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<東京怪談ノベル(シングル)>


清き十字架は剣と成らず 1
 
 長い回廊に、規則正しい足音が重なる。
 白鳥・瑞科はタイトなスーツに身を包み、足捌きも滑らかに歩いていた。ハイヒールが石造りの床を叩いて高く鳴り、縦長の窓から差し込む影が淡いシルエットを作り出す。いくつもの扉の前を通り過ぎた後、一際大きな扉の前で瑞科は足を止めた。軽くノックし、応答の後に両開きの分厚い扉を開いた。
「お呼びでしょうか」
 瑞科がかかとを揃えて向き直ると、部屋の奥で机に向かっていた人物が顔を上げた。
「よく来てくれた」
 瑞科は一礼してから扉を閉め、施錠した。司教の衣装を身に付けた壮年の男は、手元の書類に羽ペンで手早く署名を行ってから、瑞科を手招いた。瑞科は真っ直ぐに歩き、中世時代から長らえている古びた机の前に立った。背筋を伸ばしたことでスーツを着ていても隠しきれない胸の豊かさが目立ち、茶色の長い髪と青い瞳が凛々しく煌めいた。
「君に仕事だ。この男を暗殺してくれまいか」
 司教は引き出しから一枚の書類を取り出し、写真と共に瑞科に差し出した。瑞科はそれを丁重に受け取り、目を通した。
「鬼鮫という名の男でね。我らに敵対しているのだよ」
 司教は聖職者の衣装に似付かわしくない険しさを湛え、瑞科を見据えた。
「我ら教会は、世界をより清く正しい道へと導かねばならない。この男を、やってくれるね」
「お引き受けしましたわ」
 瑞科が深々と頭を下げると、司令官でもある司教は柔和に顔を綻ばせた。
「君のことだから心配はしていないが、くれぐれも気を付けてくれたまえ」
「御心配には及びませんわ。難しい仕事ではありませんもの」
 瑞科は朗らかな笑みを返してから、司教の部屋を後にした。父なる神のご加護を、との言葉を背に受け、瑞科は十字を切った。再び回廊に戻った瑞科は、受け取った書類を折り畳んでスーツの内ポケットに入れると、足早に自室に向かった。
 南ヨーロッパの片隅に立つ中世時代の修道院を改築して作られた教会の本拠地は、数百年前の雰囲気が重厚に染み付いている。アーチ型のデザインが美しい石造りの建物は城のように巨大で、昼間でも薄暗い。かつては修道女達が敬虔に祈りを捧げていたであろう礼拝堂では、時代の移り変わりを見つめてきた十字を背負った神の石像と色褪せぬステンドグラスが静謐な世界を成している。だが、日々父鳴る神に祈り、隣人を愛するのは、あくまでも教会の表の顔だ。教会はこの修道院と同じく古くから存在する秘密組織であり、影ながら人類に仇なす魑魅魍魎や悪しき組織を排除してきた。そして、それは今も尚、脈々と続き、世界中で戦いを繰り広げている。
 白鳥・瑞科は武装審問官の一人である。これまでにも、教会が危険だと判断した異形や組織を潰す任務を下されたが、いずれも完璧にこなしてきた。得意とする剣術と魔法を操り、指一本も触れさせずに倒してきた。だから、今度の任務も完璧にこなせるだろう。書類を見た限りでは、鬼鮫は教会の諜報部でも素性が探りきれなかったようだが、倒してしまえば何の問題もない。
 自室に戻った瑞科は壁に作り付けられている姿見の前に立ち、月桂樹の葉のレリーフが施されている枠を細い指先でなぞった。葉の一枚を押すと、姿見と壁の内側で歯車が噛み合い、姿見が横に滑った。修道院を建てた当時に作られた隠し通路であり、この奥には隠し部屋が備わっている。ロウソクに火を付けて燭台を手にし、中に入り、細く狭い通路を奥へと進んでいくと、分厚い合金製の扉が待ち構えていた。石造りの修道院に似付かわしくない電子ロックを解除すると、扉は内側に開き、人工的な光が瑞科の足元を細長く照らし出した。さながら金庫のような部屋の中には、瑞科専用の武器がずらりと並んでいた。壁からは戦闘服が下がり、何本ものナイフが煌めき、数十丁の拳銃が壁に貼り付いている。瑞科はスーツのジャケットを脱いでハンガーに掛けると、タイトスカートのファスナーを下ろし、足元にスカートを落とした。ヒールの高いパンプスを脱いで揃えて置いてから、椅子に腰掛けてストッキングをくるくると丸めていき、最後にブラウスを脱いで下着姿になった。滑らかな素肌を曝け出した瑞科は、シスター服を身に纏った。肌触りの良い生地は一見すれば上等なドレスのようでもあるが、最新技術の結晶とも言うべき素材だ。太股近くまでスリットが入っていて、裾は長めだが足捌きは良く、戦闘用に相応しい衣装だ。背中のファスナーを上げてから、次にコルセットを填めた。防弾、防刃仕様の特別製だ。弓形にくびれた腰とすんなりと平たい腹部を覆った硬い装甲をぐいっと引き上げると、豊かな乳房が下から押し上げられた。ホックを付けて紐を絞り、腰を守るコルセットを固定してから、純白のケープとヴェールを被り、丸めたニーソックスをつま先に掛けてから太股まで引き上げた。戦闘中でもずれないようにするために固定する力が強く、柔らかな両の太股にバインドが食い込んだ。続いて、膝丈の編み上げブーツに両足を入れ、紐をきつめに締めて蹴りを放っても緩まないように仕立てた。最後にアンダーのロンググローブを填め、その袖口に付いている聖職者らしい薄いレースを整えてから、手首まである革製のグローブを引っ張って指先まできつく填めた。金属製の装飾が小さく鳴り、狭い室内に反響する。
「鬼鮫さんとやらが、懺悔を終えていればよろしいのですけれど」
 瑞科は顔を上げ、十字架のように壁に掛けられている剣に歩み寄った。これまでにも、幾多の戦いを共にしてきた剣は、鞘の中で瑞科の手に触れられる時を待ち侘びているかのようだった。控えめながら品の良い装飾が施された鞘を壁から外し、携えてから、瑞科は壁の奥の部屋を後にした。自室に戻って姿見の隠し扉を閉じると、自分自身の姿が映し出された。シスター服とケープでも隠し切れない体の豊かさは、腰を絞るコルセットによって強調されていた。スリットから垣間見える太股は瑞々しく、それ以外の肌をほとんど覆っているが故に目を惹いた。ヴェールの位置を整えて前髪も軽く直してから、瑞科は自分に向けて笑みを向けた。心身に漲る自信は、経験に裏打ちされた実力があるからこそ弛まない。
「あんな男、わたくしの敵ではありませんわ。いつも通り、すぐに片付けてみせますわよ」
 ヴェールの下に隠れている髪を払ってから、瑞科は歩き出した。細身ながら切れ味は抜群の剣を携え、ブーツのヒールで力強く石畳の床を叩いて鳴らす。事前に特定されている鬼鮫の所在地を今一度確認してから、修道院から外界へと出た。
 戦いは、既に始まっている。


 続く