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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇を泳ぐサカナ 2

日の落ちた薄闇の中を、瑞科は進んでいた。

ターゲットである、鬼鮫の潜伏している場所は「教会」によって調査され、任務にあたる瑞科に報告されている。

この都には、打ち捨てられたようなビル群の廃墟がいくつも存在する。それはとても自然に。
以前はきらびやかな光が夜の街を染めていたであろうその残骸の一角の、高い塀に囲まれてひっそりと闇に沈む病院の跡地、その前で瑞科の足が止まった。

瑞科は、音もたてずにするりと流れるように歩く。
人が見たらそれはこの廃墟をさまよう亡霊としか思わないかもしれないほど、気配のない動きをした。

純白のヴェールが揺れ、ましろなその面が露わになる。
薄闇の中でようやく自身の光を放ち始めたばかりの月ではその表情までを照らすことはできない。
手袋の銀糸の刺繍がわずかに光を返した。

 その街は完全に沈黙していた。

人なき後、跋扈していたはずの鼠や野犬の姿すらなくなった、闇色の街。
瑞科が見上げる廃墟にも、人の気配どころか一筋の光すらなく朽ちかけた木々がわずかに枝を揺らす音や割れたガラスの間を抜ける風が悲鳴にも似た細い音が、その場所に時間が存在することを示している。

瑞科の表情に恐怖や恐れはない。

「主は私と共にある」
 瑞科のしっとりとした声は闇を破ることなく柔らかくしみ込んだ。
胸の上に刺繍された聖十字にそっと手を当て、一瞬の祈り。そして、瑞科はまたすべるように動き始めた。

無人とも思える廃墟だが、瑞科はその中で息を潜める敵の存在を確信していた。
そして、おそらく敵も瑞科の侵入に気づいているだろうことも。

「尼さんがなんの用だ」
だから、人気のない闇の中で背後をとられ、突然声をかけられても一切の動揺を表に出すことはなかった。
 全身から妖気のような淀んだ殺気を滲ませて、鬼鮫は瑞科の背後にいた。
 ゴツゴツとしたその大きな手は瑞科の柔らかな体をはっしと掴みとめる。鬼鮫の手が瑞科を探るように動いた。
鬼鮫は我流とはいえ剣術は神業的との報告を受けている。そして、彼らの言う『カタギ』の人間にはその力をふるうことがないらしい…との情報も。殺す気であればこの瞬間、瑞科は無傷ではなかったはずだ。だが、鬼鮫にはこの時点でその気がないらしい。
「鬼鮫さん、とお呼びすればよろしいかしら?」
 ヴェールの内側で唇に笑みを刷いて瑞科は優雅に答えた。
「お前は?」
端的な言葉は、固く重たく響く。
「白鳥 瑞科と申します」
「なんの用だ」
二度目の問い。瑞科の修道服を肩から探っていた手が腰に届く前に、瑞科の持つ武器に気づく前に、答えなければならなかった。
「……死んでいただけます?主がお呼びですわ」
言葉と動きは同時だった。

言い終わるより早く、瑞科は腰に差していた剣を抜き去っていた。大きな動作で鬼鮫を振り払い、振り向きざまその抜いた刃で鬼鮫の気配のする場所を薙ぐ。
「っ!!」
かわされた。
が、敵は無傷ではないはずだった。
確かに一撃必殺ではなかったが、手応えがあった。

瑞科は居合の要領で切り放った剣をそのまま鞘に納める。
カシャン。と鍔がなった瞬間にはスカートのスリットから指を滑り込ませ、内股に仕込んでいた短剣を取り出した。
「はっ」
短い気合いの声とともに、鬼鮫がいるはずの場所に向けて立て続けに五本の短剣を放つ。
「ぐうっ」
 鬼鮫のうめき声が、その成果を示していた。
が、そのどれもが致命傷てはありえない。
 その証拠に、闇の中から瑞科を狙って刃のようにするどい蹴りが繰り出された。
見切り、よけたはずだったがその風を切る圧力に押されて瑞科は大きく飛び退いた。

そのころになると時刻は薄闇から完全な夜へと進み、細い月がそれでも世界を銀色に照らしている。
月を覆っていたぼやけたような雲が切れた瞬間に、世界のすべてのものが自分の形を思い出したかのように存在を主張する。
廃墟のような病院も、薄汚れた白い壁が光を反射して瑞科の姿を浮き上がらせる。
その向かいには、腹部を横薙ぎにされて皮を切られ、肩に短剣を受けた鬼鮫の姿があった。ぽたぽたと血が滴っているが傷をかばう仕草もなく、痛みを耐えているようでもない。
 瑞科が次の攻撃を思案したその一瞬に鬼鮫は、間の距離を詰めて短剣を受けている右腕を大きく振りかぶる。
そのこぶしが瑞科の首を狙って繰り出され、瑞科はそれを迎撃することを選んだ。
自ら鬼鮫の懐に向かって飛び込むことで狙いをそらし、鬼鮫のこぶしをかわすだけでなく、そのまま近距離から能力を込めた刃を抜き放った。
避けることもできない距離。避けることのできない攻撃。

強く電撃を込めた瑞科の刃は瞬時に鬼鮫を捕らえ、違えようの無い致命傷を鬼鮫に与えた。
切り裂かれた腹は、同時に電撃に焼き焦がされて爛れてだくだくと深紅の血をしたたらせる。
「ぐ、ふぁっ」
鬼鮫はがくんと膝をつき、内臓を破られたどろりとした血を口からも大量に吐いた。
 夕日に染められたように全身を朱色にそめて、びくん、と大きなけいれんをする。
「これまでですわ。貴方は殺しすぎたのです」
 この状態ではたとえどれだけの医学的処置を施しても鬼鮫に回復の余地はない。
もともとそれを許す気さえないが、瑞科は任務達成まで残り僅かの距離であることを確信した。
「……はっ。っ…とどめをささねぇのか?」
鬼鮫が血に染まった顔でニヤリと笑った。
笑いながらも、ぐしゃり、とその体はくずおれて地面にほほをつけた。
「もう、その必要もないほどですわ」
 瑞科は無表情に言い放つ。
剣を鞘に納めて、鬼鮫を見下ろした。
 ひゅう、ひゅう、と割れたガラス戸を吹き抜ける風のような音が、鬼鮫の喉からもれている。
痙攣するように浅い鼓動を打つ心臓。それらが少しずつ静かになっていくのを瑞科は見下ろしていた。
そして……。
完全なる沈黙。
「おわりですわね」
 瑞科が、胸元に縫いとられた聖十字に手を伸ばしたその瞬間は、まったくの無防備な瞬間であった。

ガッ。

その衝撃は巨大な岩が体にぶつかったかのようだった。
瑞科は、ただ焼けるような強烈な痛みと衝撃に跳ね飛ばされて気づけば背中を地に着けていた。
 衝撃は腹部。
 柔軟性はあるが、だからといって防御力が低いわけではないコルセットに大きく痕が残るほどの衝撃。
攻撃のダメージは体だけでなく精神にも大きく響いた。
(他に、人の気配はありませんでしたわ)
 だが、自分はいまこうして地に這いつくばってダメージに身をよじっている。
痛みに涙をにじませながらうっすらと確保した視界に立っている人物に、瑞科は二度目の衝撃を受けた。
「…な…なぜ…」
「俺のことはいろいろ知ってたみてぇじゃねぇか」
 瑞科を見下ろしていたのは、鬼鮫だった。
さきほどまで鬼鮫が倒れていた場所には血の海だけがのこされている。
(「教会」が調べきれていない能力があったということ…!?)
そして、鬼鮫は腕をついて立ち上がろうともがいている瑞科がかばっている腹部にもういちどつま先を差し込んだ。
「あぁっ」
 瑞科はもう一度地面に転がった。
人のこぶしや蹴りでこれほどダメージをうけたことは未だかつて瑞科には経験がない。

その攻撃もあたりさえしなければ問題なかったはずなのだが。

『とどめをささねぇのか?』と鬼鮫は笑っていた。

その意味を深く考えず、鬼鮫の死を確信していた。
自身の油断が招いた状況である。

瑞科は痛みにもがきながら、屈辱で腹の中から熱くなるのを感じた。