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<東京怪談ノベル(シングル)>


総力戦〜富嶽 始動、新たに


 富士、大沢崩れ。そこを目指す部隊があった。バスターズとブラスナイトの部隊――大挙して、だがあくまで世を忍ぶように密やかに。
 その只中にあって、鬼鮫(おにざめ)はニヤニヤとこみ上げる笑いを抑えきれずにいた。まるで最愛の恋人のように刀を抱きながら、IO2が三島・玲奈(みしま・れいな)から受け取った報告を思い出す。
 富士、大沢崩れに、太古に滅んだ龍族と金翅鳥が顕現した。龍は魔力を使って富士の標高を上げて人々を集め、金翅鳥はそんな龍を喰らわねばならぬと決意し、人々を犠牲にする事を覚悟で突っ込んだ、という。

「ク‥‥ッ」

 笑える話だ。太古に滅んだ龍が現代社会に残っているはずはないし、金翅鳥とて同じ事。だったらこれは、この事象は霊障以外にはありえず――そして彼らIO2は、その霊障を始めとする怪異を摘発する為に設立され、今日までそれを理念としてきた。
 だからこそ。
 目的地についた瞬間、訓練された機敏さで部隊が突入準備を整える。こく、と無言で頷きあった合図が見えたかどうか、ドーン、とひときわ大きな音がしたかと思うと、後方に控えたシルバールークDから大沢崩れに俄かに出来上がったダムへと、重い砲撃が放たれた。
 一瞬の沈黙、そして着弾音。勢いよく飛び散る土や石つぶて、舞い上がる埃、それらを煙幕代わりにブラストナイトが一斉に突入し、突然の事に右往左往していた龍族をビームで次々捕縛していく。

「もっとも、俺は殺すがな!」
「どうやってだ? 愚かな人間よ!」

 犬歯をむき出しにして鬼鮫が吼えたのに、応えるとも嘲笑うともつかない雄叫びが、大沢崩れの崖の上から沸き起こった。はっと上空を見上げたバスターズやブラストナイト達が見たのは、ごろごろと転がり落ちて来る岩塊だった。
 それも1つ、2つではない。数え切れないほどの岩塊が文字通り、雨の礫のように谷底の人間達へと降り注ぎ、その間を縫って急な斜面を無数の恐竜達が駆け下りてくるのだ。
 時を同じくして、大沢崩れを閉ざしていた水門が開き、濁流が鉄砲水のように飛び出してきた。逃げ損ねたブラストナイトの幾人かが、濁流に飲まれ、或いは濁流に乗って飛び出してきた雷魚の電撃の餌食になる。

「ギャアアァァッ!」

 仲間の苦痛の悲鳴。それを受け、いっそ気持ち良さそうに鬼鮫は哄笑した後、冷たい眼差しを龍族達へと向けた。
 にぃ、と唇の端を吊り上げて浮かべたのは、野生の獣の如き凶悪な笑み――否、これこそが獲物に狙いを定めた時の鮫の笑みなのだろうか?

「‥‥嵌ったな?」

 漏らした言葉は、たった一言。だがそれだけで場の空気が一変し、劣勢に陥っていたIO2部隊が再び、以前以上の優勢へと入れ替わる。
 一斉にビームが放たれ、掃除機がごみを吸い取るが如く、次々と龍族たちが吸い込まれていった。大沢崩れに人間達を誘いこみ、包囲したつもりの龍族達は、だが逆にそれゆえに一網打尽にされたのだ。
 それを悟ってもすでに遅い。次々と吸われていく龍族性質に、鬼鮫がおいおい、とぼやきを上げた。

「ッたく、俺の分も残しとけよ‥‥いい加減、機械頼りじゃ身体が訛るぜ?」

 言いながら指をぽきぽき鳴らし、刀をすらりと抜き放つ。俺は殺す。そう宣言したとおり、鬼鮫は徹底的に龍族を、刀一本と己の肉体だけで引き裂く気なのだ。
 そうして地を蹴り、刀を構えて鬼鮫は単身、龍へと踊りかかった。





 クシャン、と大きなくしゃみが出て、ブルルと玲奈は身を震わせた。先ほどまでの激昂が収まってくると、この寒さの中で薄着、しかも剃髪までした身には堪えるものがある。

(頭、寒い‥‥)

 クシャン、とまた大きなくしゃみに身を震わせながら、獣化を試みる。それから人間態に戻れば、剃髪した髪もそれと同時に生えてくるはずだった。
 ――のだがしかし。

「あれ?」

 相変わらずすーすーする頭をペタペタ触る。髪なんて一本たりとも生えていない。おっかしいなー、と唇を尖らせながらもう一度。さらにもう一度。さらにもう一度‥‥
 だがどうにも髪は生えてこない。玲奈は相変わらずのつるつる坊主頭だ。
 流石に焦り、IO2に戻ってすぐに異常を訴えて診察を受けた玲奈に、医師は沈痛そうな顔を作って言った。

「心因性でしょう。しばらく休んだ方が良いかと」

 この所、余りにもたくさんの事がありすぎたし。何よりも、目の前の幸せを守るために遂行したはずのミッションが、実は人類にあだを為す行為であったという衝撃的な事実を知ったのだ。その心労で心因性脱毛症になったところで、一体誰が玲奈を責められるだろう?
 医師の診断結果はすぐにIO2の上にも伝えられ、玲奈はその日のうちに休暇を命じられる事になった。

「こんな時に!?」
「こんな時だからこそ。貴女が必要になった時に、貴女が動けなかったらどうするの?」

 歯噛みを、噛み付く玲奈を辞令を伝えた相手が宥める間にも、富士の情勢は刻一刻と伝えられ、目まぐるしく勢力図が塗り替えられていく。こんな時に、ともう一度玲奈は歯軋りして呻いたけれども、出された辞令は変わらない。
 憂鬱な気持ちで富士の勢力図を睨みつけながら、玲奈は基地を後にした。そうして。

「今日から一緒に勉強することになった三島君だ。仲良くするように」

 玲奈は性別を偽って、富士山麓の学ランの高校に男子生徒として転校した。理由は色々ある。こんな頭になってしまったからには似合う服など、玲奈には詰襟学ランしか思いつけなかったのもあるし。どうせ女友達と居られないならせめて、男の子と一緒に癒されたいと思ったのもあるし。もしかしたら、やっぱり富士を離れ難かったのかもしれないし。
 女子の服は、それはそれで身につけたら心浮き立つものなのだけれど、たまに着る男子の服も簡素で動きやすくて、いっそ清々しい気分だった。男子生徒達がわりと気が良く、玲奈をすぐに仲間として受け入れてくれたのもあるだろう。
 その日もクラスメイト達が、単車の鍵をちゃらちゃらさせながら玲奈に声をかけた。

「三島ぁ。免許持ってんだろ? 海行こうぜ」
「おぅ」

 そんな友人達に頷き、玲奈も立ち上がりながら単車の鍵を取り出して続く。向かう先は湘南の浜。吹きすさぶ風は厳しいが、誰も居ない海はだからこそ何となく清々しい気持ちになるもので。
 単車を連ねてやってきた冷たい潮風吹きすさぶ海で、けれどもこの年頃の男子生徒が興味のある事といえば、

「やっぱ女だろ女」

 誰かがそう言い出せば、途端、友人達の顔もどこかにやけた物になる。多かれ少なかれ男子も女子も、意味合いや程度は違えど異性に興味のあるお年頃なのだ。
 玲奈がまさか女だなどと、露ほども想像していないのだろう。「女出来たらどうすべ?」「冬はスキーだな」「夏はサーフィンか。誰かサーフィン出来るんか?」などと、賑やかに盛り上がり始める。
 そんな賑やかな会話を聞くともなく聞いていた玲奈はふと、そんな友人達から立ち昇る欲望の霊気が、どこか一点を目指して動いている事に気がついた。どこか――この方角は――富士!?

(これは‥‥!?)

 閃いたのはただの直感だった。根拠なんてどこにもない。けれども閃いたその考えをどうしても確かめたい衝動に駆られ、玲奈は慌しく立ち上がると友人達に「悪い、俺帰るわ」と告げて背を向けた。
 向かう先は霊気の向かう場所、富士――その樹海。人目のない場所まで走って背中の翼を大きく広げると、その衝動でビリビリビリッ! と学ランとシャツが内側から裂けて布切れと化した。さらにその衝動で、ベルトで留めていたもののもともと緩かったズボンがすとんと腰から落ち、一緒にトランクスも脱げる。トランクスまで穿いていたのは、玲奈の男装に対するこだわりか。
 幸い、トランクスを直接身につけるには抵抗があって、玲奈はショーツ姿で翼を広げ、空へと飛び立とうとした。その瞬間、背後から驚きの声が上がる。

「お、女!?」

 友人達の声だった。突然走り出した玲奈を不審に思ったのか、追いかけてきていたのだ。
 ショーツ姿の、まさに天使としか思えない姿の少女の姿に、友人達から立ち昇る欲望がひときわ激しく迸った。それは間違いようもなくまっすぐ、富士の樹海へと突き抜けていく。

(何て事‥‥!)

 湘南と言えばナンパの本場、人間の欲望の渦巻く所。そして富士の樹海と言えば自殺の名所として知られ――ことに欲に走って多額の債務を抱えたものが、どうにも首が回らず墓場に選ぶ事が多いといわれている場所。
 その、両極端とも言える欲望の双極を結んだ、それは巨大な煩悩の回路だった。循環する莫大な霊気は息苦しいほどで――そしてその富士の樹海の上にはまさに、龍族が金翅鳥を迎え撃つ場所として選んだ富士山がある。

(これこそが敵の命脈だったんだ‥‥!)

 今こそ玲奈は確信し、樹海へと力強く羽ばたいた。あの樹海は龍族の巣窟の一つだったのだ!
 そうして突如、上空に現れた天使の姿に、樹海に潜み、蠢いていた龍族たちの驚愕の叫びが上がった。

「まさか‥‥玲奈!」
「そのとーり!」

 力強く笑い、玲奈は龍族目掛けて突っ込んだ。さあ、奇襲の始まりだ!