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<東京怪談ノベル(シングル)>


ロザリオの輝きは錆び始める


 色鮮やかなステンドグラスの模様が、冴えた白金色の月光に照らされて木製の床に刻まれる。白鳥瑞科は廊下を足早に歩んでいた。
 黒いヒールの硬質な音だけが反響し、腰まで届く艶やかな茶髪と豊満な胸が歩に合わせて揺れる。長めの睫毛に縁取られた双眸には若干あどけなさが残るものの、清廉潔白な意思を宿す蒼い瞳が大人びている。凛々しいタイトスカートのスーツにグラマラスな肢体を包んだ彼女の行く先は、教会内に存在する司令室だった。
 瑞科がシスターとして所属する『教会』は、一般的なそれとは異なる。太古から存在し、人類に仇なす魑魅魍魎及び敵対組織の殲滅を主目的とする秘密組織なのだ。世界中に支部が点在し、各国の政財界に対しても多大な影響力を持つ。瑞科は教会の戦闘員――武装審問官の一人だ。
 司令室のドアをノックすれば、入りたまえ、と厳かな男の声が聞こえた。
「失礼致します、司令。白鳥瑞科、参りました」
「待っていたよ」
 正面奥の窓際に佇む壮年の男は、瑞科に振り向いて微笑んだ。漆黒の礼服を纏った姿は、一見温厚な神父だが、司令官らしい厳粛さも持ち合わせている。室内の空気は張り詰めていた。姿勢を正して敬礼し、瑞科は切り出す。
「緊急とのことですけれど、どのような任務なのでしょうか」
「IO2の鬼鮫――という男の名を聞いたことはあるかね」
 一瞬、緊張が走った。知らないはずがない。教会でも要注意人物として以前からマークされている者だ。
「確か、超常能力者ばかりを狙う殺人鬼……ですわよね?」
「そうだ。奴は近頃、他支部の武装審問官をも大量に殺し回っている。我々としても早々に対策を打ちたい。そこで、教会随一の実力者である君に、鬼鮫の暗殺を任せることになった」
「了解致しました。良いご報告ができることをお約束しますわ」
 にこやかに宣言する瑞科に、司令は満足気に頷く。そして、アンティーク調のデスクの抽斗から書類の束を取り出し、瑞科に歩み寄って手渡した。
「鬼鮫と、奴が現在潜伏しているという施設の資料だ。読んでおきたまえ」
「ありがとうございます。早速現場に向かいますわ」
 司令に一礼して退室し、教会内の自室へと戻った。夜の静寂をヒールの踵が踏み砕く。必要最低限の家具のみが備え付けられた部屋には、彼女の性格を反映したかのように塵ひとつない。クローゼットから戦闘用シスター服を取り出した。瑞科専用の、最新技術を駆使した特別製だ。防刃・防弾効果付きの特殊な素材で作られている。
 戦闘服をベッドにそっと置き、スーツの釦を外す。衣服を脱ぎ捨てるたびに、絹糸のような質感の茶髪がさらりと揺らめく。白熱電球の淡い橙色の光に照らされた色白の素肌には、傷ひとつ付いていない。瑞科はこれまで数々の任務を完璧にこなし、敵には指一本触れさせずに勝利してきた。戦いに身を投じているとは思えぬほど肌が滑らかなのは、その証だ。
 けれど、その清らかな体躯は男を魅了して止まない。シスターである印象とは裏腹に、見る者を惑わせる色香を漂わせている。瑞科の眉目秀麗な容姿は、ターゲットを油断させることにも長けていた。戦闘服のデザインや仕様も例外ではなく、やわらかなふたつの膨らみを強調するかのようなコルセットを身につける。窮屈に感じるのはたった一瞬だ。
 引き締まったシスター服に手足をゆっくりと通す。体温に馴染むまでは少し冷たいのだが、何度も着こなして慣れきった生地の感触には、安堵さえ覚える。それは体型に隙間なく張り付き、透き通った白い肌と纏う黒のコントラストが、肉体と立ち姿の陰影をより美しく魅せる。
 下半身に入った腰下までの深いスリットが、スラリと伸びた美脚を惜しげもなく露にする。純白のニーソックスも艶かしく太腿に食い込んでいる。ヒールを脱いだ足には、膝までの編み上げのブーツを装着した。
 白い布製の装飾の付いた二の腕までのロンググローブが、しなやかな指を包む。手首までの皮製のグローブにも美しい装飾が施され、瑞科の魅力を全く損なわない。
 純白のケープを肩に羽織り、同色のヴェールも頭に被れば、武装審問官の正装は完成だ。
 スーツをクローゼットに仕舞ってベッドに座り、任務の資料に目を通した。己の腕に絶対の自信を持つ瑞科だが、任務の資料は毎回熟読している。ターゲットの行動パターンや能力等の情報を事前にすべて把握し、入念に対策を練っているからこそ、実戦で無駄なく活動できるのだ。
 鬼鮫――本名は霧嶋徳治。IO2に所属するジーンキャリアで、元はヤクザ。過去に娘と妻を超常能力者に殺害され、復讐のために戦っていたが、次第に超常能力者を愉快犯的に殺戮し始める。トロールの遺伝子を宿し、火傷も含む全ての負傷・身体欠損の再生が可能。常人を凌駕する身体能力を持ち、我流の剣術を操る。
「武装審問官を32名も殺しただけあって、流石に厄介な方ですのね。わたくしに暗殺任務が回ってきたのも頷けますわ」
 苦笑混じりにひとりごち、けれどすぐに表情を改めてページを捲る。鬼鮫が潜伏している可能性が高いという廃墟の地図に目を留めた。教会の支部が各地に存在するとはいえ、中にはほぼ密集している国や地域もある。彼はその付近を拠点にして殺戮を繰り返しているようだ。武装審問官には特殊能力を持つ者も多く、鬼鮫にとっては絶好の『狩り場』なのだろう。
 これ以上、同胞を死なせるわけにはいかない。命を軽々しく弄ぶ行為は、決して赦されてはならない。
 瑞科の蒼い瞳に、強靭な意志のこもった光が瞬いた。
 資料をベッドに置いてスッと立ち上がり、クローゼットの抽斗から銀色のロザリオを取り出した。シスターとしての通常職務で常に首から掛けるものだ。清澄に輝くそれを両手で握りしめ、胸に抱いて瞼を閉ざす。
「主よ、どうか教会をお守りください。そして、悪に打ち勝つ更なる力をわたくしにお与えください」
 神に祈りを捧げるのも、任務前に行う習慣だ。ロザリオを片付け、瑞科は迅速に目的地へ向かった。白金色の満月が地上を見下ろしている。冷えた夜風に服の裾や艶めいた髪が靡いた。
 瑞科の最大の武器は、剣を用いた近接格闘術。鬼鮫も我流の剣術を使うらしいが、たとえ相手が人あらざる者だとしても負ける気はしなかった。
 やがて、廃墟に辿り着いた。光源は月明かりのみ。人里離れた森に佇むそれは、暗闇を従えんばかりの不気味な輪郭を夜景に浮き上がらせていた。長剣を手に構え、瑞科は廃墟を見据える。闇の奥の更なる闇の中で、何かが蠢いた。
 鬼鮫はここにいる。確信した瑞科は誘いの言葉を紡いだ。
「IO2の鬼鮫さん、いらっしゃるのでしょう? 出てこられてはいかが?」
 透明感を持つ彼女の声は、涼やかに空気を薙ぐ。それに応えるかのように、悠然とターゲットが姿を現した。
 身長は2メートルを超えている。屈強な体格にスーツとロングコートを纏い、強面の顔に掛かったサングラスが月光を反射している。瑞科が資料の写真で見たのと同じ容貌だ。彼の口から発せられた低い声は、地をも震わせるような響きだった。
「おまえ、武装審問官だな」
「ええ。白鳥瑞科と申しますわ。以後、お見知りおきを。もっとも……」
 言葉を切ってくすりと微笑をこぼし、瑞科は剣を構え直した。
「あなたには『以後』なんて訪れないでしょうけれどね」
 静謐な月光が、対峙するふたりの影を濃く彩っていた。