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キミに揺られて
田町の駅から少し歩くと港区立図書館がある。
今年の夏の猛暑は秋にも続き、クーラーのよく効いた図書館には大勢の悩ましき受験生達が集うにはうってつけの場所だった。
満席の図書館は、静まり返りカリカリという鉛筆の音だけが断続的に続いていた。
その中に混じり、線路を見下ろす窓際の席で少しけだるげに三島玲奈は参考書の偉人に髭を描いて退屈を凌いでいた。
隣には瀬名雫が必死に問題を解いている。
「玲奈ちゃ〜ん、教えてよ〜」
「んー、でもあたし丸覚えっていうか、暗記しちゃってるから。教えてあげたいけど教えられないなぁ」
玲奈の解答欄はとっくの昔に埋まっており、もちろんどの問題も正解である。
しかし、クーラーが効いて直、暑苦しそうにセーラー姿で喘ぐ同級生を横目にすれば、猛勉強する学生を演じねばならない。
それが毎年の玲奈の役どころだった。
何度目の2学期だろう。
これ8年前も解いた問題よ。
不老不死エルフの万年女子高生は辛いわねぇ。
欠伸を噛殺すと眼下の線路を0系新幹線がのろのろ走っていた。
傍目にも遅いと感じるその動きは、なかなか眠気を誘うもので…
…え? 嘘ヤダこんな所を新幹線ってあたし狂った?
眠気を誘われたせいなのか、とゴシゴシと目を擦ってみたがどうやら幻覚ではないらしい。
とはいえ、0系新幹線は既に廃止されており、走っているわけもない。
まさに真昼のミステリーである。
顔面蒼白になった玲奈に気が付き、雫は慌てた。
「やだ! 玲奈ちゃん大丈夫?」
「雫ぅ。あたし、壊れた〜」
はぁ?っと雫の頭にはてなが飛んだが、玲奈の話を聞くと雫の瞳が輝きだした。
「え〜新幹線? 幽霊列車じゃん!」
「雫だけよー、真面目に聞いてくれるの」
「ちょっとそこ! お静かに願いますよ!」
女の子2人のおしゃべり声に、図書館の司書が現れた。
雫はこっそりと玲奈に耳打ちをした。
「…んじゃ早速調べよう…すいません! 彼女、調子が悪いので退室しまーす!」
「あら、それは…お大事に」
司書に見送られ、2人は図書館を早々に抜け出した。
謎の新幹線調査を開始するために…!
「へ? 田町駅発の新幹線? そんなのあるわけないですよ」
田町駅の駅員は玲奈の質問を一笑に付した。
態度は紳士的だったが、小馬鹿にしているのは火を見るより明らかだった。
デモアタシハミタンダ。
「玲奈ちゃん、ヤンデレてないの。こうなったら張り込みよ」
ムーッと駅員を睨みつける玲奈の二の腕をむんずとつかみ、雫はズルズルと歩き出した。
そうして、線路脇を歩くセーラー服の影二つ。
待っているのも退屈と、2人は玲奈が見た新幹線の消えた先へと歩き出していた。
モワモワと立ち昇る陽炎、時に通る電車を避けつつ、時に本物の新幹線に手を振りつつ、潮風に吹かれる少女2人。
さすがに小一時間も歩けば、疲労も極限に達する。
…普通の人であれば。
「お腹空いたぁ。疲れたぁ。あっついしぃ…あ、アイス買って来よっか? 玲奈ちゃんもいる?」
雫が玲奈にそういうと、玲奈はひらひら手を振り必要性を否定した。
?マークの雫の眼前に落下傘がヒラリヒラリと舞い降りた。
雫の手の中に舞い降りたそれの中身は、アイスとピクニックセット一式だった。
「玲奈ちゃん凄〜い」
雫がパチパチと手を叩いて喜んだ。
「うん、お空に浮かぶ玲奈号。あれがあたしの正体。何でも造って配達できるの」
玲奈がそう言って雲の上に手を振った。
雫もそれを見て、空を見上げた。
ぽっかりと浮かぶ雲の上に隠れるように玲奈号が挨拶したようだった。
「玲奈ちゃんといると便利だよねー。ん。いっただっきまーす」
「じゃあ、あたしも」
線路脇に咲いたパラソルの影で、2人の女子高生がまったり座ってお茶会。
優雅ではあるが、なんとも奇妙な絵図である。
「紅茶もあるよー。玲奈号オリジナルブレンドなの」
なんて、さらにまったり2人が過ごしているときだった。
陽炎の向こうから、ついに新幹線が現れた。
「! 行こう!」
手際よく片付け玲奈は雫と2人、モタモタと走る新幹線を追いかける。
途中海の上に掛けられた橋を上手く渡りつつ、2人は見失わぬよう走り続ける。
奇妙な高揚感と連帯感が、玲奈と雫の間にはあった。
鈍行新幹線を追いかけた先は、埋立地に作られた貨物ターミナルを過ぎた新幹線車庫だった。
この先はもちろん行き止まりである。
「でも線路は続くよ? この先なんじゃない?」
「隣は野鳥の公園よ? 雫」
埋立地の奥に作られた野鳥公園。
大きな池と森に囲まれた野鳥の楽園を過ぎると、市場がある。
そのさらに先は海を挟んで羽田空港があるだけである。
どこをどうしたって新幹線の向かう先などない。
しかし、雫はためらいなしにトンネルの先へと入っていく。
「あ、待って! 雫」
玲奈も雫を追ってトンネルへ入っていった。
なんだか頭の中をモヤモヤとした霞がかかり、玲奈は何か忘れているようでドキドキした。
暗いトンネルの中をどれくらい歩いたのか、少しずつ何かの音が近づくにつれ大きくなっていくのを感じた。
「何か、飛行機の音がする」
暗く反響する雫の声がかき消されそうなほど、近づけば近づくほど大きく唸るような地響き音がする。
そのうち、耳元で、しかも大声で話さないと何も聞こえなくなった。
「ここってもしかして羽田空港の地下かな? あ、非常階段があるよ。玲奈ちゃん、足元気をつけてね」
「うん。雫もね」
手探りに曲がりくねる階段をゆっくりと上る。
と…巨大な翼の下だった。
そうして、玲奈はハッとした!
頭の中のモヤは一気に晴れた。
「これ、あたしんちじゃん! つかあたし!?」
翼を休める機体は正に玲奈の正体・玲奈号だ。
先ほどピクニックセットを投下した後にここに帰ってきた、というわけだ。
「あはは! 灯台下暗しだね」
雫がキャハハと笑い転げている。
玲奈は真っ赤になって、雫をたしなめた。
「うっさいわね! あたしも知らなかったの!」
「秘密を知ったからにはあたしの一等船室乗ってけ!」
「きゃ〜お慈悲を〜」
雫を無理やりに玲奈号に乗せ、玲奈は雫に呟いた。
「…ここに乗ったからには、2人だけの秘密だからね?」
「うふふ、わかった♪ 玲奈ちゃんってば可愛い♪」
小さな冒険が終わるとともに玲奈号は2人を乗せ、日の暮れかけた茜色の空へと舞い上がっていった。
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