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<東京怪談ノベル(シングル)>


恋乙女

 あいつは怪物だ。
 口を開けば囁かれる言の葉は変わらず。だが、変わらずのまま、それを受け止める空気には多少の変化があった。
 人類を滅ぼす兵器の化身。けれど同時に思春期の娘。
 繁殖、もとい色恋を禁じ、禁欲を満たす手段としての特定宗教の信仰も禁じて、どれだけかの時間が経った。
 全ては人類のため、彼女が悪用される可能性はことごとく排除されるべきであった。
「だが彼女の苦役も今日までだ」
 薄闇に囁かれるのは労いに良く似た言葉だけれど。
 真実は、ただ無情で。可能性を禁じるまでもなく排除できる『薬』が、完成したのだ。
 IO2の職員は、それぞれの思惑を持ちながら、それでも総意として、三島玲奈に対しての恋愛解禁を告げた。
 ぱちくりと。一瞬、その言葉を信じられなかった思考回路が大きな緑色の瞳が、瞬きを繰り返す。
 だが、それは見る見るうちに輝いて、顔に満面の笑みを作り出した。
「きゃ〜〜っ! 夏よ海よ恋の季節よ〜!」
 そう、くしくも季節は夏。正確には、夏をやや過ぎつつも暑さだけなら真っ盛りな、季節。開放的な思考回路は未だ健在である。
 玲奈は狂喜乱舞して、早速町へ繰り出し、片っ端からナンパを繰り返した。
 だが、16歳青春真っ只中の玲奈は、どう頑張っても年相応の見た目でしかなく。女子高生は間に合っておりますいかにもなイケメンからちょっと人の(具体的には警察的なものの)目が気になるもっさり男まで、ぎりぎり限界までハードルを下げたというのに誰一人として捕まらない。
 酷いケースではそっち系の業者と勘違いされて白い目で見られる始末。
「何なのよー」
 頬を膨らませ、拗ねた顔で町を後にした玲奈は、学校へと駆けつけるや、同じクラスの少年の靴箱に、手紙をそっと忍ばせた。
 それは可愛らしい封筒と便箋で綴られた、いかにもなラブレター。
 そして押し込んだのは、誰がどう見てもそうと応えるであろう、いかにもな草食男子。

 放課後付き合って! 体育館裏で待ってるから。

 甘酸っぱい青春の香りが漂う文面にも、女子に一切免疫のない、どころかおそらく若干の恐怖心さえ抱いているような少年にとっては、恐喝文となんら代わりがないらしい。どこか青ざめたような顔で、恐る恐る、玲奈の待つ体育館裏へと姿を見せた。
 第一声はごめんなさい。
 続く言葉もごめんなさい。
 むしろ生きていてごめんなさいと言わんばかりの態度には目もくれず、玲奈は愛くるしい笑顔で少年の腕をとり、やや強引に組むと、にっこり、微笑んだ。
「付き合うって意味、違うから。判るよね?」
 照れたように頬を染め、軽くキス。
 奇襲と書いて、キスと読む。むしろ逆。
 少年は卒倒しそうになりながらも、抵抗できぬまま、玲奈に引きずられて青少年健全カップルの王道デートコースを無理やり付き合わされることと相成った。
 同じような制服カップルが幾つも居るような、お手軽ながら可愛い内装の喫茶店で軽い食事を取り、遊園地へ。
 ジェットコースターできゃあきゃあとはしゃぎ、お化け屋敷でキャーキャーと戯れ、日の沈むロマンチックな景色を見ながら回る観覧車で一人悦に入る玲奈。
 超ハイテンションと超ローテンションのリズムの違いゆえか、少年はもう虫の息に近いレベルであるが、気づいていない。
「今日はありがと。すっごく楽しかった」
 別れ際、笑顔で告げる玲奈に、少年はその時初めて、ああ、なんだか自分でも役に立てたみたいだなと喜ぶ気持ちを感じたらしく、はにかんだ笑みで頬を掻く。
 が。
「じゃ、また明日ね〜」
 直後の死の宣告である。
 少年の脳裏に過ぎったのは、今日一日、しかもほんの数時間という短い時間の中の怒涛と呼べる玲奈の接待の数々。このまま抵抗どころか断ることさえも出来ないまま、あらゆる無理を強いられる日々を迎えてしまうことになるのかという、、めくるめく惨劇の想像。
 彼が至った未来は、本当に惨劇だった。
 突然、胸を押さえ苦しんだかと思えば、パタリ、ご臨終。
 極端な心労、過度の重圧に、青少年の硝子ハートは堪えられなかったのである。
 冗談のような突然の死に、玲奈は茫然とする。
 適当に選んだような少年ではあったが、たった一日の付き合いではあったが、自分を受け入れてくれた優しい男の子だった。
 困ったような顔は護ってあげたい母性本能をくすぐり、少し頼りないながらもちゃんと握り返してくれた手のひらは温かかった。
 ほんの短い時間の間に、好きになっていた。これから、もっともっと、好きになれると、信じて疑わなかった。
 それが、どうして、死んでしまわなければならなのかと。
 あまりの不条理に、玲奈はぼろぼろと涙を零し、やがて声を上げて泣いた。
 触れた肌の冷たさが、玲奈の心を冷たく凍えさせ、震わせる。
「やっと、幸せな恋が出来ると思ったのに……っ」
 生まれてきてからずっと、堪えて堪えて、堪え抜いてきた。
 お前は兵器だ、化け物だ。蔑みに近い言葉に縛られ、少女の心を押し込めてきた。
 やっと、解放されたのだと。心からの喜びに満たされていた。
 それが、いとも容易く引き裂かれ、絶望にすりかえられる。
 神様がいるというのなら、どうして私を幸せにしてくれないのだろう。と。玲奈はひたすら、嘆いた。
 ふぅ。小さな溜息は、そんな彼女を哀れむような、どこか静かな吐息。
 碇麗香は、幼い少女を見つめながら、凛と涼しげな声で、語った。
「好きな人に死なれてしまうなんて、このご時勢、珍しい話じゃないわ」
 何が起きるか判らない。だからこそ、愛し合いされる毎日を精一杯生きているのが人間だ。
「御伽噺だけれどね、八尾比丘尼っていう女性は、人魚の肉を食べて不死を得たの。人間の憧れの力をね」
 けれどと続けた麗香の表情は、冷めている。見上げるように見つめながら、玲奈は言葉の続きを待った。
「そのせいで、何度も何度も、愛する夫に先立たれてしまうのよ。年老いて、力尽きて死んでいく夫を、比丘尼は永遠に若く美しいまま、繰り返し見続けてきたの。つまりね……人を愛するって言うことには、別れの悲しさはつき物なのよ」
 伏しがちの瞳に、長い睫が重なる。
 やっと手に入れた恋の幸せ。けれどそれも、あまりに儚い世の中では、絶望を手にしたのとなんら変わらないのかもしれない。
 それを、思えば。今まで色恋を禁じられてきた自分の生活は、幸せだったのかもしれない。
 だが、そんな思いを頭の端で理解したところで、到底敵わないのだ。恋をして、愛を語らう幸せには。
「編集長は一人で寂しくないの?」
 少女の問いかけは、正直で残酷だ。
 麗香は他意のない問いに、ほんの一瞬、悲しい目をした。
 寂しくないわけではない。愛という言葉の甘美さに憧れることも、ゼロではないのだ。
 それでも、麗香は選ばない。諭す言葉を吐きながら、ひょっとして自分も恐れているのかもしれない。
 過ぎった思考は、不確定な感情に対する憶測。麗香は緩く頭を振って振り払うと、玲奈の前に手紙の束を突き出した。
 呼んでご覧、と促すような目に従い、玲奈は綺麗に纏められた手紙を、一つ一つ、読んでいった。
 それは、読者からの手紙であった。
 帰省の際父親の勉強部屋で見つけた。
 誕生時から読み聞かせ、今でも親子で愛読者である。
 娘に与えたら貪り読んだ。
 末尾に綴られるのは、いつも、『これからも楽しみにしています』の一文。
「これが、私の恋人よ」
 凛とした声が告げる言葉は、強がりでも、負け惜しみでもなく。心からの想いが伴った、愛すべき読者へのプロポーズだ。
 それはきっと、玲奈の思う愛とは、少し違う感情。
 それでも、読者一人ひとりを想い、彼らのためにより良い雑誌を作っていこうと志す気持ちは、ただ一人とともに幸せな人生を築こうとする願いと、変わらないのだろうと、玲奈は思う。
 思う、からこそ、口をついて出たのは、納得だった。
「私、写真撮ってみようかな……」
 手紙を見つめ、ふと笑みを零した玲奈は、泣き腫らした赤い目で、再び麗香を見上げる。
「それでね、私も、こんな風に長く語り継がれるようなものを遺したい」
 いつか自分が死んだ時。あるいは、いつか、また、自分の愛する誰かが死んだ時。
 在りし日をそのまま切り取り映し出す写真は、幸せの思い出さえも写してくれるだろう。
 そして、心の篭った映像は、きっと見知らぬ誰かとの縁を、結んでくれるだろう。
「短い人生だもの。逞しく生きなきゃ」
「そうね、ふふ、頑張って」
 決意にも似た顔で笑う玲奈に、麗香は微笑ましげに笑う。
 緩んだ口許を隠すかのように口をつけたカップからは、ほろ苦い味が、流れ込んできた。