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<東京怪談ノベル(シングル)>


勝利、その後の‥‥


 遠くから見た限り、そこはただの廃墟のように見えた。

(あれが‥‥鬼鮫さんの潜伏している拠点ですの‥‥?)

 実際にこの目で見てみるとなおさら、その異常さが浮き彫りになる。
 鬼鮫は瑞科が知る限りでも最悪と言っていいほどに、残虐かつ知能の高い相手だ。そんな相手がただの廃墟を、果たして身を隠す場所として選ぶだろうか?
 どうやら油断は大敵のようだ。
 瑞科は豊かな胸元を覆うコルセットの下できゅっと腕を組み、しばし秀麗な眉を寄せてこれからの侵入経路を幾パターンか思案した。その中でもっとも効率的と思われるルートを選択し、うん、と1つ頷く。
 ふわり、風に溶けるように瑞科はシスター服とケープの裾をひらめかせて動き出した。そのたびに躍動的に艶めかしく夜気に晒される白い美脚は、確かな訓練に裏打ちされ、鍛えられたものだ。瑞科自身の匂い立つような色香漂う肢体とて、暗殺者としてバランスよく全身の筋肉をしなやかに鍛え上げた成果である。
 これと目星をつけた侵入ルートの、わずかな隙間から身をくねらせるようにして潜り込む。豊かな形良い胸元を強調するコルセットがわずかに引っかかり、半ば押しつぶすようにして侵入を果たすと、案の定、そこは外見とは異なって『ただの廃墟』にはあるまじき仕掛けが施されていた。
 だが、瑞科もプロだ。そこかしこに仕掛けられている罠を解除し、あるいはかいくぐって、もっとも鬼鮫が潜んでそうな場所へと足を向ける。

「居るとしたら罠や警備がもっとも厳しい場所‥‥或いはいつでも戦える場所、ですわ」

 もし逃げまどうしかできない相手なら、それは確実に前者だ。襲撃者から身を守るために、これでもかと言うばかりに仕掛けと罠を施して、逆に自らの居場所を知らせる愚か者も、瑞科は何人も見てきた。
 だが。恐らくは瑞科同様に己の戦闘能力に自信を持っている――でなくば瑞科ほどの暗殺者に暗殺指令が下るほどの大胆な残虐行為は繰り返すまい――鬼鮫が選ぶとしたら、きっと後者だろう。
 そう瑞科が考えた理由は、強いて言えば経験から基づく勘。そしてその勘が正しかったことは、いくつかの罠をかいくぐった、その先のわずかに広いスペースで薄ら笑いを浮かべて待っていた鬼鮫の姿に、確信に変わる。

「鬼鮫さん――ですわね」

 問いかける形式を取った言葉は、だが質問ではない。鬼鮫もそれを解っている。
 だから男が返したのは、全く別の言葉だった。

「今度はシスターと死合うか‥‥つくづく、罰当たりだねぇ」
「余裕ですわね」

 瑞科はうっすら微笑んで、次の瞬間ロングブーツのかかとで床を強く蹴り、しなやかな猫のように鬼鮫に迫った。幸いこの廃墟には、鬼鮫以外の人気がない。誰かに見られる心配も、無用な口封じをする必要もない。
 ガキ‥‥ッ!!
 まずは瑞科が降り下ろした、その妖艶で悩ましい肢体から放たれたとはにわかに信じられない重い剣撃を、鬼鮫が受け止めた。この程度は当たり前ですわね、と1人ごちながら素早くバックステップで距離を取り、軽く両手を振ると同時に手の中に現れた投擲ナイフを惜しげなく放つ。
 まるで煙幕のように放たれたそれに、案の定鬼鮫は一瞬、動きを止めた。だが、極限の戦いの中での一瞬は、永遠の隙にも等しい。瑞科はそれを見逃す事無く、白いケープを翻らせて鬼鮫に向けて電撃を放った。

「ぐが‥‥ッ!?」
「ごめんくださいませね、鬼鮫さん」

 電撃を受け、倒れた鬼鮫の傍らにふわりとシスター服のスカートを舞い上がらせ、瑞科はロングブーツを鳴らして駆け寄った。コルセットで覆われた胸を誇るように張り、祈るように祈るように両手を挙げて高らかに掲げたのは、光を受けてきらりと銀光を放つ剣。

「ハ‥‥ッ!」

 気合と共に振り下ろした初撃を、鬼鮫はかろうじて身をよじってよけた。だが続けざまに振り下ろされた次の攻撃を、避ける事は出来ない――避けさせはしない。
 ずぶり、と確かな手ごたえがあった。

「んぅ‥‥ッ」
「がは‥‥ッ!!」

 瑞科の渾身の一撃を腹に受け、鬼鮫の双眸が驚愕に見開かれ、苦痛にのた打ち回る。それを抑え込むように両腕に力をこめて、瑞科は剣を握り続けた。
 辺りに血の赤が飛び、鬼鮫の口から血の泡が出て、それでも瑞科は揺らがない。彼女のまとうシスター服と、その大胆すぎるスリットから完全に顕わになった白い両足をも、鬼鮫の赤は染め上げんばかりに腹から、口からどくどくと命のしずくを漏らす。
 そうして、ようやく動かなくなった男に、瑞科はようやく大きく肩で息をついた。その拍子にコルセットの下で大きく揺れた胸を押さえるように、手を当てて僅かに乱れた息を整える。
 ふ、と唇の端に浮かんだのは艶やかな、一目見れば数多の男の心を魅了するに違いない蠱惑的な笑み。

「鬼鮫さん、あなたはとても強かったですわ」

 たった今、自らの手で息の根を止めた男へ、そんな男をも下す己の実力を改めて誇らしさを込めて、瑞科はそう呟いた。そう、鬼鮫は彼女に下された暗殺指令のターゲットの中でも最強と言っても良いほどの男だった。あれほどの戦闘能力を備えたデータを、彼女は見た事がない。
 だがそんな相手ですら、瑞科に掛かればこうしてあっけなく地に倒れ伏すのだ。それは彼女に例えようのない誇りをもたらす。
 ふぅ、とまた大きく肩で息をして、気付けばめくれ上がったままだったシスター服のスカートを下ろし、艶かしい白い足を覆い隠した。戦いで乱れてしまったケープを元通りに羽織り、長い黒髪を手ぐしで直す――彼女に油断があったとしたら、その瞬間。
 がッ、といきなり、ものすごい力で覆い隠した右の足首を捕まれ、引き摺り倒された。あっという間の出来事に抵抗する暇もなく、受身すら取り損ねて瑞科は全身を強く床に打ち付ける。  と、同時に腹に叩き込まれかけた肘うちは、僅かに身をよじって内臓をやられるのを避けた。だが打撃そのものは避けきれず、食い込んだ鈍い衝撃に悲鳴を上げる。

「んぁ‥‥ッ!」
「‥‥女‥‥この程度で、俺を、倒したつもりか‥‥ッ!!」

 痛みを堪えながら僅かに首をもたげて自分の足首を掴んでいるものと、その相手の言葉を聞いて、瑞科は愕然と目を見開く。

「鬼鮫さん‥‥まさか‥‥ッ」
「この、程度で‥‥ッ、俺は殺せん‥‥ッ!!」
(まさか‥‥再生能力が‥‥ッ!?)

 聞いてませんわよ、と瑞科はギリリと唇を噛み締め、憎しみを込めて相手を――血まみれの身体をもたげ、蘇った男・鬼鮫を睨みつけた。自由な左足を大きく振り上げ、鬼鮫の顔面に容赦なく叩き込む。
 二度、三度、四度‥‥。

「小物め。俺の能力を知らなかったのか」
「‥‥手落ちの、ようですわね‥‥」

 五度、六度。六度目でようやく瑞科の右足が開放され、身をくねらせるようにして彼女は両腕ではいずり、鬼鮫から距離を取った。肘打ちを叩き込まれた腹が痛い。苦痛を堪えて激しく上下する胸を支えるコルセットが、時折瑞科の視界から鬼鮫を隠す。
 再生能力。そんなものがあるなんて、瑞科が受け取った鬼鮫のデータにはどこにも記されてなかった。胸の中で『教会』の情報部を罵ったが、そんなものは今、何の役にも立たない。
 鈍く痛む腹を押さえて、瑞科は必死に立ち上がった。そんな瑞科をどこからいたぶってやろうかと品定めするかのような、鬼鮫の舐めるような視線が肢体の隅々まで絡みつくのを感じていた。