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Track 29 featuring セレスティ・カーニンガム
…2010年、今年の日本の夏は暑かった。
それはもう異常に暑くてどうしようもなかった。
北国アイルランド育ちの上に本性が人魚でもあるセレスティ・カーニンガムにしてみればただでさえ暑いのは駄目だと言うのに、殺す気かと言う勢いの猛暑が続いた。
部屋に空調が掛かっていても、結構、関係無い。
照り付ける陽射しは「暑い」と言うより最早「痛い」。
そんなこんなで、暑いのは気分的な問題もある、とも言う。
結果、この夏は殆どまともに活動出来ていなかったような気がする。
…いつもの夏にも増して、ぐったりとバテている事が多かったような。
恐らくは、部下にもかなり心配を掛けてしまったと思われる。
残暑と言う言葉がこれ程虚しく聞こえてくるのも珍しいかもしれない。
だが。
その暑さにも、漸く先が見えて来た…らしい。
…それだけの情報でも、少し希望が見えてくる思いがする。
ならば、この暑さが薄らいで――本当に暦通りに涼しくなって来たのなら。
さぁ、何をしようか。
■
と、つらつら思いつつ、やや季節外れながらも幾らか暑さも緩んで来たので(この夏は余りに暑過ぎて屋外に行く事すら若干辛かったので)、屋敷のプールに入り涼んでいたところで。
………………ちょっと珍しい『客人』が顔を見せている事に気が付いた。
■
草間興信所。
毎度の如く閑古鳥が鳴きつつも何故か依頼と関係の無い客人だけは良く訪れる…筈のこの事務所だが。
今日は客人は居なかった。
居るのは所長こと草間武彦に、その義妹の草間零。
つまり従業員…と言うか草間家の人だけ。
そこに、緩く波打つ銀髪の麗人――セレスティが訪れている。
いつもの如く、殆ど恒例になりつつある山のような差し入れを箱単位で持ち込みつつ――と言うか部下の黒服に持ち込ませつつ来訪、中の様子を見、取り敢えず御挨拶。
「…おや、お珍しい。今日はどなたもいらっしゃらないんですね?」
草間さん。
「…あー、ある意味最近はいつもかもしれないがな」
「ですね。…やっぱり近頃の東京怪談の状況が状況ですから。御無沙汰しておりますカーニンガムさん」
「ご無沙汰しております。零嬢。…まぁ、状況が状況…それもそうですがそう言い切ってしまうのも少々心が痛む気がするのですが」
調査依頼を提供する立場の方にはもっと色々と頑張って貰いたいものですが。これを書いている人含め。
…と、何だか言ってはならない会話を交わしつつ、セレスティは来客用ソファに。
落ち着いたところで、何か草間さんに良いお仕事が無い物ですかねぇ、と考えてみる。
ここでリンスターの下請け的な仕事を頼む、と言うのは何だか筋が違う気がするし。…そもそも武彦の方でもそれなりの筋が通らなければ、幾ら金になろうと何の仕事も受けない気がする。幾ら口ではどんな軽口を叩いていようと、その辺は結構強情だし、それこそがセレスティのようなこの場に集う者にしてみれば信頼にも繋がっている訳で。
で、セレスティが思い付く、自分がこの場に持って来られるその辺の『筋の通る』仕事の依頼となると。
…やっぱり超常・怪奇の類になってしまう。
武彦の方では絶対に認めようとはしないと思うが、まずそこが鉄板。幾ら嫌がろうが面倒がろうが管轄外だと騒ごうが、根っこの部分で筋が通れば――心根の方で必要を認めさえすれば草間武彦は結局引き請ける。
と、そんな事を思っているところで、零が湯呑みに白湯を入れて持って来た。済みませんと謝ってきた上でセレスティの前、テーブルに置く。…どうやら出涸らしのお茶すら無いらしい。
聞いた時点で、さっきの差し入れに紅茶の茶葉と珈琲の豆も入れておきましたから、宜しければ使って下さいね、と取り敢えず進言。…しながらのほほん白湯を頂く。…これもまたセレスティにしてみれば草間興信所ならではの味――他の場所ではまず飲む機会が無い――と言えるので、別に不快と言う訳でも改めて何か淹れろと言う訳でも無い。
最近の東京の水道水は、結構上手い具合に浄化してある気はしているし。
何だか心底済まなそうな顔でデスクの方でがっくりしている武彦の様子に思わず苦笑しながら、セレスティはその白湯を味わってみる。…ただの白湯とは言え、零嬢の心尽くしの味は確りしますので不味くはありません。
「…済まんな」
そんな物しか出せなくて。
「いえ、構いませんよ。こちらの台所事情はお察ししますし」
と。
セレスティが返したタイミングで。
じりりりりん、と所長のデスクの上にある黒電話の呼び鈴が鳴り響いた。…昭和の遺物だ探偵の癖に留守電の一つも無いのかまだ借り物かと色々莫迦にされてはいるが、それでもハイテクな今時の数多の電話と違い、停電しても問題無く使えると言う利点は取り敢えずある。
…いやだからわざわざ黒電話を使っている、と言う訳ではないのだが。…だが負け惜しみでこの程度の言い訳はしておく。
とにかく、電話が掛かって来た。
所長は呼び出し二回で出る。
「はい、草間興信所」
(御在宅でしたか。ご無沙汰しております。セレスティです)
「――!?」
武彦、一時停止。
咄嗟に反応が返せず固まるが、その間にも受話口から通話相手の――紛う事無きセレスティその人の声が全く普通に流れて来る。
(最近顔を出せなくて申し訳無いと思っていたんですよ。これから伺っても構いませんか?)
武彦はまだ受話器の送話口に声を返せない。
顔を上げ、目の前を改めて見る。
そこに居るのは、のほほんと白湯に口を付けつつ、零と共に何やら話している――今回持参した差し入れの内訳を零に説明しているセレスティの姿と、そんなセレスティに礼を言いながら熱心に説明を聞いている零の姿がある。
…セレスティは、目の前に居る。
が。
今武彦が通話している通話相手も確かにセレスティで。…それは声の聴き間違いで実は別人と言う事も可能性としてはあるだろうが…武彦の場合職業柄その辺は比較的鋭いのでちょっと考え難い上に、近頃ありがちな振り込め詐欺の亜種?にしては騙る人選が根本的に間違っている。こんな大人物の名前をここでわざわざ使ってどうすると言う気もする。自慢では無いが草間興信所をそんな大仕掛けで騙しても鼻血も出やしない。…別に誰も得しない。そしてリンスター財閥の創設以来君臨し続けている総帥などと言う大物に成り済まして何か企んでるとすればそれはバレた時の――後の『本人』からの報復の方が余程恐ろしいとは言えはしないか。ロウリターンハイリスクもいいところだ。何を考えているのか。
…そんな相手が、これからここに来ると言う。
「それは…」
別に、ここで鉢合わせれば話は早く済む。…別に偽者を助けてやる義理は無い。
だから、構わない、と言ってやろうかと武彦は思う。
が。
例えば。
…何か、写し身を行える人外とか能力者が居たとして。
――――――今、ここに居るセレスティの方が偽者、で、通話相手の方が本物のセレスティ、と言う事は有り得るだろうか。
例えば、極力関わりたくない『そちらの世界』の話であったなら。
物凄く不本意だが、武彦は武彦で妙に重要人物扱いされている自覚はある。…零と言う守ってやらなければならない大切な義妹も居る――あまり意識したくはないが、彼女の抱える厄介事の最たるもの、『霊鬼兵』と言う素性も考えに入れなければならなくなってくる。
そちらの論理で来られれば、うちは騙す相手としてロウリターンどころか充分ハイリターン、な可能性も出てくるか?
…そんな気もした。
と、なると。
ここで簡単に対応を決めてしまう訳にはいかない。
確り考えてから判断する必要がある。
けれど今は当の通話中。
時間制限がある。
この相手に自然に応対するには。
どちらが本物でどちらが偽者か、いったい何処で見極める。
…どうするべきか。
悩む。
と。
いつの間にやら零との話が終わったのか、セレスティが不思議そうに武彦を見ていた。…それは、セレスティは視力は弱い。その青色の双眸から向けられる視線が示している通りに武彦の表情が見えているとは思えない。が、それを補って余りあるくらい感覚は鋭い。否、そもそも今ここに居るセレスティが偽者だったとしたら視力が弱いとも限らない。表情からこちらの考えている事が読まれてしまうかもしれない。武彦は俄かに焦る。…このセレスティは本物か、偽者か。当人に加え、黒服の存在、箱単位での差し入れ。…この辺の事が他の誰かに真似が出来るか。…いやそれも何らかの異能の発現の結果である可能性。いやいや、そもそも差し入れを装ってそこに何かが仕掛けられている可能性だって――?
思ったところで、武彦は零の姿が応接間の中に見えない事に気が付いた。
「零?」
受話器の送話口を手で押さえもしないまま、思わず呼んでしまう。
と。
「ああ、今日差し入れさせてもらった物の中に生ものもあるので、確認に行かれましたよ」
蜜柑とか林檎とか。
と、ソファに座るセレスティが言った時点で。
武彦は焦ったように椅子を蹴立てて立ち上がり、零! と大声で呼びつつ後を追って台所へ駆けて行く。
その様に、セレスティ、きょとん。
暫し後、妙に真剣な武彦の声と、殆ど同時にきゃあああとびっくりしたような零の叫び声が聞こえて――それからまた暫く静まり返ったかと思うと、何事も無かったように二人で応接間に戻って来た。
武彦は、はぁ、と疲れたような溜息を吐いている。
様子を窺うに、どうやら零の叫び声は――武彦が慌てて駆け込んで来た事にびっくりして、だったらしい。
他に特に何かあったと言う訳でもないようで。差し入れの中身もセレスティの申告通り特に問題無し。
で、はっ、と武彦は思い出したように慌てて受話器を拾い電話に出る。
と。
切れていた。
武彦、再び俄かに焦る。
…いや、切れてしまったのなら――それでこれまでどおり何事も無く済むのなら何も問題は無いのだが。全てがただの杞憂だったのなら自分の聴き間違いだったのならここに居る方のセレスティが本物だったのならば。何も問題は無い。
思いながら武彦は改めてデスクの定位置に座り直す。
と。
とんとん、と背後から肩を叩かれた。
思わず目を瞬かせる。
…武彦の視界には、零とセレスティの二人が居る。
そして今、草間興信所事務所内には自分と彼らの三人以外誰も居なかった…筈だ。それはこの草間興信所、何処からともなくいつの間にか現れるような神出鬼没な常連も多い――いや、過去形にするべきかもしれない。言い切れない。…どちらにしろ今回それは無い筈だと思う。…現在の東京怪談の状況的に。今回書いてる奴が常連組の連中を出す気が無いらしいし。…そもそもこのセレスティの来訪が久々だったのだ。だからこそ、客人に出涸らしすら出せない状況にまでなってしまった訳で。…まぁその辺は値上がりする前九月の内に煙草を買い溜めてしまった事も影響しているのかもしれないが、それが尽きたら禁煙すら現実的な選択肢として出て来てしまっているのでそこは勘弁して欲しいと思う。
ではなく。
――――――今俺の肩を叩いたのは誰だ。
そもそもの問題に立ち帰る。
あまりにも考えたくなくて脱線した。
が。
仕方無いと諦めて振り返る。肩を叩かれた側。首を捻って後ろを見たそこに居たのは――ステッキを突いて傍らに立ち、にっこり微笑んだセレスティ。
「私との通話を放り出して行ってしまわれるなんて。拗ねちゃいますよ?」
武彦は、え? と思う。
確認の為、元の通りに向き直る。
そちらにもセレスティが――当然のように白湯をのほほんと飲みつつ寛いでいた。
「草間さんは本当に零嬢の事が大切なんですねぇ」
と、こちらのセレスティもにっこり。
笑った、途端。
ぱしゃん、と弾けるようにして、武彦の肩を叩いたセレスティがその形を失った。かと思うとそこの床に水溜りが出来ており、その水溜りがするするすると未だその姿を留めているセレスティの方にまで動いて行く。
で。
その水溜りもまた、何故か当然のように――ソファに、セレスティの隣に落ち着いた。
「…」
武彦、暫し停止。
が――零の方は結構平然とその水溜りの前に、セレスティに出したのと同様の白湯の湯呑みを出していた。と、水溜りはふわりと浮き上がるように中空に触手?を伸ばし、湯呑みを取って傾けて中身の白湯を呑んで?いる。
…何だか異様にシュールな光景である。
と言うか、零も零で謎の動く水溜りを普通にもてなす(白湯だけだが)のはどうなんだろうと言う気はするが。
「おや、キミの身体でも白湯を頂けるんですね」
「…」
水溜りから持ち上がった触手らしい一部が、セレスティの科白に頷くような動きをした。
その態度に、セレスティはにこにこ。
全く動じていない。
その様を見て――物問いたげに武彦が口をぱくぱくさせている。
で。
暫しそのままでいたかと思うと、今度はセレスティが弾けるように笑っていた。
一頻り笑ってから、漸く口を開く。
「済みません。…でも本当に面白いですね、草間さん」
「…って…おいー…?」
言われるなり、武彦は苦虫を噛み潰したような顔になり、がくり。
…これは、セレスティが仕掛けた悪戯の一種であると察しがついた。
「総帥様。俺は本気で心配したんだが…」
「それは。…本当に済みませんでした。でも許して下さいよ。ちょっとしたお茶目じゃないですか」
別に実害無かった訳ですし。
「…ったく…まぁその通りだが。で、何なんだそれ…?」
何だかシュールな水溜り。
「これは私の客人です。先日プールに入っていたら久々に会いに来てくれましてね」
水霊の一種です。
こう見えても固有の意志を確り持っておりまして。動くのも自在です。
それから、一度見た相手の姿を写して象る能力をお持ちでもありまして。
なので、今回、折角なのでちょっとした悪戯を手伝ってもらう事にした訳です。
「こんな機会滅多に無いですからね」
ちょうど色々鬱憤も溜まっていましたし。
「………………それが今日来た本当の理由か?」
「はい」
草間さんなら許して下さると思いまして。
素敵な反応、確り堪能させて頂きましたよ。
と、結構身も蓋も無い事を言いつつ、セレスティはにこにこ。
そんなセレスティの様子に武彦は深々と溜息。
…何だかもう、全てがどうでも良い。
と言うか、総帥様にはきっと何を言っても通じない。と言うか、ここで遊ばれた分が今回の差し入れの代金、とでも思っておく事にした。
今回軽く道化にされた武彦としては、せめてそのくらいには思っておきたい、らしい。
………………こう見えても、自尊心と言う物も一応あるので。
【了】
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登場人物(この物語に登場した人物の一覧)
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■整理番号/PC名
性別/年齢/職業
■PC
■1883/セレスティ・カーニンガム
男/725歳/財閥総帥・占い師・水霊使い
■NPC
□草間・武彦
□草間・零
□『客人』の水霊
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ライター通信
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いつも御世話になっております。
今回は発注有難う御座いました。
休日除けば納期ぎりぎりになると思います(と言うかチェック状況次第では当日、時間は過ぎてしまうかもですが)
大変お待たせしました。
で、内容ですが…普段通りの世界観そのまま、の様な感じで…所長さんいじられっぱなしの甘めなほのぼのになりました。…但し少々妙なメタ化部分が入ってもいますが。
色々迷ったのですが…暑くて大人しかった分の憂さ晴らし、悪巧みとか悪戯、ハロウィーンも近いですしダークな感じでも、と挙げられたら何故かこんな風に転んでおりまして。
如何だったでしょうか?
少なくとも対価分は満足して頂ければ幸いなのですが…。
では、また機会がありましたらその時は…。
※この「Extra Track」内での人間関係や設定、出来事の類は、当方の他依頼系では引き摺らないでやって下さい。どうぞ宜しくお願いします。
それと、タイトル内にある数字は、こちらで「Extra Track」に発注頂いた順番で振っているだけの通し番号のようなものですので特にお気になさらず。29とあるからと言って続きものではありません。それぞれ単品は単品です。
深海残月 拝
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