コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


抵抗

 どういうことだ。
 琴美の脳裏には疑問ばかりがひしめいていた。
 どういうことだ。
 訳のわからない状況が、琴美の精神を追い詰める。伴い、強く打ち付けられた背中がぎしぎしと軋むような痛みを増したような気がした。
 これは、どういうことだ――!
 弾けるような感情は、愕然としたように琴美の目を見開かせる。
 その眼前に佇み、鬼鮫はどこか嘲りにも似た顔で琴美を見下ろしていた。
 ほんのついさっき、確かに急所に押し込んだナイフ。それを、何事もなかったかのように抜き取ったのは、絶命したはずの当人。
 死んだはずだ。殺したはずだ。
 思いながらも、それを然りと確かめなかった自分の行動に、思い至って。
 琴美は唇を噛み締めながら、震える足で立ち上がった。
 良く見れば、鬼鮫の体にはいたるところにナイフが突き刺さったままだった。だが、本来そこから流れるはずの血は、言ってきたりとも、零れてはいなかった。
 機械。一瞬過ぎった考えを切り捨て、琴美は思い起こす。止めを刺した後に拾い上げたナイフには、確かに血が滲んでいた。あれは、一投目、鬼鮫の腕に突き刺さったものだ。
 動揺を押し留め、冷静さを取り戻した琴美の思考は、一つの考えに至る。
 再生。その単語に、俄かに、納得が湧いた。
(そんなの、聞いていませんわ……!)
 同時に胸中を占めたのは非難するような言葉。だが、鬼鮫の能力を調べきることの出来なかった組織に対して恨み言を綴るには至らなかった。
 形勢逆転ともいえる状況下、でも。琴美の芯には、まだ、自信があった。
(この程度のことで、私が負けるなど、ありえなくてよ……)
 言い聞かせるような言葉が、琴美の唇を引き結ばせる。苦悶にきつく眉を寄せた顔は、悔しげにも見えて。鬼鮫は嘲りを濃くした。
「これだから、ガキは。言っただろうが……舐めんじゃねぇって、なぁ!」
 吼えるように、鬼鮫は琴美に肉薄する。ふらつく足では上手くかわすことが出来ず、琴美は咄嗟に腕を掲げて防ごうとしたが、女の華奢な腕には、その一撃はあまりにも重い。
 特殊素材で作られたメイド服の存在が、衝撃を和らげてはいたが、所詮、焼け石に水といった程度で。ぎりぎりと深くめり込んだ拳は、やすやすと琴美の腕を砕いた。
「ぅ、ああああっ!」
 せめて吹き飛ばされぬようにと踏み止まるも、体は痛みに傾ぐ。蹲ろうとするのを妨げるように、鬼鮫は真下から振り上げた足で琴美の顎を強かに打ち付ける。
「ひぐ……ッ」
 悲鳴にもならない音が漏れ、弓なりに反る体。だが、一方的に嬲られる予感に戦慄した琴美の肉体は、防衛本能を開花させたかのように、打撃の衝撃を和らげることに努め、自ら遠く吹き飛んだ。
 がらがらと派手な音を立てて、再び崩れた備品の山に突っ込んだ琴美は、軋む体に鞭打って即座に立ち上がると、無事な腕でナイフを手に取る。
「的当てが得意みてぇだが……んなもん、効かねぇんだよ」
「再生、など……する前に、息の根を止めるまでですわ!」
 死なぬための能力だ、死んでしまえば意味がない。
 理に適っているようで酷く無茶苦茶な理屈であることに、琴美は気づいていない。気づけるほど冷静ではなかった。
 そして実質追い詰められた状況下でさえありながら、未だ掻き消えることのない自信によって、逃げるという選択肢には至らなかった。
 あくまで自分を殺そうとする琴美の態度に、鬼鮫は厳つい顔を不機嫌に歪め、そうかいそうかいと口許で呟いた。
 力も頭も足りてない小娘ごときに殺されるはずもないが、殺せると判断されたことは、どうにも腹立たしい。
 怒りは、そのまま力に変換される。手加減という言葉を知る気もない鬼鮫は、情けも容赦もない攻撃を、幾手も繰り出した。
 胴を横薙ぎに蹴り付け、床に倒れこんだ琴美の足を――ベルトを巻きつけた太腿を踏みつける。
 力を篭め、体重を乗せた足は、琴美の骨を軋ませるが、鍛えぬかれ、卓抜した骨より、早く、ナイフを収めたホルスター裂け、傷一つ、染みの一つさえ見当たらなかった琴美の足を、ずたずたに引き裂いていった。
「――ッ、うあああぁ!」
「ぴーぴーぎゃーぎゃー煩いガキだな」
 そう、言いながらも、黙らせるようなことはせず、逃れようともがく琴美を見下ろす鬼鮫。
 引き攣った悲鳴を上げながらも、琴美は手にしたナイフを鬼鮫の足に突き刺すが、鬼鮫が意に介した様子はない。
 再生能力以前に、慣れているのだ。殴る蹴る刺す斬る貫く……体を傷つけられる痛みを受け入れた経験は、傷を負ったこともない琴美とは比べるべくもないのだから。
 涙を浮かべながら、再びナイフを振りかざそうとする琴美だが、か細い指からは力が抜け、深く突き刺さったナイフを引き抜くことも出来ない。
「あ、く…あぅ、ううぅっ!」
 子供が駄々をこねるような唸り声ばかりを上げながら、引っ掻くほどのか弱い力で何度も殴りつけてくる琴美を、やはり見下ろしていた鬼鮫だったが、やがて飽きたのか、琴美の足から離れると、今度は無防備に晒された腹を強かに踏みつけた。
 何度も、何度も、何度も。機械仕掛けのように繰り返す最中、庇うように腹に掲げた腕も巻き込んで。
「うあ…あぐ……」
 ごぽ、と、琴美の喉が音を立て、血を吐く。特殊繊維もその衝撃には耐え切れず、所々が裂け、琴美の肌を露出させていたが、最早彼女の珠の肌は見る影もない。服と同様、ずたずたに裂けていた。
「つまらん」
 言い捨て、最早抵抗さえない体を蹴り飛ばす鬼鮫。
 壁際に転がった琴美は、何度か痙攣するように蹲っていたが、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら、探るように壁に触れて。気力を振り絞るように、立ち上がった。
 諦めまいとする様は、敵ながら天晴れ……などと、賞賛するような感情は鬼鮫にはない。
 ただ、もうとうに壊れたと思った玩具が再び動き出すことを喜ぶような、そんな、子供じみた感覚は、あった。
「わた、しは……負けませんわ……」
 強い意志を伴う声は、けれど囀るほどにしか響かない。
 薄暗い地下室には、既に静寂に良く似た空気が佇んでいた。