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<東京怪談ノベル(シングル)>


はじまりの夜

「…何てこったい…」
 突如現れた『それ』を前に、骨董屋の老婆は深い深いため息を吐いた。
「まさかこれがホムンクルスの素だったとはね。はた迷惑な粉だよまったく!こんなもん、うちみたいな店にあったらろくなことになりゃしない」
 と悪態をつきつつ、諸悪の根源である壺を何重にも封印し、じろり、と『それ』を見た。
「うう…そんなに怒らないで欲しいのです」
うるる、と青い瞳に涙をにじませた『それ』は、金の髪に白磁の肌。ほっそりとした手足をした白人の少女だった。それも今しがた人間化したばかりの、文字通り生まれたままの姿である。骨董屋の記憶が正しければ、壺の中の灰が落ちた場所にあったのは、古い船の部品だ。確か、英国戦艦の舵だったか何だったか。それが何ゆえこのような少女の姿になったのかは彼女の知るところではないが、要するに付喪神、というやつだ。それがこのホムンクルスの粉で生命と肉体を得てしまったというところか。
「わらわはどうしたら…」
青い瞳で見つめる少女に、骨董屋は店の奥から出してきた古着を突き出した。
「これでも着て、どこへなりとも行くんだね。あたしゃもう、娘育てる歳でもないからさ」
 ええええええっ、と少女が情けない悲鳴を上げたが、そんなものに揺らぐ彼女ではなかった。
「自分で何とかしな。あんた、一応神様だろう?」
 うう、と言い返す言葉もなく、少女は手渡された服に袖を通すと、陽も暮れかけた街に一人さ迷い出たのだった。

 じわり、とこぼれそうになる涙を、少女はぐい、とぬぐった。涙などこぼしてはならない。
「そう。私は誇りある英国軍艦…泣いている訳にはいかないのです」
 とはいえ、既に船はとうに失われ、今はいたいけな少女の姿。
「何故少女の姿なのでしょう。私はもう…」
 船を失っていなければ、確か齢は…としばし考えて、少女はいえ、と首を振った。
「その辺りは考えなくても良いでしょう。それにしても、どこへ行けば良いのやら」
 考え込んだ少女を、ふわり、と懐かしい風が包んだ。
「これは…潮風なのです。港があるのです。私は船ですから港は家なのです。でも船が歩いて行くのも変なのです」
 ふらふらと潮の香りに誘われるまま、少女は街を抜けたのだが。辿り着いて改めて己の姿をかえりみる。
「船ならば、ここに居ればよいのです。でも私は今、船ではないのです…」
 がっくりと肩を落とした少女の背後に、大きな人影がすっと近づいた。
 
「うーん。どうしたもんだろ」
 瀬名雫は、警察署の前でため息を吐いていた。ここ数ヶ月のうちに頻発している連続少女失踪事件。その裏に、警察も介入できぬ怪異があることに気づいたのは半月ほど前の事だ。まあ、掲示板からの情報を総合した結果なのだが。まだ、雫が考えている結論を導き出すには一つ情報が欠けていた。港で行方不明になったという少女の情報だ。半年ほど前で、雫の予想通りなら彼女が一番最初のケースになる。だが、今どきの女子高生にしてはアナログ派だったのか、いくら探してもネット上からは彼女の情報は手に入らなかった。名前は…。
「白夜ですっ!娘は!」
 考え事をしていた雫を押しのけるように駆けこんできた夫婦の第一声に、雫はばっと顔を上げた。まさか!

「あのう…」
 紺色の服に身を固めた人々の中で、少女は華奢な体をさらに小さく小さく縮こまらせていた。港で声をかけてきたのは、「けいさつかん」という人たちだった。夕暮れ時に、子供が一人でこんな場所に居るものではないと言われたのだが、少女には帰る場所がない。素直にそう告げると、彼らは急に真剣な顔になって、
「名前は?」
 と聞いた。正直、困った。船であった頃には確かに立派な、誇るべき名があった。だが、今の姿ではそれは通用しない。困った末に、服にあった刺繍に気づいた。黄色い糸で刺繍されたネームは「白夜雪」。それが良かったのか悪かったのか。息を飲んで顔を見合わせたかと思うと、「けいさつかん」たちは少女をここ、「けいさつしょ」という場所に連れてきた。「白夜雪」は半年前に行方不明になっており、事件に巻き込まれたのではないかと思われていたのだ。それがこうして無事にひょっこり現れたとあっては、大騒ぎになるのも無理はなかった。人々は少女にあれこれと聞いたが、少女に「白夜雪」の失踪当時の状況など答えられるはずもない。何を聞かれても何を言われても、ただただ、
「わからないのです」
 としか答えない少女を、皆は記憶喪失であると結論づけたようだった。そして、一連の質問も終えた頃、部屋にひと組の男女が飛び込んできた。
「雪…!!」
 女性がまず、少女をぎゅっと抱きしめた。きょとん、とした少女に、女性の「けいさつかん」がお母さんよ、と教えてくれた。少女が記憶喪失と思いこんでの親切である。彼らは「白夜雪」の両親だった。娘が記憶を失っている旨は、あらかじめ聞いていたらしく、二人は落ち着いた様子で、大丈夫だと言った。
「私たちには、娘がこうして無事に戻ってきたことだけでも、十分過ぎるほどの幸せなんです」
 と言う夫の瞳は赤く、妻はわっと泣き崩れた。その肩に手を置き、震える腕で少女抱きしめる父。白夜親娘、感動の再会シーンである。周囲の皆もつられて涙したそのシーンを、ただ一人冷静に見ている者があった。部屋の入口近くに立っていた、少女より少し小柄な女の子だ。
「雪、お友達の瀬名雫さんよ。覚えていない?」
 覚えている以前に、知らない。だが瀬名雫は、いいんだ、と微笑んで、少女をぎゅっと抱きしめると、耳元でささやいた。
「白夜雪ちゃんじゃ、ないよね」
「えっ…」
 雫は、声をあげそうになった少女に素早くウィンクすると、母親に向かって言った。
「凄く久しぶりだから、一緒に帰ってもいい?まさか本当に雪ちゃんに会えるって思ってなかったから、すっごく嬉しくて!」
 涙をにじませながら言う娘の友達を、むげに追い返す親はいないだろう。そうして、少女は瀬名雫と並んで、見たこともない我が家に帰ることとなった。

「今日はお祝いよっ!子どもは雪しかいないから、どうぞ雫さんも食べて行ってちょうだい?」
 白夜雪の家は、港からそう遠くない住宅街にあった。周囲と殆ど見分けのつかない、小さな家だ。だが、猫の額ほどの小さな庭は、よく手入れされているようだった。
「さあさ、汚れた服は脱いで、まずはお風呂に入ってらっしゃい」
「え…あの…」
 何と言っても元は船。風呂というものに入ったことなどない。躊躇う少女の手を引いて母親が風呂場の脱衣所に入り、少女の服に手をかけたその瞬間…。
「何て事…!」
 母親が悲鳴を上げた。すぐに父も駆けつけ同じように声を上げる。
「お前、雪じゃないな!」
「雪じゃないわ!」
「あのっ…」
「雪は…雪は…もっと背が高かった!私は随分背延びをしないと、雪の肩には手が届かなかったのよ!」
 どうやら白夜雪は、かなりの高身長だったらしい。父親も叫んだ。
「そうだ!雪はそういえば金髪ではなかった!」
 ついでにヤンキーでもなかったらしい。
「あなた誰なの?雪の名を騙るなんて!」
 母親が責め立てれば、父親も、
「そうだ、私たちの娘をどこへやった!」
 と、どこから持ちだしたか猟銃まで向ける始末。突然の変化に少女は戸惑った。どうすればいい。どうすれば…。二人の怒りに対する純粋な恐怖と、騙してしまった事に対する申し訳なさがあいまって、少女はとうとう声を上げて泣き出した。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ…私はっ…」
「雪!!!!」
「え」
 真実を語ろうとした瞬間に抱きしめられて、少女の涙は一瞬、ぴたりと止まった。
「その泣き声、そうよ、そうだわ!あなたが生まれたその時の、あの産声と同じ!」
 母が叫ぶ。
「だが、その姿は…」
 父が首を傾げたその時、脱衣所の戸が開いた。騒ぎを聞きつけた瀬名雫は、振り向いた白夜親娘(仮)に、きっぱりと言った。
「エルフ病だから!」
 エルフ病とは、夢に現れたエルフに詐欺まがいの契約をさせられた上、肉体交換の儀を行ってしまったが為に、一夜にして姿形が変わってしまうという奇病なのだと雫は語った。白夜夫妻もそれについては知っているらしく、そうか、と頷いている。何もわからないのは少女のみだ。
「あの…?」
「かわいそうに、雪」
 と、父。持ち出した猟銃をさっさと片付けると、ぎゅ、と娘を抱きしめた。
「明日は役所と、買い物に行かなきゃね。エルフ病って、届け出とか戸籍とか、いろいろあるから」
 と、母。父の反対側からやはり娘を抱きしめた。
「ええと…」
 困惑した少女に、雫が母の肩越しにウィンクして見せる。
「じゃあ、あたし、帰るねっ!これ、アドレス。落ち着いたら連絡して!」
「ええっ…?」
 お願い、帰らないで、と言いたかったが、ぎゅっと抱きしめる両親(仮)の腕は振りほどけず、またそのぬくもりが何となく手放しがたくて、少女はそのまま二人の腕に身をゆだねた。夕飯は、白夜雪が大好きだったという鳥鍋。鍋など初めて見る少女の世話を何くれとなく焼いてくれる両親に、くすぐったいような、恥ずかしいような不思議な気持ちが少女の胸に湧き上がる。こんな事は初めてだ。
「どんな服がいいかしら。ウィッグも要るわね、この髪色は目立つもの」
 少女の髪を撫でながら母親が言った。
「好きな色を選んでいいのよ?こんなに白い肌なら、ピンク…緑だって似合っちゃうわ?」
「でも母さん、雪の学校は校則が」
 と、父親。
「仕方ないわ?だってエルフ病なんですもの」
 それ以前にピンク色の髪は目立たないのだろうかと少女は思ったが口には出さない。
「服は…ああ、どういうのがいいかしら。前の服は大きすぎるものね。うーん、ひらひらしたのも良いわねえ」
 うっとりとした口調で母親が言ったその時、彼女の背後にあった雑誌が目に入った。
「あのっ…それなら、私、ああいうのが欲しいです」
 おずおずと指差した表紙で微笑む女性が着ていたのは、眩いマリンブルーのビキニだった。
「たっ高いぞこれ」
 おののく父親に、
「雪が言うんですものっ、ね?お父さん」
 と、母親。
「明日は忙しいわよ?」
 母親が微笑む。何だかとても嬉しくて、少女もふわりと微笑んだ。ここに居たい。この人たちと、居られるのなら。だから…。
「ありがとうございます、その…お…『お母さん』」
 呼んでみると、少し照れくさい気分だった。一瞬の、息を呑むような沈黙ののち、
「雪っ!」
 と、母が飛びつくようにして少女を抱きしめれば、
「父さんは!父さんも呼んでくれ!」
 と、父がせがむ。二人の間に挟まれ、それぞれ交互に抱きしめられながら、少女…白夜雪はこの上なく心地よい気持ちで目を閉じた。
「これからは…ここが、私の帰るべき港、なのです」
 この夜、彼女は新しい港と名を得た。白夜雪、見た目は17歳の可憐な少女。だがその正体と、周りでこれから起こる波乱を、まだ誰も知らない。

終わり