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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇を泳ぐサカナ 4

痛みと、屈辱は限界まで膨らんでいた。
だが、瑞科はなんとか体を引き起こした。
 それは、勝利と達成以外の結論をもたなかった瑞科が唯一できることだった。

よろり、と傾いだ体の残る力をかき集めて、威嚇にもならない蹴りを放つ。
見切る必要もなし、とばかりに鬼鮫はその蹴りを姿勢も変えずに受け止めた。
 相手を蹴った衝撃でむしろ瑞科の体が悲鳴を上げる。
鬼鮫は瑞科の足を片手で掴むとそれを内側にひねりあげた。
(折られる!)
反射的に瑞科は自分の体を同じ方向に回転させ、宙に浮いたところを鬼鮫に地面にたたきつけられた。
「んはぁあっ」
 呼吸が止まるほどの衝撃。受け身もとれず全身を叩きつけられて瑞科はただ呻く。
 そのうつぶせた瑞科の体を鬼鮫はつま先でひっくり返した。逆らえず、仰向けになって霞む視界で瑞科は空を見上げる。涙が一筋片方の目から流れた。
「どこの者だか……。ふん、化石みたいな組織の矜持に溺れてんじゃねぇのか。あぁ?」
 瑞科の胸ぐらを掴みあげる。瑞科の肌にぴったりと吸いつく修道服を喉元に指をひっかけて持ち上げた。
もがくように抵抗する瑞科が、鬼鮫の手に噛み付くように鉄の爪を走らせる。
「くぅっ」
「あがけよ」
 慈悲のかけらもない右足が、白いコルセットが覆う瑞科の柔らかな胸を踏みつけた。防具の上からでもそれはかなりの痛みを瑞科に与え、鉄の爪は鬼鮫の手に届かず逆に自分の修道服に穴を開ける。
ビッ、と繊維が割かれる音がして、瑞科の首は締め付けられていた感触から解放された。同時に、持ち上げられていた頭が再び地面に落される。
 視界が、暗くなるのを感じた。
(いけません。ここで気を失うわけには……)
最後まで闘志を捨てない瑞科の心の声は、自身の体を支配するには足りなかった。
「おい。まだ寝るなよ」
 皮肉にも、瑞科の意識をつないだのは鬼鮫の容赦のない追い打ちだった。
「はっ」
かすかに吐息のような悲鳴で答えるのが精いっぱいの瑞科に、鬼鮫は幾度となくその意識を取り戻すショックを与える。何度目かに防具のない下腹部に入った蹴りの衝撃はおそらく鬼鮫の想定以上で、瑞科は呻くこともできずとうとう気を失った。
「ちっ。つまらねぇな」
 意識を手放してくたりと力の抜けた瑞科の体を鬼鮫が見下ろす。自分の命が狙われた、ということに対する腹立ちはまだまぎれていない。弄り足りない。だが、意識の無い相手をなぶることを想像しても全く面白みを感じなかった。
死んではいない。月明かりの中で見ても、かすかに上下する胸の動きと浅い呼吸を確認できる。
 ふん、と鬼鮫は鼻息を荒く吐く。ほんのわずかな時間をさかのぼれば、同じように死に瀕していたのは鬼鮫のほうだった。自らが流した血の海に沈んでいたのはつい先ほどの話だ。衣服を染めた血はまだ乾ききってもいない。
その時、確実に息の根を止める方法もあったはずだ。
だが、瑞科はそれをしなかった。

それは単純に、甘さ故。
鬼鮫はトロールの遺伝子を宿すジーンキャリアで、死にさえしなければその体の欠損すらも回復させることができる。
 その情報を瑞科が持っていれば、あの好機を逃すことはなかっただろう。
『霧嶋 徳治』のことまで調べ上げることのできる組織が、そのことを調べきれていないとは興味深い。
だが、本当に確実に任務を達成するつもりであるなら、鬼鮫の能力を問わず、瑞科はまず止めをさすべきであったのだ。

 改めて、意識を失い体を投げ出している瑞科を見る。
女としての成熟度はまだまだ低い。だが、鬼鮫の攻撃を受け、体も傷つき、その自信や誇りまでを完璧に失い倒れたその様子にはなかなか趣があった。
 土と血にまみれてしまったが艶のある長い髪が広がっている。擦り傷と泥で汚れてしまった顔も血塗られて紅い唇も月の光によく映える。
 破れてしまった襟元からのぞく白い肌。胸元への張りのある隆起。それを窮屈そうに締めていたコルセットも鬼鮫の度重なる攻撃でだいぶん傷み、引き合わせていた紐が緩んだせいで豊満な胸の膨らみがはだけた襟元から見える。腰から大きく開いたスリットのスカートは途中、切り裂いてしまったために膝よりも短く激しい戦闘でボロボロになっていた。太腿の途中までをも隠していたニーソックスもダメージをかばい切れず、鬼鮫の蹴りや倒れた時の衝撃で白く柔らかかった太腿はあざだらけになっていた。力なく開かれた膝に鬼鮫を誘うほどの色香はなかったが、鬼鮫のあらたな興味を呼び起こした。

意識のない相手は弄れない。殺すにも恐怖を与えなければ面白みがない。
「じっくりと、調べてやろうじゃねぇか」
自分を狙ったことを、後悔させてやらなくてはならない。
もちろん、瑞科の背後にある組織にも、だ。
「喧嘩は相手を見てやんなってことを教えてやるよ」

雑に、荷物でも持つかのように鬼鮫は、瑞科の腰に腕をまわして持ち上げた。
髪が地面についていても、足を引きずっていても特に気を回すことはない。
ズリ
ズリ

闇の中に鬼鮫は消えていく。月の光も届かない闇へ。

そして。
瑞科の姿はそれ以来どこにもない。

死体も見つかっていない。

組織は、随一の武装審問官の行方不明に血相を変えて人を飛ばしたが、成果は得られなかった。
瑞科が鬼鮫と対峙したであろう廃墟には、大量の血痕と激しい戦闘の痕が残されていたが、そのどちらの遺体も確認できずに、それ以後の足取りも掴めなかった。
瑞科の武器は回収され、それに付着していた血痕と大量の血の持ち主は同じとされた。以前にサンプルとして採取されたことのある鬼鮫のものと合致する。だが、瑞科の衣服の切れ端や切り落とされたケープ、薄汚れたヴェールにも瑞科のダメージを示す痕跡が多くある。
 組織には、鬼鮫がどうなったのか瑞科がどうなったのか、断定できるほどの情報がなかった。

ただ、結論として。
永い夜は明けたが、瑞科はその夜の闇につかまってしまったのだ。
闇を泳ぐ巨大な鮫に飲み込まれて……。