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【翡翠ノ連離】 第六章
窓の外を見る。
アトロパ=アイギスは疑問だった。
夜毎に夢を見る回数が増えている。
「…………最近、多い」
呟きは、雷鳴にかき消された。
もう夏は終わる。短い秋が通り過ぎればあっという間に冬が訪れるのだ。
「冬か……」
春の訪れなど、自分にくるのだろうか。夢の中の「自分」は幾度も殺されているのに。
あれは予感? 予知夢?
よくわからない。だから疑問だけが増えていく。
おそらく、誰に訊いてもわからないことなのだろう。自分自身にさえわからないのだ。
「使命」
それを果たせればアトロパは満足だった。
だがこの家は居心地がいい。良すぎるくらいだ。
振り向いて、誰もいない居間を見つめる。鳳凰院アマンダは突然の雨に洗濯物を取り込みに行っている。
彼女は自分を心配している。そして彼女の娘と息子もだ。
(アトロパは、なぜここに居るのか)
時々、わからなくなる。
彼女たちに「家族」と言われて、嬉しくなったのも事実だ。だが自分はここの家の者ではない。しょせんは、余所者なのだ。
アマンダの娘の麻里奈や、息子のユリアンのように「本物」の家族にはなれない。そもそも「家族」とはどういうものか、きちんと理解できないのだ。
(アトロパは、母親との面識が少ない)
自分を生んだ親は知っているが、アマンダのような慈愛に満ちた母親ではなかったはずだ。
ふと、不思議になってアトロパは首を傾げた。
「使命以外のことを考えるのは珍しい」
我ながらどうかしている。
「む……そういえば、ユリアンのバンドでもぼーかるとやらをやるのだったな」
先日、リハーサルを終えていたのだがアトロパは相変わらずバンド活動をよくわかっていなかった。
*
「ええっ! アトロパちゃんを大勢の前に引っ張り出す!?」
「そんなのダメに決まってるでしょ、ユリアン!」
母親と姉の猛攻撃に、ユリアンはびくっと反応した。すぐに反論しようと立ち上がる。夕食中だというのに。
「もう! そうじゃなくて、アトロパはうちのバンドのボーカルなんだからライブに出るのは当然じゃないか!」
ユリアンのセリフにアマンダと麻里奈が衝撃を受けたようにかたまった。
すぐさま食事中のアトロパを二人で取り囲んだ。
「アトロパちゃん、歌うの? ねえどんな歌!?」
「練習してない風だったけど、いつの間にそんなことに!?」
「…………」
行動の早い二人に唖然とするユリアンだったが、平然とした顔のアトロパが「うむ」と洩らした。
「なにやらいつの間にかそんな話になっていた」
「ちょっと! 違う違う! ちゃんと承諾したじゃないか!」
「そうであった」
一瞬、ひやりとしてしまった。
練習もまともにしないアトロパは本気でバンドをやっていないのではないだろうかと心配が過ぎったのだ。
(母さんや姉さんの前で下手なこと言ったら、僕がどんな目に遭うか……)
はあ、と溜息をついていると、はっとして思い出した。
「今度の日曜、ライブ本番だからね、アトロパ」
「らいぶ?」
「この間のリハーサルの本番だよ!」
やっぱり忘れている!
「アトロパちゃんが行くなら護衛でついて行くわよ! 一人にさせられないもの!」
「なに言ってんだよ!」
「お母様が行かなくても、私が行くから安心して!」
「姉さんもなに勝手に言ってるの!?」
わいわいと騒がしい中、アトロパは一人だけ一瞬、沈んだ表情になる。
それはおそらく……彼女の夏から見始めた奇妙な夢のせいに違いなかった。
*
薄暗いライブハウス内で、ひそひそ声で二人は言い合っていた。
「なんだか夏からアトロパの様子がおかしいのよね」
「あら。麻里奈も夢のことを聞いたの?」
「様子が変だし……」
だがそんな二人……アマンダと麻里奈は周囲をざわつかせるほどに目立っていた。おかしなくらい、目立っていた。
それも当然だろう。二人の着ている衣服が普通ではなかったのだ。
まるでゲームの中に出てくるようなファンタジーな衣装に身を包んだアマンダと、近未来SFを体現したかのような麻里奈は、否応なく目立つ存在であった。
どちらも、時代や世界を間違って存在しているようにうかがえる……。
「そもそもお母様、その格好はないと思うのよね」
「あら。そう?」
「ゲームの女戦士みたいじゃないの。私みたいにTPOをわきまえないと」
「あの〜、すみません、レイヤーの方ですか。よければ写メを撮らせて……」
声をかけてくる男をどーんと麻里奈が突き飛ばす。
「ほらこんな風に、声をかけてくるバカな連中がいるじゃない」
「そっちのお姉さん、ロボットアニメ、お好きですか?」
「…………」
再び声をかけてきた猛者たる男を、麻里奈は再び突き飛ばした。これでも力加減はしているつもりだ。……つもり、である。
ライブハウス内は狭いが、人の入場はなかなかのものだった。
自分の衣装を見下ろしてユリアンはそっと落胆の溜息を吐く。
(はぁ……やっぱりこの衣装かぁ……)
ミニスカートにヘソ出し。いくら似合っていると言っても、男の自分のヘソを見せ付けられて喜ぶ男たちはいないだろう。
騙していることになっているだけに、不憫な気持ちになった。
(僕だったら……ショックだな……)
想像したらおそろしくなった……。
バンドメンバーはそれぞれ衣装に着替えている。アトロパもだ。
楽屋の隅にあるイスにちょこんと座り込んでいるアトロパは、普段のように丈の長い衣服ではなく、ミニのチャイナドレス姿だった。
細長くすらりと足にちょっと驚くユリアンであった。
(細っ! そういえばアトロパってスレンダーなんだっけ)
じろじろ見てしまうと、彼女が視線に気づいてこちらを向き、じぃっと見つめ返してきた。
なにを言われるのかと身構えてしまう。
「ユリアン」
「……な、なに?」
「足が寒いんだが、どうすればいいのだろう?」
がっくりな言葉だった。
「僕も寒いよ! 男なのにこんな格好で」
「そういえばそうであった。しかし、ばんど、というのは大変だな。こんな足を露出する格好では風邪をひいてしまう。
ユリアンも体調には気をつけたほうがいいぞ」
心優しい言葉ではあったが、ユリアンの衣服に一切ツッコミを入れてくれないことから、彼女はもう全くユリアンの女装を気にしないようであった。それはそれで悲しい。
*
ステージ上に現れたユリアンたちを、アマンダと麻里奈は見つめる。
「あっ! あそこにアトロパちゃんがいるわ!」
「きゃー! 似合うじゃないのあの格好!
あ、そういえばユリアンたちは表向き、ガールズバンドってことになってたわね」
などと言い合う二人の視線の先には……。
マイクを片手にユリアンはざわつくライブハウス内、メンバーを紹介していく。
今まで自分たちのバンドを応援してくれた人が数多くいる中、ユリアンはアトロパが受け入れられるか不安だった。
「では最後に、新たなメンバーになった……ボーカルを紹介するよ!」
張り切って声を高めにするユリアンの紹介に、ひっそりと立っていたアトロパがリハーサル通りに前に出てきた。
ざわり、と人々がざわめく。
アトロパの控え目な美貌もだろうが、メンバーの中でも異色なのが目立ったようだ。
「彼女はアトロパ=アイギス。ボーカルとして入ったんだ。彼女の歌をぜひ聴いていって!」
まばらに拍手が起こる中、アトロパはきょとんとし、それから軽く会釈をしてみせた。
そして、ユリアンたちのライブは始まった――。
奇妙な感覚としか言いようがなかっただろう。
音と歌がぴたりと重なる。歌詞よりも歌う彼女の声に見惚れる。
ステージの上の中央で、静かに、けれども音楽に合わせてテンションの高い歌を披露するアトロパの姿は奇妙に、誰の目にも映った。
曲は決してバラードではない。激しいものもあれば、ポップでキュートな曲もある。それなのに、歌うアトロパはそこから微動だにせず、涼しい顔でどれも歌っている。
会場が盛り上がっていても、どうでもいいように。
無機質なようでいて、響く声。
例えようのない音楽に、いつの間にか会場内は静まり返っていた。
ノっていた客でさえ、呆然としている。
一通り演奏が終わると、誰もが我に返ったようにハッとして拍手をした。それがまるで津波のようになり、競うような拍手の嵐にユリアンたちは驚く。
「す、すごい……」
小さな呟きを洩らすユリアンは、中央で佇むアトロパがまったく動揺していないのを見て「度胸があるなあ」と感心していた。
拍手は今までのライブ中で一番多い。熱気もすごかった。
アトロパは拍手の意味がわからないようで、不思議そうに眺めている。
「……よくわからぬ」
そう呟いた声が拍手に掻き消されてしまうのを、ユリアンは聞いていた。
*
ライブは見事に成功した。打ち上げをしようというバンドリーダーの言葉を断ったのは、姉と母が来ているせいだ。
(絶対にアトロパを一緒に連れ帰らないと怒るだろうし)
ユリアンはアトロパを連れて外へと向かっていた。彼女は狙われている。
姉も母も自分が頼りないと思っているようだが、自分だって男だ。女の子のアトロパを守る気持ちは強い。
元の衣服に戻ってアトロパはまた地味な印象に戻ってしまった。
「あのさ、アトロパ」
ライブハウスの外はもうすぐ、というところでユリアンは足を止めて振り返った。
立ち止まったアトロパが「ん?」と軽く首を傾げる。
「やっぱり歌うの、あんまり好きじゃない……とか?」
「……突然どうした?」
「いや、本当に全然動じないと思って」
「動じる? 驚いたりすることだな。なぜアトロパが驚くのだ?」
「……あんなにお客さん入ってたし、あれだけ拍手されてても平然としてたじゃないか」
ユリアンの言葉にアトロパはわけがわからないように眉をひそめた。
「なんとも思わなかった。普通はびっくりするものか」
「……度胸がある人ならそうだけど……。それに、歌っててもなんとも感じてないふうだったし」
「歌えと言われたから歌っているだけだぞ?」
「そ、そうじゃなくて……うまく言えないけど」
「歌うのは嫌いじゃないが、なんだユリアン、アトロパの歌が嫌いなのか」
合点がいった様子のアトロパに、慌てて首を横に振って否定する。
「ち、違うよ! アトロパの歌って、今まで聴いたことない種類の歌っていうか。こっちがびっくりするから……」
「そうか? 譜面通りに歌えていないのか?」
「いや、譜面通りだし、すごいと思うんだけど」
うまく言えない。なんだろうこの奇妙な感じは。
「やはり嫌いか」
「嫌いじゃないよ! むしろ尊敬するくらい上手いって……いうか」
照れ臭そうに言うユリアンはそこで気づく。違和感の元は、アトロパの才能にあるのだ。
これだけ上手いのに、ぴたりと音に合わせてくるのが不思議だった。もっと上手いバンドでも充分やっていけるはずだ。
特出し過ぎる才能の持ち主だと、今、気づいた。アトロパは無意識にユリアンたちに合わせているだけなのだ。
「……あ、あの……僕らのバンド、気に入ってくれた?」
「嫌いではない」
はっきりと言うアトロパは、黙り込むユリアンを不思議そうに見つめてくる。
「アトロパって……すごい才能があると思うんだ」
「そうか?」
「うん。引き抜かれるかも、しれないくらいすごいと思う」
「よくわからぬ。アトロパはユリアンのばんど以外では歌わないぞ」
その言葉に嘘はないようで、アトロパはユリアンを凝視したままだった。安堵すると同時にユリアンは不安になる。
アトロパの才能は勿体無いといってもいいのに、彼女は目立ってはいけないのだ。
ライブハウスの外では予想通り姉と母が……麻里奈とアマンダが待ち構えていた。
出てきたアトロパを二人が騒ぎながら抱きしめる。
「良かったわよ、アトロパちゃん! すごい綺麗な歌声ね」
「曲もなかなか良かったし、周りの反応も良かったのよアトロパ!」
二人が喜ぶのを見て、アトロパがふ、と表情を緩めた。
「……そうか。二人がそう言うなら良かったのだろう」
そこまで呟き、アトロパは「ん?」と洩らす。
きょろきょろと周囲を見回し、それからアマンダの手をぎゅっと握った。
突然の様子にアマンダと麻里奈が警戒して周囲を探る。ユリアンも三人に駆け寄って辺りを見た。
薄暗い通りから、ぬっ、と背の高い男が現れる。
天然パーマに、目深に被った帽子。一昔前の探偵を思わせるよれよれのスーツ姿の、二十代後半の男だった。
誰? と、全員が思っていると、アトロパに男が視線を向けてくる。
「アトロパ=アイギス」
声をかけてきた男はふところから小さな銃を取り出して、アトロパの頭を狙った。
「もう余計な夢はみないで済む」
その言葉にアトロパが強張り、アマンダたちは彼女を守るように囲んだ。
だが男は退く様子もなく、
「死ね」
呟きと共に弾丸が発射された。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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PC
【8094/鳳凰院・アマンダ(ほうおういん・あまんだ)/女/101/主婦・クルースニク(金狼騎士)】
【8091/鳳凰院・麻里奈(ほうおういん・まりな)/女/18/高校生・クルースニク(白狼騎士)】
【8301/鳳凰院・ユリアン(ほうおういん・ユリアン)/男/16/高校生】
NPC
【アトロパ・アイギス(あとろぱ・あいぎす)/女/16/?】
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■ ライター通信 ■
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ご参加ありがとうございます、鳳凰院麻里奈様。ライターのともやいずみです。
敵の襲撃です。いかがでしたでしょうか?
少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。
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