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<東京怪談ノベル(シングル)>


総力戦『富嶽』〜静かなる湖底〜

西湖。夏の盛りを迎えてなお静けさをたたえた湖の底で、その密談は行われていた。集ったのは名だたる竜族たち。話題となっていたのは、近々目覚めると言われている金翅鳥の事だ。竜族の天敵であるその鳥は、目覚めれば富士の高嶺より舞い降りて、竜族を襲うだろう。逃げるか、隠れるか。しかし、どこへ?議論が行き詰まったその時、竜族の一人言った。
「阻止すりゃ良いんでね?」
 他の竜族たちがぐるりと振り向き、顔を見合わせる。確かに、名案ではあった。だが、どうやって?訝しげな仲間たちに、その竜族はあっさりと言った。
「頂上に人を集めて鳥よけにすりゃよか」
 なるほど、と皆が大きく頷く。金翅鳥はその羽ばたき一つで下界の人間たちを盲いてしまうから、彼らは人の居る場所には現れない。だから頂上に人を集めておけば、金翅鳥は目覚めを諦めるはず。とはいえ、問題は人間たちをどうやって招き寄せるかだ。
「どう人を呼ぶべ?」
「夏は山より海だべ?」
 口ぐちに言われたが彼は怯まず言った。
「富士山を嵩上げするべ。登山家が群がるべ」
 途端に巻き起こった嘲笑の渦を制したのは、長老だった。
「面白い。神話に曰く、富士山を築き上げし土は、元は琵琶湖の土砂であったとな。やってみよ。そして金翅鳥の目覚めを阻止するのじゃ!」
 そして、おごそかに命じた。
「琵琶湖へ。湖底遺跡に眠る古代人たちの知恵を手に入れよ。古墳すら築きし彼らの叡智の結晶が、そこにある筈じゃ」
 かくして竜族の計画は動きだし、時をほぼ同じくして、玲奈に湖底遺跡の死守命令が下った。竜族の姦計を阻止せよ!これが後に言う、総力戦『富嶽』の発動であった。

「確かに富士山を琵琶湖の土で造ったなんて信じられないと思う。でもね、古代人には念力を使った土木技術が確かにあったんだ」
 小型ボートの上で風に吹かれながら語る青年の顔を、三島玲奈は眩しげに見上げていた。ここは琵琶湖。湖底遺跡の調査の護衛役として彼に雇われたのは、一週間ほど前の事だ。彼は学究機関には所属せず単独で調査と研究を続けている、いわば在野の研究者だ。その特異な学説故、研究者としては異端らしい。
「でもね、俺は諦めないよ。すべての証拠がこの琵琶湖に眠っているんだから」
 希望に満ちたその声に、玲奈は思わず護衛の任を忘れそうになりながら頷いた。
「湖底に沈んだ村…ですか」
「そう。この村は、沈むべくして沈んだ」
 と言いながら、青年は潜水用具を身につけ始めた。
「『神器』の為にね」
 念力を使った土木技術。それを可能にした存在。それが、彼の捜す『神器』だ。
「ずっと探していたんだ。あれさえ見つければ、証明できる」
 それが彼の長年の夢なのだ。頷く玲奈に、彼はもうひと組の潜水用具を放って寄こした。
「あの…」
 玲奈には人前で肌を見せられない理由がある。ボートを無人には出来ないと断ったが、彼は引かなかった。
「一緒に来てもらいたいんだ。君にも神器を手に入れる瞬間に立ち会って欲しい」
「でも、私は…」
 頑として譲らない玲奈に、青年はすっと一冊のファイルを差し出した。中を開いた玲奈ははっと息を呑む。
「あなた、私の事を…」
 一瞬にして警戒心を滲ませた瞳に、青年はすまない、と両手を上げた。
「仕事相手の事はよく調べる主義でね」
「でも、これは…!」
 やり過ぎだ。ファイルを握り締めて玲奈が抗議の声を上げる。
「本当に、すまない。…でも」
 彼は玲奈の方に身を寄せると囁くように言った。
「これで何も気にすることはないだろう?俺は玲奈ちゃんの事情を知っている。俺らは今二人きりで、湖の下に眠るのはまだ誰にも発掘されていない遺跡だ。玲奈ちゃんは写真家だろ?被写体を逃す手はないよ」
 彼の言葉は不思議と玲奈の心にすんなり入ってきた。
「ずるいわ。こんな物、必要ないって知ってたくせに」
玲奈は一つため息を吐くと潜水用具を彼に返してキャビンに戻ると、すぐに鮮やかなビキニ姿で甲板に現れた。すらりと伸びた手足、そしていつもはスカートで隠している、長い尾。だが、彼はその姿にも動じるどころか嬉しそうに微笑んで、手を差し伸べた。
「行こう。最高のダイビングを約束するよ」
 二人は静かに湖面に飛び込んだ。

「こっちだ」
 青年に導かれ、玲奈はゆっくりと湖底に向かった。玲奈はその本来の能力とインカムによって、二人は水中でも自由に会話することが出来た。
「何か来るわ」
 身構える玲奈に、青年が手を振る。
「魚だよ」
彼の言葉通り、手を取り合って潜ってゆく二人を、魚の群れが取り囲むようにすれ違ってゆく。銀色の魚影。次々と現れる彼らと戯れるように泳ぎながら、二人は次第に湖底に近づいて行った。日本最大の湖の底は、思っていたよりずっと深く、静かだった。
「見て」
 二人がゆっくりと降り立ったのは、階段のような場所だった。ゆるやかな階段を登りきった所に、何かが見える。
「神殿…?」
「たぶん。気を付けて。ここは見えない渦があるんだ。前はそれで流されて…」
「だから、私を選んだの?」
 玲奈の能力をもってすれば、どんな渦も泳ぎ切ることが出来る。意地悪く問う玲奈に、彼はちょっと困ったように笑って、
「それも、ある」
 と言った。その率直さがとても心地よい。
「いいわ。私に任せて」
 玲奈は彼の体を抱えるようにすると、水を蹴った。
「ホントに、すごい流れ」
 渦を巻き、回転し、引きずり込もうとする強い力。自然のもののようだが、そうではない。これは一種の結界だ。たぶん、力だけではこの水流を越えられはしない。
(お願い。『神器』よ、その姿を彼に見せてあげて)
玲奈の願いに応えるように、水流がふっと緩まるのを感じた。その瞬間に水を蹴り、玲奈は荒れ狂う渦を抜けた。


 渦の中心にあったそれは、静かに湖底に佇んでいた。あの激しい渦の中心であったとは思えぬ程に静かで穏やかな場所の、その中心には小さな建物があった。白い、ほんのりと輝きを放つ石で組まれた、小さな小屋のような建物。だが屋根は丸く、玲奈の知る日本古代の建物とは明らかにどこかが違う。美しかった。
「きれい…」
 思わず呟くと、インカムから遠慮勝ちな声が言った。
「あの…出来ればそろそろ放してもらえないかな…ちょっと惜しいけど」
「ひゃっ」
 彼をぎゅっと抱きしめたままだった事に気づいて、玲奈は慌てて手を離した。
「ごっ、ごめんなさいっ」
「いや…それはこちらのセリフのような…」
 そう言った頬は水の冷たさの割にはかなり赤く、つられて赤面した玲奈は照れ隠しに建物の方を指差した。
「『神器』は、あそこにあるんですよね?」
「あ、ああ、そのはずだよ」
 行こう、と、彼が手を差し出し、玲奈は自分のそれを重ねた。二人は手を取り合って、小さな丸屋根の中に入った。直径10メートルもない、小さな丸天井の下にあったのは、小さな白い水瓶だった。
「『神器』って…水なんですか?」
「いや、形は伝えられていないんだ。でも…」
 皆まで言わずとも玲奈にも分かった。『神器』がもし水の形をしていたなら、長い年月のうちに流出してしまっているだろう。
「そんな…折角ここまで来たのに…」
 一縷の望みをかけて、玲奈は水瓶の中に手を差し入れた。と、その時だった。瓶の中が白く輝き、驚いて手を引いた玲奈の腕に、光の布のようなものがふわり、と絡んで引き出されたのだ。
「これが…?」
 それは玲奈の腕の動きに合わせて弧を描き、玲奈はその両端をつまむように持った。
「『神器』だ。…何て美しい…」
 彼の言葉がまるで自分に向けられたもののようで、玲奈の胸はどくん、と脈打った。思えば彼は、玲奈の全てを知りながらも女の子として扱ってくれる。それがやけに嬉しくてくすぐったい。
「はい。これはあなたのもの。発掘者なんですから」
 布のように見えるそれを手渡すと、彼は何故か首を振った。
「君の方が、いや、君にこそふさわしい。でも…」
 そして、彼は『神器』を手にしたまま一歩、後ずさりした。
「あの…」
 追おうとする玲奈に、彼は今度は激しく首を振る。
「出来ない!俺には出来ません…!それにこれは彼女の…」
 一人叫ぶ彼は、まるで見えぬ誰かと言い合っているように見えた。どうしたのだと、玲奈がさらに追おうとしたその時、巨大な鮫が二人の間を裂いた。淡水に鮫などいるはずがない。これは…
「竜族!…あなたは…!」
 玲奈の声が悲しみを帯びる。裏切られていたのか、ずっと。
「違う!いや…でも俺には君を殺せな」
 皆まで言わぬうちに、青年の姿は消えた。赤い血が一瞬にして水域を染める。玲奈の声にならない悲鳴をあざ笑うかのように、鮫が再び突進してくる。
「役に立たぬ小童!…ならばわらわが始末してくれるわ!」
 玲奈は一瞬にして全てを理解した。彼は竜族に利用されたのだ。その夢を叶えようとして。
「許せない!」
「ふん、ならばどうする!ここは水中。得意の光線も使えぬぞ!」
「甘く見ないで!」
 玲奈は巨大なクラゲに変化した。突進してくる鮫は避けようとしたがそれを逃さず触手に捕らえ、電撃をくらわせる。強靭な顎も、包み込まれての電撃にはなすすべもない。その身体を四散させる鮫の断末魔の声を聞きながら、玲奈はゆっくりと変化を解いた。そして…
「…あれは…」
 散り散りになって落ちてゆく鮫の肉片の中に、輝きながら揺らぐ一枚の布が見えた。
「『神器』…」
 手を伸ばしたが、届かない。鮫との戦いで巻き上げられた砂の向こうに消えてゆくそれを追う気力は、玲奈には既に残っていなかった。ウェイトを失い、ゆっくりと浮上する玲奈の脇を、大きな影がいくつかすり抜けてゆく。潜んでいた竜族たちだ。
(婆は斃れたが物は手に入った)
 彼らの哄笑が聞こえても、玲奈はその声にこたえようとせず、ただ、目を閉じた。何故こんなにも苦しいのか。何故涙が止まらないのか。喉の奥から漏れる嗚咽を聞く者はいない。静けさ戻る水の底。淡くも消えぬその想い。全てを知るのは、湖に群れなす魚たちだけ。

<終わり>