コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


清き十字架は剣と成らず 2

 敵が潜む廃墟は、静かに来客を待ち侘びていた。
 仲間が運転する車から降りた白鳥・瑞科は、周囲の様子を探りながら目的地を見定めた。崖に面した丘に建つ、古城の廃墟だった。年月と共に風化した石造りの壁や城壁は崩れ去り、遠き昔にこの城を建てた貴族の栄華は見る影もなかった。荒れ放題の敷地には錆びた鉄扉や鎖が落ち、雑草が海風に揺れていたが、人の気配はない。目に付くところに民家もなく、完全に打ち捨てられている。だが、油断は出来ない。瑞科はコルセットの上から巻いたベルトに剣を差し、気を張り詰めさせて歩き出した。
 崩れかけた城門を通った瑞科は、真っ直ぐに城の中に入った。両開きの扉は片方が外れていて、足跡もその中に続いていた。瑞科は迷わずにその足跡を追い、光のない広間を進んだ。奥の部屋を探すべきか、と、瑞科が目を配らせていると、床に堆積した乾いた砂が何者かに踏み躙られる音がした。反射的に振り向くと、吹き抜けになっている二階に繋がる階段に、写真の通りの男がいた。
「なんだ、お前は」
 薄暗い城の中でもサングラスを外さない男は、黒いロングコートを揺らしながら階段を下りてきた。明暗が濃い場所では一層凶相が強調され、身のこなしだけでも充分に常人ではないことが伝わってきた。鬼鮫だった。
「わたくし、教会の者ですの」
 瑞科は剣の柄から手を外さずに、鬼鮫と対峙した。一階の広間に下りてきた鬼鮫は、鬱陶しげに口元を曲げた。
「ああ、あの鬱陶しい連中の仲間か。それが俺に何の用だ」
「今、ここでわたくしに降伏するのでしたら、攻撃いたしませんわ。主に仕える身ですから、争い事は好みませんの」
「その割には、かなり武装してるじゃないか」
「主に代わって正義を行使するのが、わたくしに課せられた使命ですもの。当然の身だしなみですわ。まだ間に合いますわ、降伏なさいまし。さすれば、神はあなたの罪を少しは御許しになるかもしれませんわよ?」
「神も仏もクソ喰らえだ」
 鬼鮫は苛立たしげに語気を強め、瑞科の言葉を遮った。
「あら、残念ですわね。せっかく譲歩してさしあげましたのに」
 きち、と瑞科は剣の柄を外し、腰を落として身構えた。鬼鮫は相手をするのも嫌そうだったが、身を躍らせた。
「いらねぇよ、そんなもん!」
 鬼鮫の放った拳が、瑞科の構えた剣に直撃した。衝撃をもろに受けた剣はしなるが、柔軟な合金製なので折れることはなかったが、瑞科の体重の軽い体は押され、ブーツのヒールが石造りの床を硬く擦った。瑞科は素早く後退して剣を振るうと、鬼鮫もまた後退したが、一瞬も怯まずに駆け寄ってきた。瑞科の長いヴェールを掴もうと伸ばされた腕に、コルセットの裏側から抜いたナイフを投げ付けると、鬼鮫は顔を引きつらせて腕を下げる。同時に抜いた二本目と三本目のナイフも的確に投げ、鬼鮫の胸と腹に命中させる。ロングコートにじわりと滲み出た血液が滴り、古い空気に真新しい血臭が広がった。
「やりやがったな」
「あなたが悪うございますのよ?」
 瑞科は足元を蹴り、一瞬で鬼鮫との間合いを狭めた。鬼鮫が投げナイフを抜きかけた腕に一太刀喰らわせると、コートとジャケットの袖ごと腕が断ち切れた。踏み込みが甘かったので骨までは断ち切れなかったが、筋は鮮やかに切断され、動脈から血が溢れた。手首を翻して懐に刀身を滑り込ませ、真横に振り抜く。後退りかけた状態で追撃をまともに浴びた鬼鮫は、腹部の傷を押さえてよろめく。
「ぐえぁっ」
「これで終わりだとは思わないで下さいまし」
 ひゅっ、と軽やかな風切り音を帯び、鬼鮫の血が絡み付いた細身の剣が振り上げられた。瑞科は浅く息を吸い、精神を集中させてから、内に宿る力を高めた。足元から舞い上がった緩やかな風が剣に至ると、ばちり、と青白い光が生まれた。
「主よ、裁きの雷を与えたまえ!」
 瑞科の掛け声と共に振り下ろされた剣から、鋭い電撃が飛んだ。迷わずに鬼鮫に食らい付いた雷の竜は、痺れを伴う衝撃と熱を与え、鬼鮫は呆気なく跳ね飛ばされた。壁に背中から激突した鬼鮫がずり下がり、倒れると、瑞科は更なる追撃を加えた。電撃と同じ要領で生み出したのは指向性の重力弾であり、鬼鮫を中心にして円形の抉れが出来上がった。無数のヒビが壁と床に走り、細かく割れた石がいくつも降ってきた。壁に埋まる鬼鮫は肌が所々焼け焦げていて、傷口からは煮えた血液が薄く湯気を昇らせている。石造りの壁に埋もれた背中は奇妙に折れていて、手も足も有り得ない方向に曲がっている。これで死なない人間など、いるわけがない。
「やりましたわ」
 今日もまた、完璧に任務をこなした。瑞科は充足感を味わいながら、剣を下げ、鬼鮫に近付いた。今更確認する必要はないだろうが、少しでも息が残っていたら面倒だ。きちんと止めを刺さなければ。重力弾による破壊は思いの外ひどく、時間が経てばこの壁ごと崩れてしまうだろうが、元から廃墟だったのだから特に問題はない。外れた扉から差し込む光を撥ねる切っ先を上げ、鬼鮫の首筋に添えた。それを引いて動脈を切ろう、と手首を返そうとした瞬間、壁に埋もれていた鬼鮫の足が抜けて瑞科の腹部にめり込んだ。
「うぐっ!?」
 不意打ちを食らった瑞科が転倒すると、鬼鮫は血の混じった唾を吐き捨ててから、壁に埋もれた体を引き抜いた。
「ああ、終わりじゃないな。まだ始まってもいないんだからよ」
「いた、ぁ……」
 強化素材のコルセットを付けているのに、なぜ。痛みのあまりに背を丸めた瑞科が目を上げると、鬼鮫は折れた腕を曲げ、元に戻した。瑞科の目の前で、ロングコートの下で臓物を覗かせていた腹部の傷が塞がり、折れた背骨も治り、手足も当初の姿を取り戻していった。
「だから、こいつが始まりの合図だ!」
 うずくまって動けずにいる瑞科を、鬼鮫は力一杯蹴り付けた。丸めた背中を真横から薙ぎ払われた瑞科は、受け身も取れずに転がった。何度か回転した後に俯せに倒れたが、痛すぎて痺れるほどだった。防具であるコルセットは用を成さず、その下に装備していたナイフも折れ、それらが脇腹の傷を一層痛めてきた。瑞科は意地で声を殺そうとしたが到底出来るものでもなく、絶叫して悶え苦しんだ。
「あぁあああああああっ!」
「その様子だと、俺については何も知らないようだな。ジーンキャリアを相手にしたこともないと見える」
「う、うぅ……」
 このままでは、いいようにされる。瑞科はコルセットの下でぐにゃぐにゃする脇腹を押さえながら、震える足を立たせた。
「まだやるか。だったら、少しは付き合ってやるよ」
 鬼鮫は手の甲で唇の端を拭ってから、うっすらと口元を上向けた。瑞科は剣を引き摺って上げようとしたが、上げる前に手首を押さえられ、乱暴に捻られた。上下が反転して床に叩き付けられると、脇腹と言わず全身に打撃が及んだ。それでも瑞科が立ち上がろうとすると、鬼鮫はごきりと指の関節を鳴らした。
「ここに逃げ込んでからというもの、暇で暇でどうしようもなかったんだよ。気晴らしに暴れさせてもらおうじゃないか」


 続く