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<東京怪談ノベル(シングル)>


Operation.XX-2

 風のように。目にも留まらぬ速さで、彼女は施設の廊下を駆け抜けていく。
 壁から壁へと疾走。彼女が組織の者とすれ違えば、次々と床に倒れていく。無論、膝を折るのは組織の者たちだ。
 遅い。行き交う相手など、まるで木偶の坊のように見える。誰も彼も、琴美の走り去った後に振り返る。その時には勝敗は決しており、相手はやられたという意識もなく倒れるのだ。
 殺しはない。無益な殺生は好まないし、それに――。
―――殺すまでも、ありませんもの。
 琴美が鬼鮫を討つまでの間だけ眠っていてくれれば、それ以上は求めない。彼女がこの施設を訪れたことにも気付かず、ただ静かにしていてくれたなら。
―――これでは、一時間とかかりませんわね。この程度の組織でしたの?
 今回の任務を受ける前にも、IO2について耳にしたことはある。裏社会に名の知れ渡るその組織。それなりに骨のある者たちが巣くっていることだろうと踏んでいた。
 だが、この現実だ。琴美の実力もあろうが、易々と部外者に侵入を許している。
―――いずれにせよ、このまま気を抜きませんわ。任務を遂行させて頂きます。
 角を曲がると、また組織の者がいた。その者の目に留まらぬ内に、琴美が床を蹴る。左右に動く彼女に翻弄され、その者は首を動かしながら後ずさった。刹那、鳩尾に激痛。――琴美の膝が、綺麗に入っていた。
 ずる、とその者がその場にくずおれる。何を思ったか、彼女はその身体を持ち上げた。そのまま、その腹を蹴り飛ばす。それはその向こう、琴美の視界から隠れるようにしていた人物にぶつかった。
 低い呻き声を漏らし、重なり合うように二人が倒れる。気を失った者の下敷きになった者が身を起こそうとして、その視界に影がさした。身動きも取れぬ間に、その上から琴美が覆い被さる。
「ひとつ、お尋ねしたいことがあります」
 穏やかな声で言って、浮かべたのは何処か妖艶な笑み。何気ない口調にも関わらず、有無を言わせぬ圧力もその視線に含んでいた。黒い瞳に吸い込まれている者に、彼女は囁く。
「『鬼鮫』の居場所を教えてくださいませ」





 人気の無い廊下の途中で、琴美が足を止める。あれからしばらく進むと、組織の者との遭遇も減ってきた。先の者から聞き出した通路を進んで来たが、どうやら少し『内側』に潜ることに成功したようだ。
 鬼鮫の居場所を吐かせた後、その者も気絶させてきた。琴美が用事を済ませてこの施設を後にするまでは、起きないだろう。そう、もうすぐ片付くのだから。
 カツリ、と踵を鳴らした。扉の前に立つ。この向こうに、鬼鮫がいる。
 照明の暗い室内。背の高く、がっしりした体格の男性が佇んでいた。司令からの情報と合致する、姿。
「貴方が鬼鮫ですね」
 凛と声を張り、問いかけた。サングラス越しに、男性の眼差しが琴美を捉える。彼女もまた、射抜くように彼を見つめた。
 鬼鮫がいるのが室内とわかり、もしや大勢の手下がいるのではないかとも疑った。だが、見たところここにいるのは鬼鮫ただ一人だ。彼女はやや訝しく思ったが、好都合かと割り切ることにした。彼が、ゆっくりと口を開く。
「そう、と言ったら?」
 その問いには返事をせず、琴美は床を蹴り鬼鮫に向かった。肩を竦める彼に、彼女が拳を繰り出す。手の平を叩くと、すぐに退いた。大きく一歩後ろに下がり、跳躍。鬼鮫が上を向いた時、彼女は中空でバランスを整えている。
「はっ!」
 ひゅ、と太腿から手に取ったくないを投げつける。鬼鮫は幾つかを避け、また幾つかを太い腕で受けた。だが、くないの攻撃の後には、反動で後ろの壁を蹴った琴美が迫る。琴美は左腕でがっちりと鬼鮫の首を捉え、床に倒した。すかさず、反対の手で鬼鮫の肩口にくないを深々と突き刺す。呻く鬼鮫から、素早く一旦距離を取った。
 立ち上がり、鬼鮫を見下ろす。琴美のくないを受けた傷口から、血が滲んでいるのがわかる。彼女は口元で笑ってみせた。
 勝てる。そう確信し、彼女は一気に畳み掛けんと両手にくないを手に取った。起き上がろうとする鬼鮫に、容赦なくそれを飛ばす。くないは鬼鮫の身体のあちこちに刺さり、真っ赤な血が噴き出した。
 再び仰向けに倒れた鬼鮫に、琴美が馬乗りになる。彼女は鬼鮫を見下ろして優雅に微笑み、太腿のくないを一本抜き取った。
「さようなら」
 ゆっくりとくないを振り上げる。それから、勢いよく鬼鮫の胸に突き刺した。肉を突き破る感触が、くない越しに琴美に感じられる。少し間を置いてくないを抜くと、血がとめどなく溢れ出した。
 小さく息を吐き、琴美は立ち上がる。早くも、床に血溜まりが出来つつあった。まだ生きているかもしれないが、息を引き取るのも時間の問題だろう。そう判断し、琴美は踵を返して歩き出す。
 帰路も油断は出来ない。騒ぎを聞きつけて、新たな人間がやって来ているかもしれない。迅速に、抜け出さなければ――そんな算段を立てていた時。
 背中に激しい痛みが走り、琴美は目を剥いた。突然の事態に反応が遅れ、思考が一瞬止まる。振り返ろうとして、その前に後ろから羽交い絞めにされた。
「な……、」
 思わず、声を失くす。羽交い絞めにされる前に、どうにか見ることの出来た姿。それは、紛れもなく鬼鮫だった。
 あの出血で、まだ立ち上がることが出来るのか。あるいは、実は傷を負わせることが出来ていなかったのか? 否、琴美の背中を濡らすこの感触。背は酷く痛むものの、彼女は傷を負っていない。おそらく鬼鮫の血によるものであろう。なのに、どうして。
「危ねえ、危ねえ……心臓をやられていたら流石にお陀仏だったな。おっかねえお嬢さんだ」
 だが、詰めが甘い。そう鬼鮫が喋ると耳元に息がかかり、琴美は顔をしかめた。
「『この程度の組織か』」
 不意に、鬼鮫が呟く。琴美の肩が微かに震えた。
「――とでも、思いやしたかい?」
 琴美が唇を噛む。まさしく、そう思っていた。彼女の胸中を察してか、鬼鮫が口元を歪める。
「甘く見られたもんだ」
 鼻で笑い、鬼鮫は琴美を解放した。彼女は即座に反撃に出ようと体勢を整えた。振り向きざま、回し蹴りを叩き込む。鬼鮫はそれを腕で受け、なおにやりと笑ってその足を掴んだ。
「むしろ誘い込まれちまったのは、お嬢さんだっていうのに」
 ぐい、と強い力で引き寄せられ、琴美の足が浮く。片足で宙ぶらりんにされ、頭に血が上る。屈辱的な体勢に、彼女はきつく鬼鮫を睨みつけた。
「堅気の人間を殴るのは、いささか気が進まないんだがね。飛んで火に入る夏の虫、とくりゃあ話も違うわな」
 そんな彼女の視線を、鬼鮫は涼しい顔で受け流す。琴美は逃れようとするが、鬼鮫の力が強く敵わない。また、力を入れようとすると先に攻撃を受けた背中が痛んだ。
「さて、と」
 鬼鮫は敢えてその状況をしばらく続けているように見えたが、ふとそう呟くと、ぶんと腕を振って琴美を放り投げた。琴美は勢いよく床にぶつかり、束の間呼吸を忘れる。どうにか鬼鮫を視界に捉えると、彼は蔑むように彼女を見下ろした。
「まだ立てんだろ。来いや、ああ?」
 怒号を飛ばす鬼鮫を、琴美は鋭く睨みつけた。





《続》