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<東京怪談ノベル(シングル)>


終焉の、その先の暗黒。


 だが、戦局は圧倒的に瑞科に不利だった。何しろすでに瑞科は、己の手の内の札を出し尽くしたといっても良い。剣は先刻振り回されたときに部屋の隅に飛んでいってしまって、取りに行くには鬼鮫の横をすり抜けなければならない。さらに、一度は鬼鮫に――認めたくないとは言え――敗北して倒れ、起き上がることも出来なかった身だ。
 そんな事は瑞科自身が嫌と言うほど解っている。瑞科の身体のコンディションはいまや最悪で、あちこちから流血し、どうかすれば骨のどこかにひびだって入っているだろう。
 けれども暗殺者としての使命の為に、そして何より己の誇りのために、瑞科はなんとしても鬼鮫に立ち向かわねばならないのだ。

「行きますわ‥‥ッ」

 瑞科は両手首をふって投擲ナイフを取り出し、そのまま両手をクロスさせて全力で鬼鮫に投げつけた。その仕草にまた胸元が大きく揺れて、意志の力だけで立っている瑞科を床へと引き摺り倒そうとするかのようだ。
 だが、堪える。そうして続けざまに電撃を放った後、ロングブーツのかかとで強く床を蹴って鬼鮫へと肉薄する。

「は‥‥ッ!」

 拳での一撃、と見せかけての至近距離からの重力弾。文字通り重さを感じさせる魔法がマトモに鬼鮫の顔にめり込み、さしもの鬼鮫もたたらを踏む。
 だが、それだけだ。魔法の威力が不十分だったとは思わない。現に鬼鮫の体はダメージを受けたように見えたし、その手ごたえを瑞科は感じた。
 だが――それを止めの一撃とする事を、鬼鮫の持つ驚異的な再生能力が阻むのだ。

「足りねぇなぁ」

 鬼鮫はニヤリと笑い、無造作にぶぅんと腕を鳴らして振り回し、瑞科の腹に叩き込んだ。一度は避けることの出来たその攻撃を、今の瑞科はただ受け止めるしかない。ぐふっ、とうめき声を漏らして、文字通り身体をくの字に折り、吹き飛ばされた。
 それでも立ち上がる。立ち上がるしかない。だが次に投げたナイフは明らかに先のものよりも精細を欠いており、鬼鮫でなくとも避けるのはたやすかった。
 無造作に歩いてきた鬼鮫の突きをかろうじて避け、その腕にぎゅっと組み付いて投げ飛ばそうとする。それは身体がすでに馴染んだ、あらゆる攻撃手段を失った最悪の場合の格闘技だが、すでにそれを行使できるだけの体力も残っていない。
 逆に瑞科は再び、鬼鮫に思い切り投げ飛ばされ、全力で床に背中から叩きつけられた。

「くは‥‥ッ!?」
「肋骨5本、ってトコか? 頑丈だな、あんた」

 体内で響いた鈍い音と、全身を駆け巡る強烈な痛みに目を剥き、胸をのけぞらせてその痛みを逃そうとする瑞科の様子に、鬼鮫がむしろ呆れたような声を上げた。だが一切の手加減はなく、そのまま肘を瑞科の腹に叩き込む。

「ぐふぅ‥‥ッ!」

 その一撃でついに瑞科は最後の気力を奪われ、完全に意識を失った。ぐったりと魅惑的な四肢を投げ出したその肉体を包み込むシスター服は、すでにかろうじて瑞科の形良く盛り上がった胸元の最低限を隠し、艶かしい白い太股の先に秘められた場所をささやかに隠すのみだ。
 あちらこちらから血を流し、艶やかな黒髪を一筋顔に張り付かせた瑞科は、それでもなお匂い立つような色香を漂わせている。その無防備な姿を見たならば、余程強い自制心を持つものでない限りふらりと傍により、瑞科の魅惑的な肢体を己がものにしようと不埒な想いを抱いてしまうことだろう。
 だが、鬼鮫はハッ、と鋭く息を吐き出し、そんな瑞科をじろじろと不躾な眼差しで上から下まで舐めまわす様に見る。別に何かしてやろうというわけではない。瑞科がどこから依頼されて自分を殺しにやってきたのか――せめてその所属なりともわかる物を身につけていないかと考えたのだ。
 鬼鮫はぐったりとして動かない瑞科の魅惑的な肢体の傍に膝をつき、僅かに残ったシスター服や、元はしなやかで踊る白魚の腹のようだった腕を覆う傷だらけのグローブに精緻に縫い取られた刺繍の意匠を観察した。それで満足行くものが発見出来ないと悟ると、まるで壊れた人形を扱うように無造作に瑞科の腕や足を持ち上げて舐めまわす様に白い肌のどこかに刻印が刻まれていないかを調べ、さらに瑞科の身体をひっくり返して同じ事を繰り返す。
 だが、鬼鮫が望む情報はどこからも出てこない。

「クソッ!!」

 実力はともかくとして、確かにこれはプロの暗殺者なのだと鬼鮫はまた怒りの呻きを吐き出した。熟練の暗殺者は基本的に、個人を特定できるものを仕事の際には一切身につけない。徹底するものならば指紋も潰し、顔も変え、声すら潰して任務に当たる。
 だが――

「テメェの実力に驕ったか? シスター様よ」

 鬼鮫はペッと唾を吐き捨てて、ぐったり気を失った瑞科の蠱惑的な曲線を描く傷だらけの肢体を、侮蔑の目で見下ろした。
 最先端の特殊素材で作られた伸縮自在のシスター服に、豊か過ぎる胸を強調せんばかりのコルセット。瑞科が使っていた投擲用のナイフや剣は徹底的に証拠になるような刻印は残していないようだが、彼女が身につけているシスター服だけは別だった。
 最先端の特殊素材を使えるような組織は限られている。そんなもので何から何まで作られたシスター服を暗殺の戦闘服に使用すると言う事は、自らの所属を宣伝して歩いているようなものだ。
 だから、後は鬼鮫が成すべき事は、瑞科が身につけているシスター服を剥ぎ取り、解析し、その正体を突き止めることだった。それはすなわち、瑞科の素性を知り、所属を探り、この鬼鮫の暗殺なんて大それたことを依頼した何者かへの手がかりとなる。

「‥‥とは言え、ここじゃ無理だな。クソッ」

 手近にあったぼろぼろの椅子を、いらだち紛れに思い切り蹴り飛ばす。哀れないすは蹴られた瞬間に粉々に砕け散り、破片となって飛び散った。その幾つかが瑞科の豊かな胸の上に、見事な括れを保ったウエストに、あちらこちらに滲ませた血の赤によって酷く艶かしさを引き立たせている白い太股に降り注ぐ。
 鬼鮫はその光景を、覚めやらぬ怒りを宿した眼差しで見た。そうしてつかつかと歩み寄り、ぐい、と瑞科の長い黒髪を乱暴に握って引き摺りあげる。

「んぅ‥‥ッ」
「何だ、まだ意識があるのか? しぶとい女だ――場所換えだ、シスター様よ」

 無意識のうめき声を上げた瑞科の顔にまるで接吻せんばかりに顔を近づけ、残虐さを滲ませた声色で鬼鮫はそう宣告した。朦朧とした瑞科の意識がその言葉を言葉として認識する前に、鬼鮫はそのまま、瑞科の髪を握ってずるずると引きずり、歩き出す。

「ぅ‥‥ぁぁ‥‥ッ」
「恨むんならその身体を恨みな」

 何に苦痛の声を上げたのか、気付いた鬼鮫が嘲笑を向ける。あまりに魅惑的に成長した、豊満な胸が床と自らの身体の間に容赦なく挟まれ、引き摺られて苦痛を訴えたのだ。
 鬼鮫はそのまま瑞科を引き摺り、部屋を出て行った。ずるずると重いものを引きずる音が、かなり長く廃墟の中に響いていた。





 連絡の取れなくなった白鳥・瑞科の仕事の成果と行方を確かめるべく、『教会』より瑞科が向かった廃墟へと向かわされた調査員は、そこで激しい戦闘が行われた痕跡と、どこかへと引きずられていく血痕を見つけた。だがその血痕は途中で途切れており、やむなく調査員はその後の追跡を断念する。
 そうして『教会』の本拠地へと瑞科の行方不明という結果が報告されたのは、その日のうちだった。