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<東京怪談ノベル(シングル)>


【総力戦富嶽】〜ヴァメロの太陽

 ナポリを出発したフニコラーレは目的地へ到着する前に緊急停車した。オフホワイトの車両が、銃撃戦によって穴だらけになる。剥ぎ取られた塗装や吹き飛ばされた窓ガラスがそこここに散らばっていた。
 居合わせた乗客達は頭を抱え、姿勢を低くして脱出した。残されたフニコラーレの中で、一人の少女が頬に5.7ミリ弾を掠らせながら奮戦している。
 前方へ回転しながら床を転がり、距離を縮めるが眼前にサブマシンガンの銃口が突き出された。普段の三島・玲奈ならここで素早く身体を転瞬させて反撃に出るところなのだが、銃口がもうひとつ――玲奈の背後から首筋を撫で上げるように現れたのだ。
 玲奈の前後をアーミー服を纏った男が塞ぐ。
 停車したケーブルカーに次々に乗り込んでくる男たち。
「そろそろ霊力が尽きる頃だぜ? お嬢ちゃん」
 弾が掠っただけの小さな傷に、硝煙臭い銃口を捻じ込みながらくつくつと嫌な笑いを浮かべた。
 汗と埃にまみれた玲奈の黒髪は、無残にも別方向から伸びてきた太い腕によって鷲掴みにされる。
 PDWを背後へ回し、携帯していたサバイバルナイフを取り出すと、ためらうことなく玲奈の制服の胸元へ刃先を滑り込ませた。
 玲奈の紫の瞳がその屈辱によって眇められる。悔しげに唇を噛んだ玲奈の表情は、屈強な男たちに妙な征服感を味あわせた。ぐっと力が込められ、ナイフが一気に引き下ろされると、無加工の制服は難なく切り裂かれてしまった。
 だが、男たちが思っていたような赤い滴りは零れず、代わりに青い防御結界が瞬いた。
 下着代わりのビキニ姿を晒され、玲奈は自らの髪を掴むケダモノを睨み据えた。
「大人しく箱舟になれってんだ。女の天下を築くんだぞ? 悪い取引じゃなかろう」
 鼻につく嫌な口調で、この現状を取引だと言い放つ男。
「お断りよ」
 取引とは双方の立場がフィフティでなければならない。対等でないものを取引とは呼ばないのだ。少なくとも、今現在の玲奈の立場はそうだった。
 拘束状態であり、長く美しい髪はゲス野郎に掴み上げられているのだから。
 だが、力でねじ伏せていた男はこの玲奈の強気が気に食わない。女は弱弱しく男に屈服していればいいのだ。
 女の天下、と口では言っていても行為がすべてを物語っている。男たちにその気はない。
「聞こえなかったみたいね。あたしは優しいからもう一度言ってあげる。――お断り」
「このアマ!」
 男は容赦なく玲奈の髪を毟った。長い黒髪が音を立てて少女から離れていく。
 玲奈の悲鳴がナポリの空に響いた。


 サンタ・ルチアの港から望む先には、ヴェスビオ火山の勇壮な姿が青空に浮かんでいた。一枚の油絵のような見事な景観は、龍族の奸計がそこで巡らされているとは考えも及ばないほどに美しい。
 ヴェスビオ山火口では、龍族が顔を連ねて勇ましい咆哮を上げていた。
「忌まわしい金翅鳥め! 噴火と洪水で挟撃だ」
 首を大きく横へ振り、叫ぶ雄の龍。
 龍族の思惑は芳しくなく、楽に搾取できるはずだった人間の女の遺伝子がうまく集まらないことが腹立たしいようだ。自らをこの星に生きるすべての種の最高位と勘違いしているの人間が憎らしい。だがなにより――そんな虫けらのような人間に味方する金翅鳥はその上を行く憎悪の対象だった。
 まるでユースティティアが翳す剣のように慇懃な姿で現れて、罪人(龍)を裁く嫌悪の捕食者。
「俺達を啄みに来るなら血で購え」
 地面を踏み鳴らして高らかに声を上げると、
「まぁ頼もしいわ」
 雌が目を細め、声を立てて笑った。
「自惚れるな! 護るのはお前じゃねえ! 用済みなんだよ」
「何ですって?」
 雌の表情が硬くなる。刹那、彼女は悲鳴も断末魔も立てる間もなく、雄龍の双牙の餌食になった。
 辺り一面が、飛沫した雌龍の血で赤く染まる。紅蓮の焔のようなそれを足蹴にした雄龍は、地獄の底から響く声で呟いた。
「人間の雌の健康な遺伝子……」


 風光明媚なヴァメロの丘で、草食男子を尻目に肉食獣さながらの合コン婚活が繰り広げられている中、龍族からの懸念しつつ山頂へ向かっていた玲奈が襲撃された。
 一方で――。
 港には玲奈号が陸海空万全の構えで停船していた。
 ナポリには古い言い伝えがある。
『土台の卵が割れる時ナポリは壊滅する』
 というものだ。
 土台の卵とは、サンタ・ルチアの海岸線に位置する観光名所<Castel dell'Ovo>いわゆる卵城を指している。
 その城塞卵城に爆破予告があった為、龍族の陽動と知りつつも警戒にあたる茂枝萌が、玲奈号から目を光らせていた。
「玲奈。……だいじょうぶかな」
 普段はそのような不安はよぎらないのに、なぜかこの時に限って萌の胸に嫌なざわめきが起こった。
 玲奈ならだいじょうぶだと自分に言い聞かせる萌だが、どうにもそれは拭いきれない。玲奈が向かったヴェスビオ山へ視線を向ける。
 萌の視界に広がるのは、チョコレート色の屋根が連なるナポリの光景しかなかった。

「その姿は遺憾だが、君は歩く武器庫も同然なのでね」
 かつてポンペイを火砕流で埋没させたと思えないヴェスビオ山は静かだった。その火口近く――。
 髪と翼を剃られ、一糸纏わぬ姿で逆さ吊にされている玲奈へ龍族が冷涼とした声音で告げた。
 「人間のY染色体は1本しか無く劣化する一途だが、我々の場合は雌がそうなのだよ」
 だから、と少しの間を置いて自らの策を吐露した。
 「放牧した女と結婚? げぇ」
 龍族の一人、まだ年若い龍があからさまな表情で吊るし上げられている玲奈を見上げた。
 その顔目掛けて玲奈が唾を吐く。
「このアマッ」
 振り上げた拳は先ほどの龍に阻まれ、玲奈の秀麗な頬を打つことはなかった。
「大事な雌なのだから、傷つけるのはやめたまえよ」
 紳士的な口調だが、口元に浮かぶ微笑は確かに爬虫類じみていておぞましい。
 圧倒的不利の玲奈だったがその顔は不敵な笑顔に染まる。空を見やり、
「当然摂理を歪める企みは正される」
 大仰に勝ち誇るでもなく、さりとて無感情でもない。
 ただ淡々と“事実”を告げる。
 龍が天を仰いだ。
 チッと短く舌打ちすると、
「あの金翅鳥は貴様らの煩悩より生じし我が天敵。貴様は人質を連れて玲奈号で逃げろ。奴が同士討ちを躊躇う隙に噴火を起し溶岩で卵城を砕き、津波を起して挟撃」
 仲間へ玲奈号強奪を伝え、自らは卵城へ向かおうと踵を返した時である。
「そこまでよ」
 現れた萌は、火山灰で薄汚れた頬を袖口で拭うと次々に龍族を叩き斬っていく。
「おのれ」
 龍族は噴火の呪文を唱え、ヴェスビオの溶岩を卵城へ落下させた。基盤となる卵はその割れ目から黄金色に染まる慈しみの光を差し出し、撫でるように龍を焼き払うと人々を救った。
 だが人々は知らない。
 この平和の影に奔走したアメジストの左目を持つ少女と、IO2エージェントのことを――。