなに急ぐんならわざわざ昇らなきゃ良いのに‥‥意味判んない」
「中毒患者なんてそんなもんだ。塩くれ」
「自分で取りなよ。取れるじゃん」
「手がふさがってるんだ」

 翔馬と半ば漫才のように話しながらその日は過ぎ、翌日も同じように過ぎ、さらに翌日も過ぎていき。
 一週間ほど経った頃には、扶桑の常連客の1人に玲奈達は目をつけていた。見るからに硬派で真面目そうで、おおよそ自分からは漫画喫茶になんて足を向けなさそうな中年男性。その男が常連客となり、日が経つにつれて目に見えて堕落していき、ついには(失礼ながらあまり上手とは言えない)萌えキャラを通勤鞄に描き始めたのだ。
 どこからどう見ても、異常な光景。まぁ目覚めた時の堕落は早いと言うが、それにしても早すぎる。

「翔馬。あいつ、要チェックだね」
「あぁ‥‥ッ、おい、玲奈、上を見るんだ!」
「上?」

 何言ってんの、と相棒の言葉に釣られて扶桑のあるビルの屋上の方を見上げても、何もない。不審な眼差しを翔馬に向けると『巨大な鳥が居たんだ』と主張する。
 もう一度見上げてみても、玲奈の眼には何も映らなかった。だが翔馬が見たというのなら、きっと巨大な鳥が居たのだろう。それが、今は隠れてしまっているのに違いない。
 玲奈はそう考え、翔馬と目を合わせて頷き合った。ビルに飛び込んでもどかしくエレベーターを呼び、最上階まで一気に登って踏み込むと、そこには。

「金色のお化け鳥‥‥?」
「金翅鳥だ――アレを叩けば簡単に解決出来そうじゃないか」

 巨大な金色に輝く鳥の霊体が、漫画を読みふける人々の頭を啄んでいた。その度にわずかずつ弛緩した顔になる人々――どう見ても明らかに、あの金翅鳥こそがこの騒ぎの発端。
 ぎりっ、と奥歯を噛み締め、玲奈は剣を構えた。翔馬も同じように構え、険しい顔で金翅鳥を睨み据えている。
 そうして、2人は同時に地を蹴って霊体に襲いかかった。だが敵も玲奈達の行動には気づいていたらしい。桑の木から何故かだらりと垂れている蔦が、霊に操られて触手のようにうねりを上げ、襲いかかってくる。
 玲奈達はその触手をスパスパと斬り飛ばしつつ、霊体へと迫った。バサリ、バサリと巨大な翼をはためかせるたび、金翅鳥に煽られた漫画本がぶわりと吹き飛ばされ、啄まれて居た人達がパタパタその場に崩れ落ちる。
 そんな中を玲奈達は剣をふるって走りぬけ、やがて屋上の隅、吹き飛ばされた漫画本が降り積もった辺りについに、金翅鳥の巨大な霊体を追い詰めることに成功した。

「もう逃げ場はないよっ!」
『物を知らぬ小娘ども‥‥自分が何をしているか解って居るのか』

 剣を構えた玲奈と翔馬に、金翅鳥は巨大な瞳を爛々と輝かせてそう言った。一体何を言っているのかと、不審に玲奈は眉をひそめ、ちらりと翔馬を見る。
 フル、と首を振る相棒。そうして苛立ったように切りかかろうとする翔馬を、玲奈は腕を上げて止めた。金翅鳥が何を言い出すのか、興味があった。
 見上げた玲奈を、巨大な瞳で金翅鳥は見下ろす。

『大樹は吸った水を先端で蒸発させ、その勢いでさらに水を汲み上げる――このビルが果たす役目はまさにそれだ。下界の煩悩を汲み取り、発散させ、また煩悩を吸い上げる――それを食らってやっていたと言うのに、その善意を仇で返す気か!?』
「なんだかよく判んないけど大きなお世話よ!」

 金翅鳥の怒りのこもった言葉に、玲奈は全身で怒鳴り返した。その為に多くの人々が中毒症状を見せ、あんなに真面目そうな男までもが堕落する――それを見過ごし、許せるはずがない。
 玲奈と翔馬は、同時に、金翅鳥の霊体へと飛びかかった。全力を込めて握った剣を叩きつけ、斬りつける。
 金翅鳥が耳をつんざく悲鳴を上げた。そうして何か、叫んだような気がした。

(何‥‥?)

 だが、次の瞬間階下から地響きが聞こえ始め、玲奈ははっと我に返る。金翅鳥の霊力がこのビルを支えていたとでもいうのだろうか、金翅鳥の消滅と同時にビルが崩れ始めたのだ。
 慌てて玲奈達はビルの外へと飛び出した。扶桑に居た客達は無事だっただろうか。それを確かめる余裕もなく、走って逃げる玲奈の背後から爆発音が鈍く、幾つも響く。
 ちら、と肩越しに振り返ると、炎上するビルが見えた。その炎の赤を見た瞬間、金翅鳥の遺した断末魔が脳裏によみがえり、玲奈は首をかしげる。

(確か‥‥『このままでは龍族の陰謀が! 富嶽が!』って‥‥)

 一体何のことだろう、と眉をひそめた。金翅鳥は恩を仇で返すのかと玲奈達を糾弾したのだ。そうして金翅鳥が居なくなった瞬間、爆発炎上したビル――
 ――まさか本当に、玲奈達は、恩を仇で返したのだろうか?
 そう考え、だが玲奈はぶるん、と勢い良く首を振った。たとえそうだとしても、玲奈にとって大事なのはまず、目先の幸福だ。あそこには漫画喫茶に傾倒する人達が居て、それに困っている人達が居た。その人達を救うために玲奈達は戦った。
 ならそれで良いじゃん、と小さく呟いて玲奈は高く、青い空を見上げたのだった。