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JADE 〜interval round4〜
ナタリー・パトリエールは考えていた。
今は鳳凰院ユリアンとアトロパ=アイギスと三人でファミレスに来ている。
もうすぐバンドの本番を迎える。今日はそのリハーサルだったのだ。
外はもう暗く、夜の闇に満ちていた。
ナタリーはちらりとユリアンの横に座る小柄な少女――アトロパを見つめた。彼女はユリアンに話しかけられ、微かな笑みを浮かべて頷き、相槌を繰り返していた。自発的に話すタイプではないと思ってはいたが……。
ユリアン、ナタリーは3人の女の子バンドを組んでいる。現在、バンドリーダーであるベーシストは用があると言って帰ってしまったが……本来なら、アトロパはいない存在なのだ。
急に入ってきたボーカル。しかも、自分たちに見劣りしない美貌……を、持っている。とはいえ、よくよく見ないと目立たない様子なのが不思議ではあったが。
練習にまともに参加しない……いや、一切参加しない正体不明のボーカルを、ナタリーは今日初めて見た。
もちろん、一切信用していなかった。練習をサボるボーカルなんて、ワガママもいいところだ。
だがその認識は改めさせられた。
(……ユリアンが、うちのバンドで一番音楽の才能があると思ってたのに……)
リハーサルにひょっこりと、いや、ユリアンに連れられて現れた存在感が希薄な少女はナタリーに愛想のない挨拶をし、それから譜面を眺め、3人の演奏を一度だけ見るなりすべてをこなしてしまった。
ナタリーは唇をへの字に曲げる。
(しかも……ぼそぼそ喋ってるから気づかなかったけど、歌うとすごくはっきりしてて……なんか、すごく良かったのよね……)
喋り声と歌い声が違う人は世の中大勢いるだろうが、アトロパはそれがやけにはっきりしていた。
綺麗すぎる音。乱されることのないリズム。気持ち悪いほどにナタリーたちの演奏にぴったりと合っている歌声。
本当に才能があるのなら、これくらい当たり前にこなしてしまうのだろうか?
リハーサルを終えた後のバンドリーダーやユリアンは、アトロパに拍手を送っていたが、とうのアトロパは喜びもせずに無言で突っ立っていた。それがまた、ナタリーには奇妙に映ったのだ。
ナタリー一人、演奏を終えても呆然とアトロパを眺めていた。仲間たちの拍手に違和感すら覚えていたのだ。
(これは……ナニ?)
音楽って、こういうものだったのだろうか? こういうカタチもあるのだろうか?
未知の体験をしたような震えがきたのだ。
ちびちびとフリードリングのジュースを飲んでいたナタリーの視線に、アトロパが気づき、こちらを向いた。
暗い、金色の瞳。呑まれそうになる。
「ナタリーはあまり喋らぬな。ユリアンがお喋りなだけなのか?」
「ええっ! それはないよ、アトロパ」
嬉しそうに楽しそうに言うユリアンに、ナタリーがムッとする。
そういえばアトロパはユリアンの家に厄介になっているのだ。どうりで仲がいいはずだ。……いや、仲がいいのだろうか? アトロパは嫌がってはいないが、やはり自分から喋らない。
「そういえばナタリー、この間、僕の家族で海に行ってね」
「へぇ。そう」
「アトロパも行ったんだけど、姉さんや母さんたちがすごい水着でさ……。もうどうにかして欲しいよあれは」
ユリアンの母や姉が目立つ美女だということは、ナタリーも知っている。その話題に余計に腹が立ってきた。
アトロパが「うむ」と頷いた。
「確かに目立っていたな」
「そうそう。わざと胸やスタイルを強調するような水着を選ぶのもどうかしてると思うんだよ」
ムカッ。
苛立ちが最高潮にきて、ナタリーは身を乗り出して向かいの席のユリアンの頬を抓った。
「いたた!」
「どうせ私はリーダーや、あなたのお姉さんほど胸がないわよ!」
「そんなこと一言も言ってないじゃないか!」
抗議するユリアンなど知らない。ツンとそっぽを向くナタリーは、はたとしてアトロパを眺めた。
そういえば彼女の胸も、まったく主張していない。自分と同じサイズの胸なのだろうか、もしや……。
だが自分から話しかけるほど勇気がない。そもそもどうやって話題を振ればいいのか……つかめない相手だからこそ、困る。
(あれ……? そういえばユリアンは男だからあれだけど……全員、胸がない組……?)
ここに居るのって。
*
ファミレスを出て、夜道を三人は歩いていた。
ひと気のない夜道だということにナタリーは不安を抱く。
その時だ。
三人の行く手に誰かが立ち塞がった。
くちゃくちゃとガムを噛んでいる若者が一人。もう一人はタトゥーを顔にいれている。明らかにガラがかなり悪い。
「だ、誰よ……?」
男たちに目配せするナタリーは、ハッとして思い出した。
自分たちのライブの時、ライブハウス内でドラッグを売り捌いていたり、目に余る行為をしていた者たちの二人だ。
ユリアンやナタリーたちが告発し、ライブハウスには出入り禁止になったはず。
(もしかしてお礼参り……)
ユリアンはすぐさまナタリーとアトロパを背後に庇った。
「アトロパ、ナタリー、前に出ないでね」
「ユ、ユリアン……」
「………………」
不安げな声を出すナタリーとは違い、アトロパは無言だ。おかしく思って横目でアトロパを眺めると、彼女はユリアンの背中をぼんやりと見つめ、それから二人組の若者を眺めてから「ふーん」と小さく洩らしていた。
「なぁナタリー、これはドラマでよく見る、『絡まれる』というやつか……?」
「なに言ってるのよ、アトロパ」
「ドラマ通りだな」
ふーむと低く呟くアトロパは、怖がってもいない。おかしな娘だとは思っていたが、ここまでとは……。
男たちは三人を眺め、口笛を吹く。
「リーダーの女はいねぇみたいだな。そりゃ残念」
「まあ、こういうスレンダー系も悪くないだろう」
どういう意味だ? と思っていると、二人がいきなり行動に移る。ユリアンの腕を掴み、近くに用意してある車に引っ張り込もうとし始めたのだ。
「や、やめ……!」
ユリアンの声が、掴まれた腕の痛みで途切れる。
恐怖に目を見開くナタリーも腕を掴まれた。
何が目の前で起きているのかはっきりしない。ユリアンがこちらを庇おうとして殴られたのが見える。
「なっ!」
さすがに意識がはっきりとして、ナタリーが男の手を振り払った。
「冗談じゃないわ!」
あっちへ……行け!
勇気を奮い起こして男たちを蹴りつけた。回し蹴りを放ち、避けようとした彼らに容赦なく肘を叩き込む!
ちくしょう! とか言いながら、車に乗り込んで逃げ出した男たちを見送り、荒い息を吐いていたナタリーは安堵してその場にへたり込んだ。
「大丈夫か?」
平然とした顔で、アトロパがうかがってくる。そういえばあの場面でただ一人、平気な顔をしていたのだ、この少女は。
「だ、だいじょう……ぶ」
ユリアンも大丈夫だろうか?
腰が抜けた状態で見回すと、起き上がってこちらにやって来るユリアンの姿が見えた。
「ナタリー、大丈夫?」
「だ、大丈夫」
今度はしっかりとした声で言い、アトロパの手を借りて立ち上がる。
ユリアンの殴られた頬を見て、視線をすぐに逸らした。
「ユリアンこそ……大丈夫?」
声が小さくなった。震えがまたくる。
「震えているのか」
不思議そうなアトロパの声に怒りがわいた。思わず睨みつけると彼女はきょとんとした顔でこちらを凝視している。
「怖いのか」
「怖いわけないでしょ!」
強がりでそう言い返すが、アトロパはじぃっとこちらを見てくるだけだ。なんだか……変だ。
「アトロパこそ、なんであの時抵抗しなかったの!」
責めるような口調になってしまったのだが、アトロパは気にもしていないようだった。
彼女はユリアンの顔を見遣り、「痛そうだな」とは洩らしている。
「答えなさいよ」
声に棘が含まれる。だいたい、この娘は変なのだ。
すると……アトロパがこちらを向いた。ユリアンも痛そうにはしているが、きょとんとしている。
「アトロパは弱いから、抵抗しても無駄だと思ったのだ」
「なっ……!?」
驚愕したのはナタリーだけではなく、ユリアンもだった。
驚いている二人を交互に見て、アトロパは「ん?」と首を軽く傾げる。
「なぜそのような顔をするのだ? 真実を述べたに過ぎぬが」
「よ、弱いから抵抗しないなんて……!」
「本当のことだ」
「あのままさらわれたらどうするつもりだったんだよ!」
さすがにユリアンも心配になったらしい。ナタリー側についてアトロパを睨むようにしている。
けれども彼女は……まったく動じた様子がない。
「どうもしない。使命が果たせれば、どうでも良い」
「また使命って!」
むっと顔をしかめるユリアンだったが、事情を知らないナタリーは頭上に疑問符を浮かべている。
使命? 使命って?
「使命ってなによ?」
「アトロパは、世界を救う使命がある」
「使命があっても、さらわれて殺されたらおしまいじゃないの!」
「……それはできぬだろうな」
冷たくアトロパが言う。
「世界を救う使命は、誰にも邪魔させぬ」
「………………」
唖然とするナタリーは、視線でユリアンに助けを求める。アトロパの言っていることがわからないのだ。
だがユリアンは溜息をつき、アトロパに苦笑してみせた。
「まったくアトロパって……」
「? なんで笑ってるのよ、ユリアン」
「ん? アトロパって変わってるでしょ?」
「う、ん……」
「終始こんな調子なんだ。使命とかなんとか。もうこれは変えられない性格みたいなものだからさ」
「でももう少しでさらわれるところだったのよ! ユリアンも殴られたし」
「多少のケガは僕はいいよ。二人にケガがなくてよかった」
にっこり笑われて、ナタリーは少し頬を赤く染める。
「……なぜナタリーは頬を染めているのだ?」
「ちょっ! な、なに言ってるのよアトロパは!」
「? なぜ焦るのだ?」
「う、うるさいっ!」
仲良くなれるのだろうか、こんなことで。
疑問にばかりなってくるナタリーであった。
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