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<東京怪談ノベル(シングル)>


甘き刃は闇を屠れず 1

 今夜、仕留める。
 水嶋・琴美はほの暗い自室で四角く光を放つ姿見に向き直り、整った容貌の女と見つめ合った。この日を逃せば、次の機会はない。そして、任務も失敗に終わる。暗殺対象者の行動を調べ上げるのは楽な仕事ではなかったが、だからこそ負けられない戦いだ。シャワーを浴びたばかりで水気を帯びた肢体を柔らかなバスタオルで拭い、髪も軽く乾かしてから、琴美はクローゼットを開いた。
 世界でも名だたる富豪が建てた屋敷に相応しく、小間使いの部屋も立派に出来ている。屋敷にメイドとして潜入した際に支給されたメイド服がずらりと並んでいたが、琴美はそれらを脇に避け、クローゼットの奥に隠しておいたメイド服とセットの装備品を取り出した。外見は、この屋敷の主が好んで若い娘達に着せているアンジェラブラックメイド服と酷似しているが、素材が違う。裾もかなり短く、無防備に見えるが、その正体は琴美の仲間である自衛隊が支給品に紛れ込ませて搬入してくれた、戦闘用の特殊素材で出来ている。縫製はしっかりしているが布地が薄っぺらいただのメイド服よりも生地が厚く、手触りは硬い。さすがに防弾は不可能だが、ちゃちな刃物であればまず貫けないし、簡単には破れない。普段の仕事では黒の革靴を着用しているが、それでは話にならないので、メイド服と同様に革のロングブーツも作らせた。ジャングルブーツと同じ素材で、膝までの長さがある分、よりリーチの長い蹴りを繰り出すことが出来る。
 持て余すほどたっぷりと膨らんだ乳房を大きさに見合ったブラジャーで包み込み、滑らかな背中の中心でホックを引っ掛けた。揃いのデザインのガーターベルトを引き上げてくびれた腰に引っ掛けてから、ベッドに腰を下ろし、薄くペディキュアを塗ったつま先に丸めたストッキングを被せ、するりと伸ばして脹ら脛から太股まで黒で覆い尽くした。もう一方の足にもストッキングを被せて伸ばし、左右のストラップでストッキングの上部を止める。その上にやはり黒のショーツを履くと、黒と薄い闇に縁取られた白い肌が鮮やかに浮かび上がる。白のレースのペチコートを履いてからメイド服を着ると、スカートの裾がふんわりと広がった。背中のファスナーを上げて首のホックを留め、カーラーの巻かれた襟から長い髪を引き抜き、フリルの付いたエプロンを付ける。これだけなら雇い主から少し過激な服装を要求された小娘のようだ、と、琴美は姿見に映る自分を見て少し笑った。膝丈の編み上げブーツに黒のストッキングで包まれた両足を滑り込ませ、ジャングルブーツと同じように靴紐を固く絞って編み上げていく。ヒールは薄いが底は厚く、実用的だ。それを両足とも終えてから、最後の仕上げとして、ドレッサーに付いた鍵付きの引き出しを開けてベルトを取り出し、太股に巻き付けて小型ナイフを差した。その隠していたSDカードを携帯電話に差し、暗殺対象者の顔写真と名前を画面に映し出した。液晶画面の光に整った面差しを照らされながら、琴美は改めて敵の情報を頭に叩き込んだ。名は鬼鮫、組織に命じられるままに殺戮を繰り返す凶悪な男だ。ロングコートに骨太の体躯を包み、黒のサングラスで目元を隠していても凶相は隠しきれない。
「どれだけ顔が怖かろうと、ただの男ですわ」
 携帯電話を閉じた琴美は、SDカードを抜いてへし折った。
「私に狙われるほど悪行を重ねたことを、後悔するとよろしくてよ」
 こんな仕事は慣れたものだ。自衛隊の特務総合機動課で慣らした腕は伊達ではない。外見の良さから潜入任務ばかりを命じられるが、そのどれもを完璧にこなしてきた。相手が誰であろうと、傷一つ負わずに倒してみせる。鬼鮫という名の男も、今日でお終いだ。琴美は革のグローブをポケットに押し込めて隠してから、従順なメイドらしい表情を装って自室を出た。
 鬼鮫を探すのは容易だった。敵組織の拠点ではあるが重要すぎて逆に人の出入りが少ない屋敷であり、使用人の数も限定されているし、それでなくとも目立つ体格と形相だ。窓拭きを装って裏庭に目を配っていた琴美は、裏口の門を通って裏庭に入ってくる鬼鮫を見つけた。綺麗に刈られた庭木や美しく咲き誇る花壇の花々に目もくれずに歩いてきた鬼鮫は、裏口を開けて屋敷に入ってきた。琴美は雑巾とバケツを素早く片付けて裏口に向かい、階段の影に姿を隠し、鬼鮫の動向を窺った。
 鬼鮫はただでさえ強面の顔を強張らせているが、足音は立てずに歩いていた。裏庭の泥が少し残る足跡が分厚い絨毯に連なり、階段に向かってきた。琴美は階段の手すりから柱の影に移動し、息を殺した。だが、鬼鮫は琴美のいる二階へは向かわずに地下に向かって下りていった。なんて好都合なのだろうか。この屋敷の地下室は今は使われていないし、人気もない。鬼鮫の息の根を止めるに相応しすぎる。鬼鮫の姿が地下室の中に消えたのを見計らい、琴美はポケットから取り出した革手袋を填めてぎちりと拳を固めた。琴美は艶やかな口紅を載せた唇を舌先でちろりと舐めてから、足音を立てずに階段を駆け下りた。一段下りるたびにメイド服の胸元を丸く膨らませる乳房が上下し、スカートとペチコートからは黒のレースのショーツが垣間見えた。地下室のドアまで辿り着くと、琴美は慎重にドアノブを回した。鍵は掛けられておらず、かちり、と小さな金属音を立てて蝶番が滑り出した。細い明かりが一筋差し込むと、鬼鮫の広い背に掛かった。
「こんなところにどんな御用ですの?」
 淡い逆光の中、琴美はその背に声を掛けると、鬼鮫は面倒そうに振り向いた。
「なんだ、お前は」
「困りますわね。旦那様に断りもなく、こんなお部屋に立ち入られてしまっては。きちんとお仕置きしなければなりませんわね」
「その装備、ただのメイドじゃねぇな。どこの差し金だ」
 平静を保ちながらも戦意を滲ませた鬼鮫は、サングラスの下から琴美を睨み付けた。
「生憎ですけれど、その質問にはお答え出来ませんわ。だって、御掃除が私の御仕事ですもの!」
 琴美は駆け出し、鬼鮫との距離を一息に詰めた。鬼鮫が拳を振り上げるよりも早く、琴美は足元を蹴り付けて肢体を浮かばせ、その横っ面に膝を叩き込んだ。ぐぎ、と嫌な音がして骨が動いた手応えがあった。琴美は勢いを残したまま着地すると、鬼鮫に振り返った。顔の左半分に派手な打撃痕が出来た鬼鮫は、ずれかけたサングラスを直して琴美に向き直った。
「随分な御挨拶じゃないか。それがメイドの仕事かよ」
「御仕事ですわよ。この服を着た任務は初めてですけれどね」
 琴美は一筋も乱れていない前髪を革手袋を填めた指で整え、涼やかな目元から眼差しを返した。鬼鮫は口惜しげに鈍く呻いたが、琴美はそれを気にせずに体術の構えを取った。幼い頃から体に刷り込まれた忍術だ。鬼鮫は先程の膝蹴りで口中が切れたために
流れた血を唾ごと床に吐き捨てると、ぎぢ、と使い込まれた革手袋を填めた両の拳をきつく固めた。
「調子付きやがって」


 続く