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<東京怪談ノベル(シングル)>


純潔のエレジー【1】


「鬼鮫……ですか」
 武装審問官である白鳥・瑞科が渡された資料に視線を落とすと、さらさらと髪が流れ落ちた。
 伏せられた瞼から、細く長い睫毛が揺れる。彼女を呼び出した司令官は、睫毛とその先にある鼻梁、そして艶のある整った唇に魅せられた。――ほんの一瞬ではあるが。
 武装審問官――それは「教会」と呼ばれる世界的組織に属する戦闘シスターだ。
「教会」は太古から存在している。その影響力は世界的であり、人類に仇なす魑魅魍魎の類や組織を殲滅することを主な目的としている秘密組織だ。その組織において武装審問官は、「教会」の教義に反する魑魅魍魎の駆逐や、敵対人物の暗殺等を司る存在のことをいう。
 瑞科は「教会」において、最も実力のある武装審問官だ。
「この鬼鮫が今回のターゲットですのね?」
 資料に見入ったまま、瑞科は呟く。
「そうだ。鬼鮫についての詳細はその資料の通りだが……くれぐれも気を付けてくれ」
 司令官は長く息を吐きながら告げる。
 これまで数々の任務を完璧にこなしてきた瑞科に「失敗」は有り得ない。敵には指一本触れさせたことさえない彼女だ、今回も心配することはないと思いたいが――しかし、相手はあの鬼鮫だ。一抹の不安が過ぎるのは否定できなかった。
 資料に没頭する瑞科を、司令官は頭の先から爪先まで、そのラインをなぞるように見る。そこに欲望の眼差しを込めることはないが、しかし――それでも彼女の完璧なまでの肢体に見惚れざるを得なかった。
 それほどまでに、瑞科は「完璧」なのだ。
 美しく、聡明な瑞科――濡れるように黒く長い髪は、光を反射して輝く部分が背中のラインを浮き立たせている。
 体型はスレンダーながらも、その曲線は芸術作品のようであり、ともすれば豊満という表現さえ相応しい。その肢体からは、彼女が望む望まないに関わらず、常にある種のオーラ――艶やかさや艶めかしさといった類の――を放っていた。
 身に纏う衣服さえ、彼女の美を際立たせるための飾りのようにさえ思える。今、身に纏っているのはボディラインがくっきりと浮き出るタイトスーツとタイトスカートだ。
 胸の丸みを決して潰すことなく、形の良い臍までもが手に取るようにわかるスーツは、そのボディに一切の「無駄」がないことを誇示していた。
 スカートは言うまでもない。形の良いヒップラインに適度に付いた筋肉は、古代の彫刻を思い起こさせる。そこからすらりと伸びる足は、本当に日本人だろうかと思わずにはいられないほど長く、しなやかだ。
 優しさと、美麗さと、礼節と、聡明さと――非の打ち所がない瑞科はしかし、己の力には絶対の自信を持っていた。やがて資料を読み終えると、自信に満ちた表情を浮かべて顔を上げる。
「わたくしにお任せくださいませ。必ずや鬼鮫を……仕留めて参りましょう」
 艶然と笑み、瑞科は司令官に背を向けて歩き出す。
「あの体に触れる男は……一体何を思うのだろう」
 司令官は呟き、退室していく瑞科の後ろ姿をただじっと見つめていた。

「鬼鮫……手強い相手ですわ。でも、必ず」
 瑞科は自室に備え付けられたバスルームで、少し熱めのシャワーを浴びていた。考えるのは、今回のターゲットである「鬼鮫」のことだ。完璧に暗記した資料の内容を振り返る。
 鬼鮫は、IO2に所属するジーンキャリア――魔物の遺伝子を体に組み込み、その能力を得た者だ。
 本名は霧島・徳治。元々は極道に生きる者だった。だが、過去に妻子を超常能力者に殺され、それによって最初は復讐のために戦っていたのだという。戦いを続けるうちに、次第に超常能力者との戦いと、それによる殺戮から得られる快楽に、復讐心さえ忘れて没頭するようになっていった。
「その戦闘能力は常人を遥かに凌駕しており、超常能力者と戦って殺すことに異常な執着を示し、結果として超常能力者の殺戮が問題ともなっている……か」
 瑞科はシャワーを止めると、うっすらと紅色に染まった胸に張り付いた髪を手で払って背中へと流す。バスルームから出てバスタオルで軽く全身を拭き、まだ少しだけ湿っている肢体を隠すことなく部屋を歩き回った。
「確実に仕留めなければ。わたくしが失敗したら……これから先、どれほどの超常能力者が犠牲になることでしょう」
 歩を止め、姿見に映る自分の姿を確認する。傷ひとつ無い体。穢れを知らぬ、純潔な柔らかさ。何者にも揉みしだかれることのない、成熟した大人に連なる美。
 今回の任務も、この体が穢されることはないだろう。赤い筋が這うこともないだろう。もっとも鬼鮫の返り血くらいなら浴びるかもしれないが、紅色から陶器のような白さに戻りつつあるこの肌に鬼鮫の血は映えるに違いない。
「待っていてくださいませ」
 瑞科はうっすらと笑みを浮かべ、コルセットに手を伸ばした。
 背に当てると、ひんやりとした感触が熱を奪う。
「ああ……」
 思わず漏れる声。この感触は何度味わっても心地よさと緊張感がないまぜになって、たまらない。胸の前で合わせて、留め金をはめ、そして紐を引き絞る。
 ぎゅ、ぎゅ、と軋む度に、寄せられる胸。形の良い双丘は絞られて弾力を増す。そっと指先で触れてみれば、今にもはち切れそうだ。
 紐は双丘の間にねじ込んでいく。このあと、戦闘服を身に纏ったときに紐の膨らみが出てしまわないように。脱いだときに、紐の跡が胸の間を走っているだろうが――。
 軽く体を捻り、コルセットがボディに密着していることを確認する。そして次はショーツ。コルセットと揃いのデザインだが、しっかりとヒップを包み込む弾力がある。胸と同じように、絞られることで形状が更に淫靡になるライン。しかしそこから生まれる安定感が、戦闘におけるバランスに影響するのだから妥協はできない。
 気が付けば、体表の水分は随分と蒸発してしまった。
 続けてニーソックスへと右足の爪先を入れる――が、上に引き上げていく際に、時々肌がひっかかってしまう。
「……もうすぐ、冬ですわね。乾燥する季節……。今度から入浴後のローションを全身にたっぷりと塗らないと」
 瑞科は呟く。今もケアは欠かさないが、これから年齢を重ねていく毎に肌の張りは失われていくはずだ。今後もこのボディを保つために努力を怠るわけにはいかない。
 棚の上にあったローションを取ると、太腿の付け根から爪先まで、まさぐるように塗りたくった。
「今度は……ひっかかりませんわね」
 若干ローションで湿りながらもニーソックスは順調に引き上げられる。やがて瑞科の白くたっぷりとした太腿に食い込むと、食い込んだ部分の段差が僅かに朱に染まった。
 そして、戦闘服に手を伸ばす。
 瑞科のためだけに特別に作成されたシスター服で、最先端技術を用いた素材で作られている。全身に密着させれば締め上げた胸がさらに上を向き、体の中で何かが疼く。
 背中に入り込んだ髪を両腕ですくい上げ、うなじに僅かな涼しさを感じているうちに、出撃の時間が迫ってきた。
 再び姿見の前に立ち、呼吸を整えて自分と向き合う。鏡という特性上、左右逆に映り込む瑞科の姿。しかし、それでもなお完璧だった。シンメトリーに近い、完全なる肢体。誰が見ても溜息を漏らすだろう。
 戦闘服は瑞科の完璧なボディラインをより際立たせ、そこから立ち上る妖艶さは既に成熟しきった女性のそれを凌駕して、媚薬にさえ似た色を放つ。
 両手でそっと自分の丸みを確かめる。鎖骨から双丘、アンダーバストを伝って、臍から腰回りのライン。背中に手を回せば、コルセット越しに真っ直ぐな背骨の感触。そのまま指先を下に這わせてヒップの穏やかな丸みをひと撫でし、前に滑らせて骨盤をなぞっていく。
「今日のラインも完璧ですわ」
 うっとりと自分に酔い、尚も指先は腰の両脇から下へと向かい――かなり際どい位置まで食い込んだスリットからするりと中に入り込んでいく。真新しいニーソックスが、若干痛い。指を一本、二本と挟み、少しだけ締め付けを緩めた。
「位置は……大丈夫かしら」
 スリットをめくり、露わになった太腿を姿見で確認する。いつもと同じ位置に食い込むニーソックス。左右同じ位置にあるかどうかも念入りに確かめた。少しでも違えば、やはりバランスが崩れる。確実な戦闘をこなすためにも、僅かなズレは許されないのだ。
 基本ラインに問題がないことを確認すると、純白のケープとヴェールをゆるりと纏った。そして膝まである編み上げのロングブーツを、戦いへの決意を込めて絞めていく。コルセットで胸を締め上げた感覚に近い。ふくらはぎを絞めているのに胸が熱くなるのは何故だろう。
「ああ……髪を乾かすのを忘れてしまいましたわ」
 ここに来て瑞科は、髪を乾かし忘れたことに気付く。いつもなら渇かしてから着替えるというのに。
 鬼鮫という相手の手強さを予感しているのだろうか。だから渇かすことさえ忘れて、心が高揚し――どこか性欲にさえ似た動悸を感じつつあるのかもしれない。
「……もしかしてわたくしは……鬼鮫が怖い? いいえ、そんなはずありませんわ。鬼鮫には明日は訪れないのですもの。このわたくしが……その命を終わらせるのですから」
 瑞科は動悸を抑え込むと、自信に満ちた、そして妖艶にさえ見える笑みを浮かべた。
「行きましょう。鬼鮫が待っていますわ」
 ターゲットが潜伏するのは人気のない廃墟。そこが、鬼鮫の棺となるのだ。
 まだ湿気を帯びて少し重みのある長い髪をばさりとなびかせる。その動きに呼応するように、スリットが揺れる。しなやかな長い脚、白い太腿が逸る気持ちを投影するかのように震える。
 そして、こつこつと軽やかな音を鳴らし――出撃した。