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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇を泳ぐサカナ 1

「教会」と呼ばれる組織がある。
それは、太古の昔から存在していて、人類を護ってきた。
人々に仇為すとなれば人外のものまでもがそのせん滅の対象。
世界的な影響力をもつその組織は世界のいたる所に「教会」という名で荘厳な施設を有している。

教会に所属し、直接にその敵と戦う者たちを『武装審問官』と分類する。

白鳥 瑞科−シラトリ ミズカ−はその組織の現代のトップとして数えられる非常に優秀な武装審問官であった。

そう、教会の教義に反する魑魅魍魎の駆逐や敵対人物の暗殺等までもを完璧にこなし、これまでに任務上での失敗は皆無。まだ少女としての幼さをその輪郭にわずかに残す21歳の審問官である。

その瑞科が、武装審問官の司令に呼び出しをうけて、通いなれた教会施設に足を向けたのは夕暮れも近くなってのことだった。
その日1日まぶしく世界を照らした太陽が東の空を染めながら沈んでいく。
瑞科は、その朱に全身を染められながら空を見上げた。

「…美しい朱ですわ」

まるで、血に濡れたように太陽に染められた瑞科は闇を追ってその朱に背を向けた。
カツ、と細いヒールが地面を小さく叩く。
すらりと長く伸びた足が軟らかく歩を刻む。

やわらかな体の曲線をそのまま映した影が長く瑞科の足元から伸びている。
永遠に追い越すことのできないその影にひっぱられるように教会へと向かった。

詳細はまだ定かではないが、今日の任務もいつもの任務と同じはず。
自分の信じる教会の敵をせん滅するのみ。

失敗は許されない。

が、瑞科は自分の任務に『失敗』の文字は存在しないと確信していた。
純粋に戦闘能力だけで測れば、瑞科は自身の能力を過信ではなく審問官の中でトップだという自負がある。
しなやかに動く肢体。
豊かに膨らんだ胸元から細くしまったウエスト。全身に女性らしい柔らかさと艶やかさを持っていながら、瑞科の全身はそれ自体が武器というほどの鍛え上げられたものだった。
その、体と能力を以てして……。

いつもの任務と同じはず。

繰り返し、そう思っていても言い知れない不安…否。予感のようなものが瑞科の脳裏に小さく明滅していた。

「いつもと、同じですわ」
声に出して呟く。
とろりと空気に沁みゆく落ち着いた声音。

だが、そう自分に言い聞かせてもチカ、と光る不安は消えない。
膝元までをタイトに覆うスーツが、急に自分の戦闘の自由を奪う拘束具のようにも思えて。
瑞科はスリットの内側についたジッパーを無意識にまさぐり、深く開いた。
解放された不自由さとともに、任務の達成に対する当たり前の自信もよみがえってきた。

長い髪をさらりと払って、紅を刷いたよりも赤い唇に笑みを浮かべた。

目指す教会は、目の前だった。

**

「鬼鮫という名に覚えはあるだろうか?」
司令の言葉に、瑞科は瞬間だけ自分の中の知識を振り返る。

「……IO2の問題児ですわね。限度を超えた能力者への執着とその殺戮についての報告書を記憶しておりますわ」
「そうだ。本名を霧嶋 徳治という。もとはヤクザで、能力者の殺戮は身内を殺されたことへの復讐がきっかけだと聞いている」
「まあ…お身内を?ですが、何をきっかけにしようとも、現在のあの方はただ殺戮を楽しんでいらっしゃるだけの様子」
長くけぶるまつ毛を伏せて瑞科は静かにまばたきをした。
「今回のターゲットは奴だ」
四角い指令室の中は、毛の長い上質な絨毯が敷き詰められていて、すべての音を吸い取ってしまう。
そこにいる、たった二人のかすかな呼吸の気配すらかき消して、完全な沈黙が場を満たした。

「かしこまりました」
瑞科は静かに、そして優雅に一礼をし部屋を辞し、そのまま、自分に与えられた支度のための部屋に向かった。


その部屋は、殺風景な四角い部屋で、先ほどの司令室より広く、だが心地よい絨毯や重厚な家具などは一切ない。
四面のうちの一つを大きな鏡が占めており、それを背にしたもう一つを金庫のようなロッカーが占めている。
出入り口の対面、窓があるべき面はただ冷たいコンクリがそれを占めていた。

瑞科はあるロッカーの前で足をとめ、本人を承認するための指紋のチェックと声紋の照合を行った。
「シラトリ ミズカ」
ピーー、と警報にも似た甲高い音が解錠を告げ、ガチャリ。とその扉が開く。

中にしまわれているのは、武装審問官の任務時の武器や防具類である。
瑞科は躊躇なくそれまで身に着けていたジャケットとスカートを脱ぎ、その下に着けていたものを取り払う。
背面にある鏡を振り返ると、傷一つない真っ白な体の自分が確認できた。
脱ぎ去ったものは、ロッカーの中にやや雑に入れ込み、吊るしてある専用の『戦闘服』を取り出した。

特別製の素材で作った、特別製の修道服。
それは、ボディラインを浮き立たせるほど体にピッタリと張り付く仕立てで、脚を大きく晒す腰下まで深いスリットが入っている。瑞科の動きを制限しない、瑞科のための仕立てであった。
 何も身につけていない体に、上からすっぽりと修道服をかぶり、その伸縮性を使って細い腕をねじ込む。
胸の先端がはっきりとわかるほど体に吸いつく仕立てだが、不思議と締め付け感はない。豊かなバストラインから瑞科自身の両手で届きそうな細い腰にかけてもまるでその瞬間あつらえたようにぴたりと形が合う。
腰を覆うそのさらりとした素材の触感を楽しむように、瑞科は戦闘服の裾を払った。
柔らかな素材のその戦闘服の上から、上半身をガードするコルセット型の防具をつける。

 瑞科はそこで、部屋の隅から木製のスツールを運んできてそれに腰をかけた。
 大きく開いたスリットからスカート部分が後ろに落ちて、肌がきわどいラインまであらわになる。が、さらに瑞科は脚を組み上げた。首を右に小さく傾げて、茶色の長い髪をそちらに流す。
 脚を護るための太ももまでのソックスを引き上げると、さらに上から膝までのロングブーツを履いた。
格闘術を得意とする瑞科は敵と直接接触する部分が多いので、自然防具も増える。
二の腕までを覆う白い布製の手袋には銀糸の刺繍が入り、革製の、手首までを覆うグローブには繊細な彫りの装飾がついている。
 その防具類のすべてが、瑞科のためだけに作られたものであり、そのすべてが、瑞科の教会での審問官としての地位を示していた。
きゅ。と握りこんだグローブがきしむ。
瑞科はドレスの裾を気にする令嬢のように美しい仕草で立ち上がると、仕上げに肩には純白のケープをかけ、頭には同じく純白のヴェールをつける。

跪き、神に祈りをささげるには幾分瞳の力が過分な、妖艶なシスターの姿が鏡に映っていた。
町中にあって、只人の中の彼女を何と思うか、と問えば。
多くの人々が彼女を『神に祈る聖女』と見るであろう。
だが、教会にあって、修道女の中の彼女を何と思うか、と問えば。
多くの人々が彼女を『神に祈る聖女』ではないと見るだろう。

武装審問官とは、そういう存在であった。

「では、参りましょうか」

武装をするこの短い時間が、瑞科にとっては祈りの時間であり、任務に心を浸していく祈りの時間でもある。
自身の内側から燃え上がるように湧いてくる任務達成への確信に、瑞科の表情が輝く。

カツ。
ブーツの踵を鳴らして、瑞科は大きく踏み出した。
長い髪がその大きな一歩に合わせて流れた。

永い夜が始まろうとしていた。