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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜に泳ぐ 1

その手の店ならさておいて、屋敷付きのメイドにこの制服というのは、多分に主の趣味が入っているのだろうか。
黒と白で統一された、品性を損なうギリギリのラインまで丈を短くされたメイド服のスカートの裾をつまみ、水嶋琴美は与えられた自室で深い溜息をついた。
何故彼女がメイド服など着ているのかといえば、これが潜入任務の一環として与えられた彼女の身分だったからだ。
このとある富豪の所有する屋敷には、実は大きな秘密がある。
表向きは豪奢とはいえ民間人の持ち物であるが、裏では敵対勢力の拠点が地下に築かれているらしい。『らしい』で留まっているのは、外部からの調査がそれ以上進まず確定に至らなかったからだ。
富豪の屋敷という多少過剰な警備でも不審に思われないのをうまく利用して、相手は外部の目を欺き、伸ばす手を払い続けていた。
ならば外からではなく中から調べればいい――ということで屋敷メイドとしての潜入指令を言い渡された琴美は、今までメイドとして働きながらこの館について調査を進めてきたのだった。
だがこの部屋で生活し、この服を着て一日を過ごす、この館のメイドとしての生活も今日で終わりだ。
これより先は彼女本来の所属、下された任務を完璧に遂行する『自衛隊特務統合機動課隊員・水島琴美』としての時間が始まる。
それが擬態の殻であるかのように、まず白いカチューチャを外し、襟のリボンを解き、腰の後ろのエプロンのリボンも解く。肩紐を留めるボタンを外せばレースに縁取られた白いエプロンが胸の前から外れ、ワンピースの後ろのチャックを下ろし、パフスリーブの袖から腕を抜いてしまってパニエからも足を抜けば、すとんと白黒の布地の塊が床に広がった。
「どうせならロング丈のメイド服の方が都合が良かったのですけど」
下着だけの姿になって、琴美は少しだけこのメイド服のデザインに不満を漏らした。
屋敷メイドの制服がああだから、これから袖を通すものも寸分違わぬ形状になってしまったのだ。
「まあでも」
白くて薄い靴下を脱ぐために腰掛けている琴美のすぐ横、メイド生活の間ずっと寝起きしていたベッドの上には、既に衣装ケースから新品のメイド服――に見せかけた特殊素材の戦闘服――が広げられている。
「動きやすさではこちらの方がありがたいですわね」
ロング丈では武器は隠しやすいが、ミニスカートとどちらが動きを阻害しないかと問われればミニスカートの方だ。
相当注視してもお仕着せのメイド服と区別がつかないほど完璧に作られているのだから、琴美としてはそれ以上の不満はない。
そしてもちろんこれからの琴美の任務を考えれば、運び込まれたのが戦闘服だけであるはずがない。
「装備は……ああ、ちゃんとしてくれたようですわね」
とてもそうには見えないが、腰周りを防御する特殊繊維のパニエ。最後の砦として特に胸元を厚くしたガーターベルトつきビスチェに伸縮性のある揃いのショーツ。ガーターリングのような形状のベルトにはナイフの束が鋭い輝きを見せ、手甲の役目も果たす防刃グローブや箱に入った編み上げの革のロングブーツと一緒に置いてある。
それらはメイド服を模した戦闘服と同じく特殊繊維でできた靴下に合わせ、さながら白一色であつらえた鎧だった。
これに比べれば一糸まとわぬ姿になった琴美が先程まで身に着けていたものなど、ただの薄布と言っても差し支えない。
たかが下着というなかれ。時に布一枚が生死を分ける場面もある。
流石にメイド服を着ての任務は初めてだが、急所を可能な限り防御しておく事が重要なのはどんな衣装でも変わりあるまい。
琴美はまずボディースーツに近い被面積のビスチェのトップに豊満な胸を収め、フロントの紐をぎゅっと締めて固定した。柔らかな胸がこぼれる事もなく形を崩さずに収まるのは、もちろん琴美のサイズに合わせて作られているためだ。背中のゴムストレッチが無様にずり落ちるのを防いでくれるし、同時に激しい動きにも耐えられる作りになっている。
次に戦闘服同様の特殊繊維性の白い靴下を履き、ビスチェから伸びるガーターベルトでずり落ちないように留める。そしてショーツをはいた次は、ある意味最も気をつけなければならない武器の番だ。
今回はガーターベルトの上にさらにガーターリングのようにして投げナイフを収めたベルトを太腿にはめる。あまり本数が持てないが、それでも両腿をびっしり取り巻くような形になったのでだいぶましだろう。
下着の最後としてパニエをはき、黒いワンピースに袖を通し、エプロンの肩紐を留め、腰の後ろで形よくきゅっとリボンを結べばほぼ完成だ。
一度立ち上がり戦闘服の着心地を確認すると、琴美は編み上げの革のロングブーツに足を入れ、解けないようにちょうどいい長さで靴紐を結んだ。頑丈な革に加えて爪先や踵を強化されたロングブーツは、同時に足音を消すべく滑り止めを兼ねた別種の柔らかい革張りになっているという代物だ。
最後に白いカチューシャを頭につけて姿見の前に行けば、長い黒髪をまっすぐに背へと下ろした清楚そのもののメイド姿が映る。
とても十を越える刃を服の下に隠し持っているとは思えない、花のかんばせ。
琴美はちらりと壁にかかった時計を見遣った。
時刻はあと少しで午前二時三十分。任務にはおあつらえ向きの時間と言えよう。
与えられた自室の電気を消す瞬間、鏡の中でつややかな唇が笑みの形に弧を描いた。


(――見つけた)
人々が寝静まった真夜中に館を歩き回る、今回の暗殺のターゲットの名は霧嶋徳治。
『鬼鮫』と呼ばれるその男は、黒髪黒目の四十歳。背が高くがっしりとした体つきは、元ヤクザだという経歴もあって荒事慣れした者特有の雰囲気をまとっている。
琴美は広大な屋敷の内部に広がる廊下の迷路と死角を利用して鬼鮫を尾行していたが、彼が一つの地下室へと足を踏み入れた段階で一気に距離を詰めた。
エプロンの裏から取り出したグローブを静かにはめ、小走りに駆ける姿は影が滑るように速い。毛足の長い絨毯と靴裏の作りの双方が足音を吸収し、瞬く間に鬼鮫の消えた地下室への扉へたどり着く。
その勢いのまま流れるように扉に手をかけ、人一人が入れる分だけを素早く開けて中に入る。後ろ手に扉を閉めれば視界は闇一色だが、琴美は扉のすぐ後から階下への階段が伸びていることも既に調査済みだ。
無論この地下室に、鬼鮫以外の人間が今いないということも。
「こんな夜中に――徘徊癖でもおありですの?」
夜目の効く琴美の視界には、不意にかかった声に驚くべき速度で振り返った鬼鮫の姿が映った。
強面がみるみる内に迫る。
重力の助けを得て階段を一気に飛び降りた琴美は、その勢いのまま太腿から抜いた投げナイフを鬼鮫に向かい突き出すようにして繰り出した。
「メイド!?」
対して間一髪で身をそらした鬼鮫は、突然襲ってきた相手の姿を認めて振り返った勢いのまま怒りの叫びを発した。
琴美のナイフは鬼鮫の首の皮を数ミリ裂いて行き過ぎていた。血は出ていないが、反応が遅れていれば死んでいただろう鋭い軌跡を描いていたのだ。
襲われた側としては怒らないはずはない。
「誰だ!」
「あなたの仰る通り、メイドですわ」
もっとも鬼鮫の怒りも誰何も、琴美はまるで意に介さない。
階段の底、無人の地下室で、白いエプロンのリボンが床を蹴った動きに合わせてひるがえった。