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<東京怪談ノベル(シングル)>


牙を折る者 第2話

とある里離れた山中の屋敷の地下で、男と女が対峙している。
男は右腕から血を流し、目は血走り怒りに満ちている。
女の方はメイド服に身を包み、男を見下すような視線で見つめている。無論彼女はこの屋敷のメイドではない。屋敷に潜入するため、見た目は制服と同じメイド服を用意してもらっただけで、服自体は戦闘用特殊素材で作られたものである。
彼女の名前は水嶋・琴美(8036)、特殊自衛隊に所属するエージェント、暗殺者であった。

「許さんぞ、能力者め!ぶち殺してやる!!」
腕に痛烈な一撃を受けた男、今回のターゲットである鬼鮫(NPCA018)はさらに目に狂気を宿らせ一直線に琴美へ突進していく。
だが、単純な突進では琴美を捉えることは出来ない。余裕たっぷりにかわされてしまい、逆にカウンターで更なる傷を付けられてしまう。
「まるでイノシシの様ですわね。そのような攻撃では、私には当たりませんわ」
地下室の限られた空間の中で、まるで踊るかのように優雅に鬼鮫の攻撃を避け、傷を付けていく琴美。蝶が舞い蜂が刺すとはまさにこのことをいうのであろう。だが、鬼鮫も止まらない。幾多の傷を付けられようとお構い無しに突進を繰り返し、琴美を捕まえようとする。
「ちょこまかとすばしっこい野郎だ!」
突進からの殴打。琴美が避けると、背後にあった机が代わりに鬼鮫の攻撃を喰らい、粉々に砕ける。
つい数分前まで静かだった地下室も、今はまるで嵐が来ているかのような状況だ。机は壊れ、書類らしき紙はあちこちに飛び散り、いくつかは鬼鮫の血を吸って赤く染まっている。
「あまり好き勝手に暴れてもらっても困りますわね。折角の敵の情報が全てなくなってしまいますわ」
今回の任務に含まれているわけではないが、ここは敵対勢力の基地のひとつであり、手に入れたい情報も多々あるはずである。それも踏まえ、琴美は周囲のものまで巻き込んで破壊しかねない銃器などの武器は使わず、格闘のみで戦っていた。
だが、鬼鮫は自分の組織の基地だろうとお構い無しに破壊していく。鬼鮫も格闘でしか戦っていないのだが、一撃一撃の破壊力がすさまじい。


「てめぇええええええええ!」
なおも琴美に掴みかかろうとする鬼鮫。だが
「甘いですわ」
「ぐぁ!、くっそおぉぉぉ」
逆に突き出した腕を斬られ、背中を斜めに切り裂かれる。さらに、振り向きざまに小型のナイフが飛んできて、肩と太ももに突き刺さる。
それでも、鬼鮫の動きは鈍る様子が無い。もう何度もこのようなことを繰り返しているのだが、傷を増やされるたびに怒りを蓄積し、攻撃が熾烈になっているようにすら感じる。

「きりがありませんわね。そろそろ終わりにして差し上げますわ」
「うるせぇ!終わりになるのはてめぇの人生だ!。死ねぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

何度目になるか分からない突撃を鬼鮫は繰り出す。琴美は鬼鮫の腕をかわし瀬を預けるように懐に潜り込み、腰のベルトに仕込んだ投げナイフを左手で抜き放ち鬼鮫の脚を床に縫い付ける。鬼鮫の動きが鈍った瞬間、右手に持ったクナイで右腕を切り上げ、弧を描くように反転し、その流れで左腕も断ち切る。鬼鮫の両腕が宙を舞い、あるべきはずの先を無くした断面から生暖かい血が噴出し琴美の顔を赤く濡らす。
「ごきげんよう」
激痛に声にならない叫びをあげる鬼鮫に対し別れの挨拶をかけると、琴美は鬼鮫の腹部へ深々とクナイを突き立てていた。


ずずぅんと大の字に倒れ、動かなくなる鬼鮫。
「ようやく終わりましたわ。それにしても、随分と返り血を浴びてしまいましたね。屋敷を出る前に、もう一度シャワーを浴びた方がよろしいでしょうか」
部屋の惨状とはうらはらに、琴美の体にはかすり傷一つついていない。服や髪に血が付着しているが、全て返り血であった。
服の汚れを確認しつつ、何か持ち帰れるような情報が残っていないか調べるため、倒れた鬼鮫に背を向ける琴美。

その直後、琴美は背中に凄まじい衝撃を受けて前方に吹き飛ばされる。壁にめり込むほどの勢いで激突し、床へ倒れる。起き上がろうとするが、体に力が入らない。嘔吐感を覚え、夥しい量の血を吐いてしまう。戦闘用素材で出来たメイド服を着ていなかったならば、この一撃で絶命していただろう。
何がおきたのか分からずのた打ち回る琴美の目の前に、腕を鳴らして立つ鬼鮫の姿があった。
先ほど切り落とした両腕は、確かにまだ部屋の隅に転がっている。だが、今目の前にたつ鬼鮫にはきちんと両腕がついている。衣服には血のしみや裂けた後があるが、体には傷一つ無いように見える。何故だ。

実は、これこそが鬼鮫の能力であり、琴美の失敗は、鬼鮫の能力について何も調べていないことであった。


鬼鮫の能力。それはトロールの遺伝子を宿し、火傷も含む全ての負傷/身体欠損を再生させる事が出来ることである。先ほどの戦いで、当たりはしなかったものの凄まじい破壊力を帯びた攻撃も、このトロールの遺伝子により引き出される身体能力の高さから来るものであった。

鬼鮫は、倒れたまま両腕を再生させ、全身の傷も癒していった。全ての傷がふさがると、ゆっくりと立ち上がり音もなく琴美の背後へと近寄っていく。もう鬼鮫は息絶えたと油断している琴美は、それに気づかない。その背中に、今までの傷の礼と、全力で攻撃を叩き込んだのである。


今まで傷一つ負うことなく任務を終えてきた琴美は、重傷を負ったまま戦う術を知らない。傷の痛みと、プライドをへし折られた屈辱とで立ち上がることもままならない。どうにか立ち上がると、鬼鮫は─この部屋に隠してあったのだろうか─抜き身の刀を持ち、さっきまでとはまるで違う動きで琴美に斬りつけてきた
「散々痛めつけてくれた礼だ。受け取りなぁ!」
まるで自分の体ではないかのように動かない体を必死に引きずり、刀の直撃だけは避ける琴美。だが、鬼鮫の刀は容赦なく琴美を追い続ける。動きから我流のようだが、一つ一つの動きに無駄がまったく無い。万全の状態であっても、完全に回避するのは難しいであろう。そして、今は深手を負っている。一つ一つの攻撃に反応が遅れてしまい傷が増えていく。戦闘用特殊素材で出来たメイド服とはいえ、達人による剣戟まで弾けるものではなく、あちこち切り裂かれてしまい、切り裂かれたところから自らの血で濡れた下着や肌が見えている。

琴美に、抗う術は残されているのだろうか。