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<東京怪談ノベル(シングル)>


0755216――愛しき抱擁――


 杉並区浜田山。億ションが立ち並ぶ平和なこの街を、突如巨大な爆球が呑み込んだ。
 それは全てを瞬時に消し去ることのできるものであり、浜田山という街を地図から――否、地球上から消滅させてしまうものだった。
 しかし――。
 ひどく渇いた音と共に爆球は霧散し、街は元の静寂を取り戻す。そして、何事もなかったかのようにその景観を保っていた。
 土竜プラズムは、予期せぬ出来事に狼狽する。ぽかんと口を開けて周囲を見渡し、そして小刻みに全身を震わせ、この不可解な状況を理解しようと知能を総動員して思考した。
 その、刹那。

 おーーーーーーーーほっほっほっほっほっほ☆

 爆球同様に街を包み、深窓に響く高笑いが土竜プラズムの耳を劈いた。
 その出所は、億ションの屋上。土竜プラズムは慌てて天を仰ぎ見る。そこにいたのは――。
 御嬢様な膝丈スーツを片手に、綺羅星の如く宝石を纏った女子高生、三島・玲奈だった。
 玲奈はミニスカの太腿を颯爽とスーツに通し、ジャケットを羽織る。そしてハイヒールの踵をかっつりと踏み鳴らしてうっとりと笑った。
「セレブ☆玲奈嬢爆誕♪ やっぱココはハイヒールね」
 ひゅぉ、とハイヒールが空を斬る。玲奈の弧を描くような蹴りのポーズが決まった。ミニスカのままだったら、すらりとした脚線美が際立ったことだろう。
 ポーズを決めるや否や玲奈は屋上から身を躍らせ、軽やかに土竜プラズムの脳天へと踵から着地した。ハイヒールの踵がめり込んだ部分から閃光が吹き出し、土竜プラズムは砕け散っていく。玲奈は砕けきる前に軽く跳躍すると、すとん、と地に飛び降りた。
「小娘がァ‥‥っ!」
 砕け散った仲間を見て、他の土竜プラズム達はその怒りを露わにする。そして次々に霊力を解放し、それによって固めたウラン弾を生み出すと、一斉に放出し始めた。
 ターゲットは、言うまでもなく玲奈。
 しかし玲奈は微動だにせず、そのウラン弾達を見据えていた。
「徒労徒労徒労♪」
 楽しげな声と共に、鋭い眼光がウラン弾を包み込む。そして瞬時に全てを蒸発させてしまった。
「弔っていい? 宗派は聞かないケド」
 肩を竦め、笑う玲奈。おもむろに足元の小石を拾い上げると、土竜プラズム達に向けて軽く投げつけた。
「逝っけーっ!」
 軽く放っただけの小石は玲奈の霊力を受け、そこに働くあらゆる法則を食い破って加速する。やがて小石は音速を超え――衝撃波さえ伴う轟音と共に土竜プラズム達の結界を砕き、その瞬間に彼等全てを滅してしまった。
 騒ぎに気付いて駆けつけ、玲奈達の戦いを見守っていた者達が喝采を送る。玲奈もそれに応えようと軽く手を挙げた、その時。
 ――玲奈は一瞬にしてその姿を消してしまった。
 ざわめく人々は、必死に玲奈を捜す。だが、どこを捜しても、素晴らしき力を持った少女の姿は見つからなかった。
 ただひとり、玲奈の戦いをじっと見守っていた鍵屋・智子だけが事の重大さに気付き、焦り唸る。
「……拙い! 情報処理限界を超えた――!」
 智子の背を、冷たいものが流れた。


 ちー……ん……。
 響く音の余韻を耳に残したまま、智子は静かに合掌する。そっと瞼を伏せ、余韻が消えた頃に開ければ、そこにあるのは満面の笑みを湛えた玲奈の――遺影。
 小さな額の中の玲奈は、今もあの時のままだ。
 少女のあどけなさと、大人に向かう危なっかしさと、誰もが惹き付けられる神秘さと。
 そして、自信に満ちた……笑顔。
 自分はいつの間にか大人になってしまったというのに、玲奈はいつまでも少女のままでそこにいる。
 智子はきゅっと唇を噛みしめた。
 ちらりと視線を流せば、傍らでは玲奈の養母が肩を震わせ、目頭をハンカチで押さえている。
「もう……十三回忌ね」
 言いながら、養母は縋るような目線を智子に向けた。
 玲奈が消えてからどれほどの時が流れても、彼女の悲しみは癒されない。憔悴しきったその姿は、これでもマシになったほうだろう。玲奈消失後は、少しでも触れれば彼女こそ消えてしまうのではないかというくらいの状態だった。
 智子は論文の束をそっと養母の前に置き、そして首を振る。
「仮説は仮説よ」
 その言葉に、養母はじっと耳を傾ける。智子はひとつ溜息を漏らして続けた。
「核爆発の全パワーを情報に変換し、自身を御嬢様に再構築したまでは良かった……」
 そう、そこまでは。だが――智子は口ごもる。
「際限ない欲望に呑まれた? なら欲望の渦巻く何処かにあの子の片鱗が有る筈よ」
 養母はしかし、一縷の希望を探すように論文を手に取った。
 ――娘はどこかに生きている。
 だってそうでしょう、あんなにも強くて、明るくて、優しくて、大切な娘が……私を置いて逝くなんて考えられない。
 養母の目は、そう語っていた。しかし、その期待を虚しいものだと言わんばかりに智子が打ち砕く。
「――で? どう救うの」


 ――で? どう救うの……。
 智子の言葉が、ぐるぐると心の中を掻き回す。
 玲奈を想う気持ちは誰にも負けないけれど、想うだけではどうにもならないことはわかっている。
 でも、私には信じられない。玲奈が消えたなんて。
 信じられないのに……「十三回忌」。
 こんな表現を使ってしまう自分は、どうしてしまったのだろう。
 でも、そうすることで年月を確認しているだけ。
 そうしなければ、悲しみに暮れて時間さえ忘れて、どうにかなってしまいそうだったから。
 玲奈は生きている。
 玲奈はどこかにいる。
 私は、そう信じている。
 誰が何と言おうとも。
 そして帰ってきたあの子を、私は強く抱き締めるの――。

 小雨が降りしきる中、玲奈の養母はそんなことをつらつらと考えながら客先への道を急いでいた。
 先だって納品した服の縫製に問題があると呼び出されたのだ。
 玲奈のことばかり考えていたって、仕事はきちんとやる。縫製に問題がある品など納品するはずがない。こんなこと、これまで一度もなかったというのに。
「私、どうしてしまったのかしら――」
 養母は溜息を漏らし、扉をくぐった。
 客は彼女を見るなり金切り声で喚き散らす。納品した服をずいと押しつけて、ここをよく見ろと言わんばかりに目の前に突き出した。
「糸の造りがダメよ! ちゃんとレーナーの公式に則って……」
 客がそう喚いた時、養母はハッとした。
 ――今、何て言ったの……?
「……ちょっと、貴女……聞いてる?」
 半ば上の空になっている養母に、客は眉根を寄せる。
「え、あ、はい……申し訳ありません、すぐに確認して再納品いたしますので……」
 養母は軽く謝罪を済ませると、慌てて外に飛び出した。
 まだ小雨は降り続いている。しかし傘をさすのさえ忘れて彼女は天を仰ぎ見た。
「……レーナー……レナの公式ですって……?」
 まさかこれは……天啓……?

 養母は早速、社の素材部門に問い合わせた。すると、糸の製造器が誤作動を起こしており、未だ修復の目処は立っていないのだという。
 不審に思い、養母はデータを調べ始めた。
「……これは……なに……」
 手元に届いたデータを見るや否や、養母は呆然と呟く。
 データにはあらゆる数値などが記されているのだが、その中でただひとつ、彼女の目を惹き付けてやまない数値があるのだ。
「0……7……5……5……21……6……」
 0755216。
「れい……な……こ……こ……に……」
 ――れいなここにいる。
「玲奈ここにいる……玲奈ちゃんなの!?」
 まさか、まさか、まさか――!
 しかし、こんな偶然があるものだろうか?
 いや、決して偶然ではない。これは愛する娘からのメッセージ……!
 ああ、玲奈、玲奈ちゃん、あなたはここにいるのね。
 私の傍に……この腕の、中に――!
 知らず内に、養母の双眸から涙が溢れ出した。
 何かを捜すように、その両腕を広げる。
 今のこの腕の中に残る玲奈の感触、体の大きさ、温もり、それら全てを捕まえるように。
 愛する娘を、抱き締めるように。
 そして――。
 ふわり、甘い香りと柔らかい感触、懐かしい温もりが、両腕の中に広がった。
「ああ……玲奈ちゃん……。あなたなのね……」
 強く、強く抱き締め、娘の感触を確かめる。
 腕の中、玲奈は母の温もりに浸っていた。
 ああ、これは大切な人の温もり。
 ずっとずっと……触れたかった、還りたかった、場所。
「あたしずっと待ってた……。物理法則を書き換えて、不朽の公式として」
 母の胸に頬をすり寄せ、優しい香りに身を委ねる。
 ――あの時、街の被害を抑えるべく、核のエネルギーをセレブの衣服や宝石に変換した。
 そして華やかに勝利したはいいが、自身の処理能力の限界を超えて消滅してしまった体。
 だが、玲奈はその存在を物理公式として森羅万象の一部にしっかりと刻み込んでいたのだ。
 母が、そして友が、玲奈の消滅に嘆き、悲しみ、涙し――。
 それらをずっと見つめながら、いつか誰かが発見してくれると信じて待っていた。
 そしてそれは愛する母であって欲しいと……願ってやまなかった。
 最初に生身の体で触れるものは、母がいい。自分に触れるのも、母がいい。
 母に、抱き締めてもらいたい……そう、強く願っていた。
 ――そして今、こうして母の腕の中にいる。
「……ありがとう……」
 玲奈の口から意識せず言葉が漏れる。頬を伝う涙が、そのまま胸に――。
「……あら? 玲奈ちゃん……?」
 涙を拭ってやろうと改めて娘を見つめた母は、玲奈が裸であることに初めて気付いた。
「まあ……まあ……!」
 わなわなと打ち震える母。玲奈は「どうしたの?」と不思議そうに見上げる。
「何て子! 早く服を着なさい!」
 そう言って、母は手元にあった服を玲奈に押しつけた。
「は、はぁーいっ!」
 玲奈は慌ててそれを身に纏う。
「……あれ、これ……?」
 着終えると、玲奈はそれが何であるかに気付き、目を見開いて母を見つめた。
「……ええ、そうよ。あなたの服。いつどこであなたを見つけてもいいように、肌身離さず持っていたの」
 そう言って母は笑い、再び両腕を広げる。
 玲奈は何も言わず、母の腕の中に飛び込んでいった。

 窓の外ではいつの間にか雨は止み、明るい陽射しが雲の隙間から差し込んでいた――。



   了