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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜戦乙女、崩壊の中に降り立ちて〜


 今にも崩れそうな岩壁が、大きな音を反響させてぼろぼろと表面を地に降り注がせる。
 ひらりと片手で、まっすぐな黒髪にかかった細かい砂を払いのけ、白鳥瑞科(しらとり・みずか)は、純白のケープをひらめかせて着地した。
 その様はまるで、湖面を行く大きな鳥のようにしなやかで優雅だった。
 ふわっと音もたてずに地面に降り立つと、彼女は紅色の薄い唇に微笑を形作らせる。
 今、目の前には、三十では収まらない数の敵が存在した。
 見た目にも醜悪な黄土色やこげ茶色の生き物たちは、口の端からだらだらと涎を垂らしながら、ゆらりゆらりと大きな身体を左右に揺らして迫って来る。
 彼らの瞳には、意思の色が浮き出ている。
 だが、知能はそれほど高くない。
 それは今までの攻撃が単調で、つまらないものであることからも十二分にうかがえた。
 既に半数ほどの魑魅魍魎たちを倒しているが、瑞科に疲れの色は微塵もない。
 汗ひとつかかず、彼女はまた跳躍した。
 そのブーツのつま先が、魑魅魍魎の一体の顎を捕らえ、そのまま軽々と蹴り砕く。
 辺りに振りまかれる断末魔の絶叫と緑色の血から、風のごとく身をかわすと、その細い脚がスリットの間から垣間見えた。
 彼女の着衣は、完璧なシスター服である。
 白と黒のコントラストを作り上げる、処女雪のようなケープとヴェール、そして流れるような漆黒の髪――目を伏せれば影を落とすほどのまつ毛が、黒真珠の瞳をしとやかに彩り、艶めいて光る唇は、紅よりも濃い赤を刷き、豊満な胸はコルセットから零れそうなほどだ。
 少女然としたたたずまいは、決して戦う者のそれではない。
 だが、実際に彼女はその身を用いて戦い、舞うのである。
 咆哮を上げて襲い掛かって来た一体を、回し蹴りで難なく仕留める。
 覆っていた布が風にあおられ、太ももがスリットからなまめかしく現れては敵をなぎ倒す。
 次から次へと呼吸するかのようにたやすく、敵は四方八方に飛ばされた。
 音もなく地に下ろされた脚は、太ももに食い込むニーソックスをはき、その上を編み上げのロングブーツが覆っている。
 首許に与えられた一撃は革製のグローブで、細かい装飾が入り、手首まですっぽりと守っている。
 残念ながらその下の素肌は見えず、二の腕まである白い布製のロンググローブが強固な守護者となっていた。
 彼女はまさしく聖職者だった。
 ただし、その肢体を覆うシスター服がその聖性を真逆のものへと変貌させている。
 無論、彼女は肌が風にさらされることに、少しも頓着していなかった。
 一体目の肩に左手をつき、空中で片手で逆立ちすると、そのまま背後へ回り込む。
 地面に下りる前にブーツを跳ね上げて、後ろの敵を屠り、肩を借りた敵は、軽く、とん、と手刀を入れただけで、首があり得ぬ方へと折れ曲がった。
 カツン、と岩肌を地面についたブーツが鳴らす。
 この建物は廃墟となっていて、その半分が既に自然界の支配下にあった。
 山から崩れた土砂がその半身を覆い、見るも無残な姿と化している。
 瑞科は今日、ここでこれらの魑魅魍魎を掃討する指令を受けていた。
「…容易い敵ですわ」
 ため息をつきながら、その手をくるりとひねり、敵の首を簡単にねじ切る。
 ゴキリと嫌な音が響いて、その化け物の口から泡が吹き出た。
 その血と泡が服につかないうちに、瑞科は10メートル先へ跳躍した。
 魑魅魍魎たちは一斉に瑞科を振り返り、怒りの声を上げて走って来る。
 彼女は小さく、ふふ、と笑った。
 そして、誘うように言う。
「どうぞ、おいであそばせ」
 瑞科の冷たく死を誘う指先が、彼らの方へつと伸ばされる。
 それは見た者が「美」を理解する者であるのなら、自ら進んで首を差し出したくなるような、毒と清浄さという矛盾に満ちあふれた、危険な氷の指先だった。
 
 
 
 そよ風にはためくように、服の裾が足首にふわりと下りて来る。
 振り返った瑞科の目には、ほんの少しの興味と、大多数の失望がきらめきを伴って浮かび上がった。
 凄惨で血塗られた戦場に横たわる、あまたの死と無力感は、彼女の未練をも引きはしない。
 一本たりとももつれることのない、背中を覆う黒髪が、無造作に宙に翻された。
「あっけない幕引きですこと」
 瑞科は細いガラス細工の肩をすくめて、一歩、また一歩と、外へと向かう傷だらけの廊下を歩き出した。
 光のひとかけらすらない廃墟でも、闇色の髪は揺れるたびに輝きをいや増す。
 今日の任務はすべて完了だ――そしてそれは、たった小半時ほどの出来事だったのである。
 
 
 〜END〜