コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


さる廃屋の光景〜序


 カツ、と鳴らしたブーツの音が、静寂に満ちた廃屋の中に長く、高く響いた。廃屋――と、そこをそう呼んでしまって良いものか、白鳥・瑞科(しらとり・みずか)には解りかねたのだけれど。

(確かに――『私』が戦うには、これ以上にふさわしい場所はないかもしれませんわ、ね)

 ふわり、廃屋の奥から吹き出してきたぬるい風にたなびいた純白のケープを指先でもてあそぶと、その拍子にわずかに豊かな胸元にこぼれ落ちた黒髪がゆらりと風に揺れる。それを指先でピンと弾いて、瑞科は一度止めた足を再び動かし、廃屋の奥へと静かに、だが力強い足取りで歩き始めた。
 カツ、カツ、カツ、カツ――
 一歩足を進めるごとに、瑞科が身につける純白のシスター服がシュルリ、シュルリと妖しく揺れて、深く入ったスリットから眩しいばかりに真っ白な太股が僅かに廃屋の埃臭い空気にさらされ、また消えた。その太股に食い込むニーソックスが、まるで殉教者を戒める楔のようにも見える。
 つ、と向けた眼差しの先には、ぼろぼろの屋根から差し込む陽射しにけぶるように浮き上がるオブジェ。木を組み合わせただけの簡単な――殉教の神の子の彫刻すらない、それは打ち捨てられた十字架だ。
 脳裏に指令を下された時の光景が蘇る。

『今は打ち捨てられた廃教会に巣食う魑魅魍魎の殲滅、ですか?』
『そうだ――「君」にはふさわしい指令だと思うがね』
『皮肉ですの?』
『行ってみればわかるさ』

 意味深に笑った上司の言葉を聞いた瞬間にも思ったことだけれども、特注のシスター服を戦闘衣とする瑞科が戦うのに、それはなんて皮肉で、相応しい場所なのだろう。もはや神からも見捨てられた廃教会で、神に仕えるシスターが戦う、なんて。
 それを思いながら瑞科はカツ、カツ、と祭壇に向かって歩む。奇妙な奇遇に面白いとは思ったけれども、ただそれだけだ。彼女は彼女の任務を果たすのみ。
 今日も戦闘の準備はいつも通り、何一つぬかる所なく、完璧に行ってきた。どんな敵が相手でも完璧に戦える自信がある、と廃教会の中央でふと立ち止まり、クイ、クイ、と身体を捻って全身を包み込むようにフィットする戦闘服の様子を確かめる。
 瑞科が好んで身につける純白の戦闘用シスター服は、どんな激しい動きにもついて来れるように、伸縮性や耐久性について研究に研究を重ねつくした最先端の特別素材を余す所なく使った特別製。それをぴったり身体に這わせ、少しの遊びもないように作り上げた戦闘服は、ただ立っていてさえ匂い立つ色香を感じさせずには居られない瑞科の肢体をこれ以上なく引き立たせ――同時に清楚さを感じさせるシスター服のデザインであるがゆえに、見てはいけないものを見てしまったかのような背徳感すら浮かばせる。
 足元までを覆うスカートには腰の下まである深いスリットが入っていて、戦闘中の激しい動きの際には出来うる限りスカートが邪魔にならない工夫が施されていた。それは結果として、ただ歩いているだけでその下に隠された瑞科の、日の光をまったく知らないような真白の柔肌すら人目にさらすことになるのだけれど。
 その色香は、頭から被った清楚さを強調する純白のケープと、さらにその上から身につけた純白のヴェールによって、妖しいまでの背徳感を醸し出す。さらにその下から垣間見える、見るからにさらさらの艶かしい長い髪が殊更、隠された色香を匂わせ、際立たせていて。
 どこからどう見ても清楚であるがゆえに背徳的なシスターである瑞科の、シスターらしくない点を上げるとすれば、僅かな動きでもスリットからチラリと垣間見える、美しいラインを誇る太股の白い柔肌に食い込むようなニーソックスと、その上からきつく編み上げられたヒールの高い膝下の編み上げブーツ。そして豊か過ぎる胸元を強調するかのように装着されたコルセットだろうか。
 いずれも故あってのことではある。動きやすさを追及すると同時に、防御力を上げる為にはどうしても、肌をさらす箇所は極力少なくしなければならない。といって戦闘中には激しい動きで敵を翻弄しなければならない瑞科にとって、そんじょそこらのニーソックスやシューズではむしろ邪魔になるだけで――だが全身をくまなくカバーするような、スウェットスーツのような戦闘服は彼女の趣味ではない。
 だからこそ、まるで戒めのように食い込むニーソックスを特注品で作らせ、さらにどんなに激しい動きをしても決して脱げる事のないよう、きつく編み上げられる編み上げブーツを作らせた。そのどちらもが、この戦闘用シスター服と同様、彼女の愛用の品である。
 同様に胸元を強調するコルセットもまた、確実に任務を遂行する為には必要なものだ。瑞科の日本人離れした豊かな胸元は、通常の生活ではほんの僅かな動きですら悩ましく揺れるほど。まして戦闘のような激しい動きをするともなれば、ただ単に固定するとか押さえつけるとかだけでは到底、瑞科の動きに耐え切れず、結果として瑞科の動きを阻害し、苦しめる事になる。
 ゆえに戦闘中、決して邪魔にならないように、そして下手に押さえつける事で瑞科が苦しい思いをしたりして動きに支障が出ないように、編み出されたのがこのコルセット。結果としてそれは瑞科の悩ましい肢体を際立たせるのに一役買っていることになるのだが――任務さえ遂行できればどうでも良い話だ。
 キュッ、と両手を握ってグローブをもう一度馴染ませた。手首までを覆う皮製のグローブには、精緻な装飾が見事に施されている。そうしてその下から、ほっそりとした白魚の腹のような二の腕までを守るようにはめたロンググローブは、純白の布性で、やはり純白の糸で精緻に刺繍が施され、見事な装飾になっていた。
 キュッ、キュッ、と握って、開いて、また握って――指1本の動きですら何ら支障なく滑らかに動く事を、ここに来るまでにも確かめた事だけれど、最後にもう一度だけ確かめて。
 そうしてその奥の祭壇、打ち捨てられた十字架の下に立つ、亡者の前に瑞科は立った。亡者――なのだろうか。あるいは亡者の姿を写し取っただけの、縁もゆかりもないただの魑魅魍魎に過ぎないのかもしれないけれど。
 その亡者は、司祭の服を着ていた。かつてこの教会を預かっていた司祭が苦悩の末に自殺し、その後、夜な夜な謎のうめき声が礼拝堂から聞こえてくるという噂が立って打ち捨てられた――アレはその、自殺した司祭の姿なのだろう。
 亡者そのものなのか、その亡者の噂を利用した怪異なのか、或いはまったく関係なく単に廃教会というシチュエーションを利用しようとした怪異が選んだ姿がそれなのか。いずれにせよ大切な事は、アレが間違いなく、瑞科が下された指令のターゲットだと言う事だ。
 きろり、亡者のよどんだ黒い瞳がねめつけるように瑞科の肢体に絡みついた。取り込もうとしているのか、それとも人も寄り付かなくなって久しい廃教会に珍しく現れた人間が只者ではないと気付き、力量を測っているのか。
 亡者の司祭の粘つくように絡みつく視線を受け、シスター服に身を包んだ瑞科は。

「このような場所で、このような形で私に退治されるのも何かのご縁ですかしら? すぐに、神の御許に送って差し上げますわ」

 くす、と艶やかに唇の端を吊り上げ、戯言のように宣言した。