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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


◆もう一人の百華
 草間興信所は規模の小さな探偵事務所だ。長引く不況のあおりを受け明日なくなっても不思議ではない様に見える。だが、事務所は一向に閉鎖とはなっていない。なぜならば、ここでしか解決出来ない『問題』を抱えた依頼人が途切れる事はなかったからだ。
 狩野百華(かのう・びゃっか)。和装の似合う若く美しい娘だった。彼女は危険な相手につきまとわれている。それは自分自身であった。百華を見つめるもう一人の百華は少しずつ距離を縮めてきている。
「どうか私を助けてください。私から守ってください、お願いします」
「うちで引き受けるしか‥‥ないかもしれないですね」
 草間は渋々といった様子で娘の依頼を引き受けた。

◆癖のある上役
「どうしたもんでしょう」
 歩く姿を見ただけではそうとはわからないだろうけれど、ごく普通に街を行く新藤・たくや(しんどう・たくや)はかなり困っていた。それはほんの少し前、突然降って湧いた様な災難であった。
「おい、新藤ちゃん!」
 朝一番――もう正午を過ぎて1時になろうとしていたが――で、編集長に呼ばれた新藤は表情を崩さずに返事しながらも内心はげんなりとしていた。こんな風に編集長が新藤に声を掛ける時は決まって無理難題を言い出すのだ。ある時はイケメン俳優の新宿2丁目通いをスクープしろと言い、ある時はトップアイドルのお忍びお泊まりデートを激写してこいと言う。
「実際にやれちゃったのが良くなかったのでしょうか」
 思わず低い声が新藤から漏れる。今まではいい。イケメン俳優もトップアイドルもちゃんとこの世に生きる人間だった。だが、今日の編集長はにこやかに言ったのだ。
「新藤ちゃん。3ページの特集組むからさ。ここ取材してきてよ。原稿と写真は出来たのからメールしてくれれば出社しなくてもいいからさ」
 つまり原稿が出来るまで帰ってくるなと言う事だ。新藤は道の端に寄りもう1度走り書きのメモを見た。そこには読みにくい癖のある大きな文字で『草間興信所』と書かれていた。

◆地獄で仏
 狩野百華はお願いを繰り返しながら帰っていった。
「とは言ったものの、どうすりゃいいのかねぇ‥‥」
 テーブルの上に置かれた着手金をぼんやり眺めながら、だらしなくソファに寝ころんだ草間は新しいタバコに火をつける。ため息の様な息と一緒に吐き出した煙は草間の思考の様に形にならずに拡散し目に見えなくなってしまう。

「随分困ってるみたいだな。そしてどうやら私以外に頼る者とていないらしい。幸い、私は今少しばかりならば余暇を楽しむ暇(いとま)がある。平身低頭して頼むのであれば聴いてやらないこともない」
 開け放したままの不用心な扉を背に立っていたのはごく細い身体をした若い娘であった。豊かで美しいぬばたま色の黒髪をゆったりと後頭部で結っている。服装も首元を飾る装飾品も華美ではないものの、飽きのこない上質の物だ。
「‥‥あんたか」
 勿論、草間はその女性を知っていた。名をラン・ファー(らん・ふぁー)といい、有能である。
「ご挨拶だな。渡りに舟、地獄で仏‥‥という心境ではないのか?」
 口紅で染めてない桜色の唇が開き、わずかに赤い舌の先が見える。
「なるほどな‥‥言われてみればその通りだ」
 草間はソファ座り直し、扉に背を預けて立つランをまじまじとみた。呆けていた顔に若干の生気が戻ってきている。
「すまないが引き受けてくれるか?」
「勿論だ」
 ランは滑らかな動作でほこりっぽく汚れた室内に入り、草間とは向いのソファに腰を降ろした。
「詳しい話をするといい。自分で言うのもなんだが私は頼りになる」
 淡くランは笑った。

◆情報不足
「なるほど‥‥」
 全ての話を聞き終わったランは胸の前で腕を組んだ。華奢なブレスレットが軽い音がたてる。
「自分の顔と同じ輩がいるとなれば、何者か突き止めたいと思うのが人の性。草間の所にくるとなると魑魅魍魎の類を疑っているようだが、世界には同じ顔が3人いるという話も有名だ」
 ランはこれを怪奇現象とするには情報が不足しているというのだ。生き別れになった双子の姉妹とか、何らかの思惑があって百華の顔に似せて整形した変人。
「依頼人の方がまがい物という可能性もあるだろう。相手は徐々に近づいて来ているのであろう?」
「あぁ、その通りだ」
 うなずく草間にランも小さくうなずいた。
「ならば接触は容易い。用件があるというのなら聞いてやろうではないか」
 ランは早速百華の家に乗り込むと良い、軽い身ごなしで立ち上がった。
 その時、ごく控え目にではあったがしっかりとしたノックが建て付けの悪い扉を振るわせながら響いた。ランは草間を見つめ、草間は首をひねりながら扉を見る。その様子だと来客の予定はないらしい。
「どうぞ、お入り下さい」
 草間の声とほぼ同時に扉が開いた。開けたのは草間よりも少し年かさに見える男だった。ありふれたダークスーツを着ているのだが、普通のサラリーマンとはどこか雰囲気が違っている。
「突然ですみません! こちらを取材させてください!」
 男は深々と頭を下げる。その男は今朝、編集長に無理難題を言われたばかりの新藤であった。
「はぁ?」
 唇の端にタバコをくわえたまま草間は何度かまばたきし、ランは無表情だが、どこかおもしろがっているような様子で闖入者を見つめた。

◆もう一人の百華
 狩野百華は明るく広い居間に入ってきた。銀のトレイには3人分の茶器が並んでいる。
「伺ったその日に調査に来ていただけるなんて、本当に助かります」
 ゆったりとした白のワンピース姿の百華は優雅な所作でキルティングの覆いをかけたポットの横に砂時計を置く。サラサラと細かい砂が上から下へと滑り落ちていく。
「私が来たからには安心するといい。それよりも聞きたい事がある」
 草間興信所の者だと告げ簡単に名乗ったランはさっそく本題に入ろうとする。隣のソファには神妙そうな顔つきでメモを取る新藤が座っていた。そうして並んで座っていると相棒(バディ)としか見えないから不思議だ。
「生き別れになった親族や、整形をしてまで顔を似せようとする輩に心当たりはないか?」
「なるほど! そういう考えもありますね」
 新藤は目をみはり、メモの上にペンを走らせる。けれど百華は顔を横に振った。
「最初は私も別人がなりすましているのではないかと思いました。けれど、体型も仕草も‥‥着ていた服まで同じなのです」
 気味悪そうに百華が言う。かすかに語尾が震えているのは、そのおぞましい光景を思い出したからなのだろう。
「まるで邪悪な鏡に映った虚像の様だな」
「‥‥はい」
 顔を伏せた百華は砂時計に気が付き、ポットの覆いを外して茶をカップに注ぐ。華やかな茶葉の香りが部屋に広がったが、悲鳴と陶器が壊れる音がそのゆったりとした穏やかな時間を台無しにした。
「きゃーー!」
 ポットを取り落とした百華は悲鳴をあげながら部屋の窓を示す。
「おおぉ」
「‥‥これは!」
 ランと新藤が振り返る。そこには‥‥大きな窓ガラスの向こうにも狩野百華がいた。全く同じ白のワンピース姿だ。
「‥‥百華自身ではないか、つまらぬ」
 ランは湯気の立ち上るカップに手を伸ばし、のんびりと茶を飲む。
「な、何を言っているんですか? 百華さんはここにいるじゃないですか! 窓の向こういるのが‥‥」
「それも百華だ」
 早口で言う新藤に動じる事なくランは答える。百華自身はといえば、ポットを取り落とした姿勢のままみじろぐこともない。そんな百華の姿に気が付いたランはほんの少しや優しい視線を向ける。
「気づいていなかったのか。あれは正真正銘、百華に間違いない。だが、此方も百華」
「私は、もう一人の私を見てしまった私は、死ぬのでしょうか?」
「え?!」
 真っ青な顔で百華が言い、それを聞いた新藤も青い顔でランを見る。だが、ゆっくりとランは顔を横に振り、立ち上がって窓ガラスへと歩み寄った。そして少しだけ迷った後で錠を外し窓を開ける。
「伝えたい事があるのです。けれど他の方法がなくて‥‥ごめんなさい」
 もう一人の百華が言った。

 夕日が辺りをオレンジ色に染める。ランと新藤は連れだって歩いていた。
「今日は本当にびっくりしました。まさかあれが百華さんの遠い過去の記憶だったとは思いもよらない事でした」
 感心したように新藤はゆっくりと言う。あれからもう一人の百華は部屋へと入り、遠く大事な、そして百華がとうに忘れてしまった大事な出来事を百華へと伝えた。それを伝えたい強い思いが姿を得て、百華に近づいていたのだった。
「それほど珍しい事ではない」
「いえ! すごい出来事でした」
 立ち止まった新藤はギュッとランの両手を握る。
「おかげで編集長がうなるような凄い記事が書けそうです。本日は本当にありがとうございました」
 もう一度深々と頭を下げると、新藤は笑って大久保方面へと歩いていく。
「では私は草間に恩を売ろうとするか」
 新藤が消えたのとは違う道へと足を向け、ランもまた雑踏の方へと歩いていった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【6224/ラン・ファー/女性/18歳/視える斡旋業】
【8396/新藤・たくや/男性/40歳/視えないフリーライター】

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■         ライター通信          ■
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 狩野百華に迫るもう一人の私は危険な存在ではなかったようです。おそらくは2人の自分はじっくりと話し合い、より輝かしい未来へと足を向けたのでしょう。
 機会がありましたら、また草間興信所の危機を救っていただきたいと思います。
 ご参加、ありがとうございました。